西部地区の一角にある建物。
よく見ると、二階建てなのに、1階と2階の造りが違っているのがわかると思います。
実はこれは、函館でよく見られる建築様式で、1階は、ごく普通の木造の壁に格子戸がある和風の造りなのに対し、2階は、ペンキ塗りの外壁と、縦長の上げ下げ窓か両開き窓のある洋風の造りとなっています。
そして屋根は、主に和風瓦を使用しているという、正に和洋折衷の様式となっています。
1859年に開港し、世界に対して門戸を開いた函館には、アメリカ、ロシア、イギリスなどの領事館が相次いで開設され、外国人が住み始めました。
外国人と共存するようになった函館市民は、彼らとの触れ合いの中で、西洋の最先端の技術を数多く吸収するようになり、そんな中にあって、建築職人達は、外国人の指導のもと、教会や領事館などの洋風建築に取り組み始めました。
しかし、開港したとはいえ、当時の函館の輸出入額はさほど大きなものではなく、外国商人達は、より大きなマーケットである横浜や神戸へ向かうようになって次々と函館を去り、このことから、せっかく苦労して洋風の建築技術を習得したにも関わらず、職人達が習得した技術を形にする機会は減らされる一方となり、危機感を強めた職人達は、当時財力があった海産商を中心に、店舗・住宅に洋風の様式を取り入れるよう、強力に働きかけたとされています。
このことが、現在に繋がる、写真のような様式が広まるきっかけとなったとされていますが、建築に当たっては、外観をいかに洋風に見せるかに主眼が置かれました。
そう、実はこれらの建物、外観は洋風ながらも、中の造りは全て和室(畳敷き)なのです。
何とも珍しい様式ですが、函館の歴史ある街並みの象徴の一つとも言える特徴的な外観を、ぜひ函館にお越しになった際に、観て、中に入って楽しんでいただければと思います。