函館の病院から逃走の少年出頭 強姦致傷容疑 手錠見つからず(北海道新聞)
まずは昨日の続きをさらっと。
これ、記事読む限り、警察に明らかな油断があったと言われても仕方ないですね。
こういう事件はこれまで何度もあったけど、本当、気を引き締めて事に当たってほしいと思います。
さて、今日の本題。
友人のブログで、葬儀の際に、会計担当者がその場で香典袋を開封して中身を確認する地域があることに驚いたということが書かれていたが、これは実は、北海道では普通のこと。
なので私は、この点に関しては特にどうこうは言わないが、函館地方の葬儀に関する特徴的な話を一つご紹介。
全部が全部ではないのだけど、通常は、お通夜→告別式→火葬という手順になるところ、函館地方では、お通夜の前に火葬を済ませ、お通夜は、遺体ではなく遺骨による「骨葬」と言われる形式で行われることが多いのです。
そのような手順が一般的になった理由は諸説あるのだが、函館市史によると、
①遺体を介して伝染病が広まらないようにすぐに火葬した。
②戦争や幾度に亘る大火、国内最大の海難事故と呼ばれる1954年の青函連絡船洞爺丸の遭難などで一度に多くの死者が出た際に火葬を急がねばならないとの機運が高まった。
③かつて函館の基幹産業だった北洋漁業の船員が亡くなった際、すぐに帰港できない船員のために先に火葬を済ませた。
④町内会館での葬儀が一般的になった時代に、会館が遺体の搬入を認めなかった。
などがあるらしいです。
先に書いたとおり諸説あることなのでこれに関してはどうこう言わないけど、そういうことが定着しているため、函館で亡くなった人を訪ねてお通夜にやって来た本州の人が、亡骸を拝むことができずに驚いたという話を聞いたことがある。
それに関しては、「亡くなったことそれ自体も勿論悲しいが、(せっかく遠方から間に合うように来たのに)お通夜で亡骸を拝めなかったことの方がもっと悲しい」という話も聞いたことがあるくらい、他の地域の人にとっては衝撃度の高いことだそうです。
くどいようだけど、函館でも全部が全部そうだというわけではなく、背景に関しても諸説あるとのことなので、事の是非に関してはどうこうは言いません。
あくまでも、そういう風習もあるということの紹介です。
まずは昨日の続きをさらっと。
これ、記事読む限り、警察に明らかな油断があったと言われても仕方ないですね。
こういう事件はこれまで何度もあったけど、本当、気を引き締めて事に当たってほしいと思います。
さて、今日の本題。
友人のブログで、葬儀の際に、会計担当者がその場で香典袋を開封して中身を確認する地域があることに驚いたということが書かれていたが、これは実は、北海道では普通のこと。
なので私は、この点に関しては特にどうこうは言わないが、函館地方の葬儀に関する特徴的な話を一つご紹介。
全部が全部ではないのだけど、通常は、お通夜→告別式→火葬という手順になるところ、函館地方では、お通夜の前に火葬を済ませ、お通夜は、遺体ではなく遺骨による「骨葬」と言われる形式で行われることが多いのです。
そのような手順が一般的になった理由は諸説あるのだが、函館市史によると、
①遺体を介して伝染病が広まらないようにすぐに火葬した。
②戦争や幾度に亘る大火、国内最大の海難事故と呼ばれる1954年の青函連絡船洞爺丸の遭難などで一度に多くの死者が出た際に火葬を急がねばならないとの機運が高まった。
③かつて函館の基幹産業だった北洋漁業の船員が亡くなった際、すぐに帰港できない船員のために先に火葬を済ませた。
④町内会館での葬儀が一般的になった時代に、会館が遺体の搬入を認めなかった。
などがあるらしいです。
先に書いたとおり諸説あることなのでこれに関してはどうこう言わないけど、そういうことが定着しているため、函館で亡くなった人を訪ねてお通夜にやって来た本州の人が、亡骸を拝むことができずに驚いたという話を聞いたことがある。
それに関しては、「亡くなったことそれ自体も勿論悲しいが、(せっかく遠方から間に合うように来たのに)お通夜で亡骸を拝めなかったことの方がもっと悲しい」という話も聞いたことがあるくらい、他の地域の人にとっては衝撃度の高いことだそうです。
くどいようだけど、函館でも全部が全部そうだというわけではなく、背景に関しても諸説あるとのことなので、事の是非に関してはどうこうは言いません。
あくまでも、そういう風習もあるということの紹介です。