中世の頃、現在の我が町函館のあたりに、宇須岸(うすけし)という地名があった。
これは、アイヌ語の「ウショロケシ」という言葉が転じたものとされており、その意味は、「湾内の端の地形」というもので、現在の函館山山麓付近を指すものとされている。


写真は、函館八幡宮の副参道から撮った函館山。
写真のこの辺りが、かつて宇須岸と呼ばれていた地区で、この地にあった小さな砦(もしくは館)が、アイヌ語で「ハクチャシ」と言うことから、それが転じて「箱舘」になったという説がある。
あくまでも、諸説ある中の一つらしいが、函館関係の本にこのことが載っていて、興味を覚えたので、行ってみた次第でした。


場所はちょっと離れてるのだけど、八幡宮からの帰り途中に見つけた歌碑。
石川啄木の有名な単価が織り込まれていて、興味深い歌詞だなと思います。
函館中央図書館に、「函館学コーナー」というのがあるので、そこでちょっと調べてみるかな。
これは、アイヌ語の「ウショロケシ」という言葉が転じたものとされており、その意味は、「湾内の端の地形」というもので、現在の函館山山麓付近を指すものとされている。


写真は、函館八幡宮の副参道から撮った函館山。
写真のこの辺りが、かつて宇須岸と呼ばれていた地区で、この地にあった小さな砦(もしくは館)が、アイヌ語で「ハクチャシ」と言うことから、それが転じて「箱舘」になったという説がある。
あくまでも、諸説ある中の一つらしいが、函館関係の本にこのことが載っていて、興味を覚えたので、行ってみた次第でした。


場所はちょっと離れてるのだけど、八幡宮からの帰り途中に見つけた歌碑。
石川啄木の有名な単価が織り込まれていて、興味深い歌詞だなと思います。
函館中央図書館に、「函館学コーナー」というのがあるので、そこでちょっと調べてみるかな。