こひしなば たがなはたたじ よのなかの つねなきものと いひはなすとも
恋ひ死なば たが名は立たじ 世の中の 常なきものと 言ひはなすとも
清原深養父
私が恋死にをしたならば、私たちのことが噂にならないなどということがあるでしょうか。たとえその死が、世の中が無常であることの現れだと言いつくろってみたとしても。
なかなかに難解な歌です。「たが名は立たじ」は、言葉通りでは「誰の噂が立たないことがあろうか」の意ですが、ここでの「誰」は、歌全体から解釈すれば作者とその恋人のことでしょう。人の死は世の常といくら言いつくろってみても、私が死んだらそれは恋ゆえの死であると噂されるに違いありませんよ、というわけですね。
かぜふけば みねにわかるる しらくもの たえてつれなき きみがこころか
風吹けば 峰にわかるる 白雲の たえてつれなき 君が心か
壬生忠岑
風が吹くと峰から離れていく白雲のように、すっかり私から離れてしまったつれないあなたの心よ。
峰にかかっている白雲が、風に吹かれて峰から離れていく情景に準えて、愛しい人が自分から離れていってしまう嘆きを詠んでいます。この歌単独で鑑賞しても間違いなく名歌と言えると思いますが、後世、藤原定家がこの歌を本歌取りし、新古今和歌集を代表する名歌とまで言われる歌を詠んだことにより、一層この歌も輝きを増すことになりました。
はるのよの ゆめのうきはし とだえして みねにわかるる よこぐものそら
春の夜の 夢の浮橋 とだえして 峰に別るる 横雲の空
藤原定家
(新古今和歌集 巻第一「春歌上」 第38番)
0587 で、本歌取りと派生歌の違いが自分にはまだ良くわからないということを書きましたが、本歌取りの代表作とも言うべきこの両歌を繰り返し味わっていると、少しそのあたりのことがわかって来るような気がします。