上の娘が日本人学校に編入し、日本に近いカリキュラムで学習を始めた。
イギリス流から日本流に変わって、一番戸惑うのは、算数だと予想していた。
案の定だった。
日本では、算数ドリルなど、計算力を徹底的に鍛える。
足し算、引き算。そして、二年生になると、掛け算九九と、ひっ算が出てくる。
そして、掛け算のひっ算。割り算のひっ算。分数の足し算、引き算のための通分。
最小公倍数、最大公約数。
これらは、どういうものか、意味するものは何かを教える前に、使い方、扱い方を教える。
僕自身も数学の教員免許を持っているけれど、分数の割り算の意味を説明することが出来ないし、そんなことを習った記憶がない。
ただ、”分母と分子をひっくり返して、分母同士、分子同士を掛け算して計算する。” とだけ、習った記憶がある。
「何故計算でひっくり返すの?」「”1/2で割る”って、どういう意味?」って、聞かれたら全く答えられない。
しばらく前に、上の娘に、ロンドンの現地校での引き算の習い方を聞いたことがありました。
すると、生活でのいろんな事柄が出て来たのだそうです。
いろいろ彼女に質問をしたり、彼女の学校のノートを見せて貰ったりしました。
すると、イギリスの先生がどのように教えていたのかがわかってきました。
例えば、
お兄さんは5つ、自分は3つ持っていました。違いはいくつ? Differ
りんごを5つ持っていました。今、3つ持っています。いくつ食べた? Eat
5センチのチーズを切ったら3センチ残りました。いくつ切った?Cut
5個の消しゴムを使って、3つ残っています。いくつ使った? Use
5枚の紙を友達にあげたら3枚残りました。いくつあげた? Give
上の3つの事柄は、すべて計算式にすると、
5-3=2
なのです。
しかしながら、イギリスでは、今までの生活の中で、引き算を表している言葉を集めてきて、それが引き算を意味するのか、足し算を意味するのか、クラスのみんなで話し合いながら引き算の意味を理解していくのです。
動詞に限って言うと、上記の「違う」="Differ"、「食べる」="Eat"、「切る」="Cut"、「使う」= Use、「あげる」=Give などは、すべて引き算を表す動詞なのです。
逆に、「作る」=Make、「持ってくる」=Bring などは、足し算を表す動詞なのです。
「引き算」と言うものが、小学校1年生の生活の中にどんな形で使われているのか知るところから、引き算の学習が始まるのです。
また、以下の文の様に、意味が全く同じなのに、使う動詞が違ってくるものもあります。
5ポンド持っていました。3ポンドのペンを買いました。残りはいくら? Remain
5ポンド持っていました。3ポンドのペンを買いました。お釣りはいくら? Change
これもまた同じことで、それを知ることから「引き算」の理解が始まります。
ですので、イギリスの小学1年生は、
5-3=?という計算は出来ないけれども、
5ポンド札をもって、1ポンドのあめ玉を3つ買いました。何ポンド残っている?
と、聞くと、”2ポンド”と、すぐに答えられるのです。
また、
5つのケーキがあります。3つ食べました。あと、何個食べられる?
と聞くと、”2つ”と、答えられるのです。
そう言った応用を生活の中でどんどん増やしていくことで、引き算というものを定着させていくのです。
おそらく、イギリスでは、掛け算、分数なども、同じような教育の仕方をしていくのでしょう。
幼稚園を日本で過ごし、英語に密着していない世界から、英語だけの学校に入学して、急に算数の世界でたくさんの動詞を覚えなければならなかった上の娘にとっては、このような引き算の教え方を理解するのは、とても大変だっただろうと思います。
フランクフルトに引っ越して、日本人学校に編入させることがわかっていたので、イギリスにいる時に、僕は、彼女に日本式の計算力をつけさせる教え方をさせてしまいました。
それでも、同じ学年のみんなより計算のスピードが遅いようで、最初は戸惑っていました。
日本流の小学校では、計算ドリルをこなして、計算力(スピード、正確さ)が重要視されるのです。
極端かもしれないけれど、
フェルマーの最終定理を解いたのはイギリス人だということ。
最近、日本人の数学、理科離れが顕著になっている。
という現実からすると、イギリス流の算数の教え方が良いのかも知れないと思ったりもします。
イギリス流から日本流に変わって、一番戸惑うのは、算数だと予想していた。
案の定だった。
日本では、算数ドリルなど、計算力を徹底的に鍛える。
足し算、引き算。そして、二年生になると、掛け算九九と、ひっ算が出てくる。
そして、掛け算のひっ算。割り算のひっ算。分数の足し算、引き算のための通分。
最小公倍数、最大公約数。
これらは、どういうものか、意味するものは何かを教える前に、使い方、扱い方を教える。
僕自身も数学の教員免許を持っているけれど、分数の割り算の意味を説明することが出来ないし、そんなことを習った記憶がない。
ただ、”分母と分子をひっくり返して、分母同士、分子同士を掛け算して計算する。” とだけ、習った記憶がある。
「何故計算でひっくり返すの?」「”1/2で割る”って、どういう意味?」って、聞かれたら全く答えられない。
しばらく前に、上の娘に、ロンドンの現地校での引き算の習い方を聞いたことがありました。
すると、生活でのいろんな事柄が出て来たのだそうです。
いろいろ彼女に質問をしたり、彼女の学校のノートを見せて貰ったりしました。
すると、イギリスの先生がどのように教えていたのかがわかってきました。
例えば、
お兄さんは5つ、自分は3つ持っていました。違いはいくつ? Differ
りんごを5つ持っていました。今、3つ持っています。いくつ食べた? Eat
5センチのチーズを切ったら3センチ残りました。いくつ切った?Cut
5個の消しゴムを使って、3つ残っています。いくつ使った? Use
5枚の紙を友達にあげたら3枚残りました。いくつあげた? Give
上の3つの事柄は、すべて計算式にすると、
5-3=2
なのです。
しかしながら、イギリスでは、今までの生活の中で、引き算を表している言葉を集めてきて、それが引き算を意味するのか、足し算を意味するのか、クラスのみんなで話し合いながら引き算の意味を理解していくのです。
動詞に限って言うと、上記の「違う」="Differ"、「食べる」="Eat"、「切る」="Cut"、「使う」= Use、「あげる」=Give などは、すべて引き算を表す動詞なのです。
逆に、「作る」=Make、「持ってくる」=Bring などは、足し算を表す動詞なのです。
「引き算」と言うものが、小学校1年生の生活の中にどんな形で使われているのか知るところから、引き算の学習が始まるのです。
また、以下の文の様に、意味が全く同じなのに、使う動詞が違ってくるものもあります。
5ポンド持っていました。3ポンドのペンを買いました。残りはいくら? Remain
5ポンド持っていました。3ポンドのペンを買いました。お釣りはいくら? Change
これもまた同じことで、それを知ることから「引き算」の理解が始まります。
ですので、イギリスの小学1年生は、
5-3=?という計算は出来ないけれども、
5ポンド札をもって、1ポンドのあめ玉を3つ買いました。何ポンド残っている?
と、聞くと、”2ポンド”と、すぐに答えられるのです。
また、
5つのケーキがあります。3つ食べました。あと、何個食べられる?
と聞くと、”2つ”と、答えられるのです。
そう言った応用を生活の中でどんどん増やしていくことで、引き算というものを定着させていくのです。
おそらく、イギリスでは、掛け算、分数なども、同じような教育の仕方をしていくのでしょう。
幼稚園を日本で過ごし、英語に密着していない世界から、英語だけの学校に入学して、急に算数の世界でたくさんの動詞を覚えなければならなかった上の娘にとっては、このような引き算の教え方を理解するのは、とても大変だっただろうと思います。
フランクフルトに引っ越して、日本人学校に編入させることがわかっていたので、イギリスにいる時に、僕は、彼女に日本式の計算力をつけさせる教え方をさせてしまいました。
それでも、同じ学年のみんなより計算のスピードが遅いようで、最初は戸惑っていました。
日本流の小学校では、計算ドリルをこなして、計算力(スピード、正確さ)が重要視されるのです。
極端かもしれないけれど、
フェルマーの最終定理を解いたのはイギリス人だということ。
最近、日本人の数学、理科離れが顕著になっている。
という現実からすると、イギリス流の算数の教え方が良いのかも知れないと思ったりもします。