漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0088

2020-01-26 19:53:13 | 古今和歌集

はるさめの ふるはなみだか さくらばな ちるををしまぬ ひとしなければ

春雨の 降るは涙か 桜花 散るを惜しまぬ 人しなければ


大伴黒主


 

 春雨が降るのは涙なのだろうか。桜花が散るのを惜しまない人など誰もいないのだから。

 桜が散るのを惜しむ気持ちが、折しも降りしきる春雨を涙かと思わせるという心情。
 作者の大伴黒主(おおとものくろぬし)は六歌仙の一人に数えられる名人で古今和歌集への入集は二首ないし四首。なぜはっきりしないかと言えば、この 0088 の作者欄に「一本 大伴黒主」(ある本によれば大伴黒主)とあって黒主作ではない可能性があるのと、0899 では「よみ人知らず」と記載がある一方、左注に「この歌は、ある人のいはく、大伴黒主がなり」とあって黒主作の可能性があるためです。さらに言うと、1086 の作者は「大伴」ではなく「大友黒主」と記載されています。なかなかに複雑ですね。六歌仙の中では、喜撰法師(入集は一首)と並んで少ない入集です。仮名序記載の貫之による評も「そのさまいやし。いはば、薪おへる山人の花のかげに休めるがごとし。」となかなか辛辣ですね。^^;;

 

 


古今和歌集 0087

2020-01-25 19:51:17 | 古今和歌集

やまたかみ みつつわがこし さくらばな かぜはこころに まかすべらなり

山高み 見つつわが来し 桜花 風は心に まかすべらなり


紀貫之






 山が高いので、私は見るだけで帰ってきたその桜花を、風は思うままに吹き散らすようだ。

 詞書には「比叡にのぼりて帰りもうできてよめる」とあり、歌われているのは比叡山の桜。高いところで咲き誇っていて、自分は遠くから見るだけで触れることもできなかった桜を、風が縦横無尽に吹きあれて散らしてしまうことのうらめしさ。


古今和歌集 0086

2020-01-24 19:20:53 | 古今和歌集

ゆきとのみ ふるだにあるを さくらばな いかにちれとか かぜのふくらむ

雪とのみ 降るだにあるを 桜花 いかに散れとか 風の吹くらむ


凡河内躬恒






 ただでさえまるで雪が降るように花が散っているのに、さらにどのように散れと言って風は吹いているのだろうか。

 春が深まって桜が散るのを惜しみ嘆く歌が続きます。


古今和歌集 0085

2020-01-23 19:18:16 | 古今和歌集

はるかぜは はなのあたりを よきてふけ こころづからや うつろふとみむ

春風は 花のあたりを よきて吹け 心づからや うつろふと見む


藤原好風




 春風は花のあたりをよけて吹け。風に吹かれなくても花が自ら散るのかどうか確かめてみたいから。

 桜の花が散るのは、風に散らされているのであって、花が自ら散っているのではないと信じたい気持ち。
 作者の藤原好風(ふじわらのよしかぜ)は9世紀から10世紀にかけて存命した貴族。古今和歌集への入集はこの一首のみです。


古今和歌集 0084

2020-01-22 19:03:46 | 古今和歌集

ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しずごころなく はなのちるらむ

ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ


紀友則






 日の光がおだやかな春の日に、どうして花は落ち着いていないであわただしく散ってしまうのだろうか。

 百人一首に採られた中でも、ひときわ良く知られた歌ですね。「ひさかたの」は「光」「天」「雨」「空」「月」「日」「昼」「雲」など、天に関係する多くの語にかかる枕詞ですが、さらに「都」や「岩戸」にもかかります。「天上のもの」ということからでしょうか。