わがこひは ゆくへもしらず はてもなし あふをかぎりと おもふばかりぞ
わが恋は ゆくへも知らず はてもなし 逢ふを限りと 思ふばかりぞ
凡河内躬恒
私の恋は、どちらの方へ行くのかもどこに行き着くのかもわからない。逢瀬が叶うことを、その終着点と思うばかりであるよ。
下二句をどう捉えるかで、歌の印象が変わります。上記の解釈は「かぎり」を「限界、限度、最後」の意と捉え、本来逢うことが叶ってから楽しいことも苦しいことも始まる恋であるが、その逢瀬が叶わない今は、ただ逢えることそれ自体が恋のゴールと思われてしまう、との詠歌としてみました。一方、「かぎり」を「極限、最大限」の意と考えれば、「これからどうなっていくかはわからないけれども、逢っている今を最上と思う」との解釈となるでしょう。この歌単独ではどちらの解釈も成り立ちうると思いますが、古今集の配列としては逢瀬自体が叶わずにいる恋歌の中に置かれていますので、ここでは前者の解釈としました。作者の真意はどちらであったのでしょうか。