札幌市西区の西端にある「平和」地区へ。
ここは、明治17年(1884年)に山口県から、同19年(1886年)に福井県からの移民が入植したことによって開墾され、大正末期から昭和初期には地区全体が水田となり、稲作地帯として発展を遂げてきました。
昭和17年(1942年)に、当時の「手稲村」の字名改正が行われた際に、地域の平穏な発展を願って「平和」という地名になったとされており、現在では閑静な住宅街となっています。
という話を、7月に放送された「発見!タカトシランド」でこのエリアが紹介された際、ゲストの草野仁さんが知識として披露されていて、同行していたタカさんも、「素晴らしい」と唸っていたのが印象に残っています。
JR北海道バスの「平和1条5丁目」というバス停。
この地域は、私の通っていた高校のお膝元で、当時は札幌市営バスでしたが、私も三年間、このバス停で降りて学校へと向かっていました。
平和地区にある「開村用水記念碑」。
昭和3年(1928年)4月に建立されたもので、当初は別な場所に建立されましたが、平成8年(1996年)8月8日に現在地に移設されました。
その「現在地」とは、「平和第二会館」という地域の会館。
「平和第二」というのは入植当時の地区名です。
それほど離れていない場所に「平和第一」の集落名を冠した施設もあります。
(「平和第一会館」と「平和第二会館」の位置関係はこちら。)
バスが走る幹線道路沿いには、「セイコーマート」と「セブンイレブン」が。
私が高校生の頃には、この地域にはコンビニは「SPAR」しかなく、高校のすぐ門前に「平和ショップ」という小さなお店があって、そこでお菓子やジュースなどをよく買ったものでした。
その「平和ショップ」によく通ったのもよい思い出ですが、こうしてコンビニが二軒もできたことを思うと、今の高校生達がうらやましいと思ったりも(笑)。
セブンイレブンの横の道。
この先に私の母校があります。
母校の側からは、先日紹介した「五天山」も見えます。
五天山の麓にある母校では、自然豊かな地域ならではの思い出が沢山ありますが、一番印象に残っているのはこんなエピソードかな。
復路の「平和1条5丁目」のバス停。
当時は、下校時に私達高校生が長蛇の列をなし、バスが到着するやいなや、順番も何もお構いなしに車内になだれ込み、地域にお住いの方々から、非常に危険だとお叱りを受けたこともありました。
この場をお借りして、地域の皆様、その節は大変ご迷惑をおかけいたしました。最近の後輩達の乗車マナーはいかがなものでしょうか。
バス停側にある小さな書店。
ここは私達が高校生の頃には、閉店してシャッターが下りていた薬局があったのですが、札幌も郊外型の大型店舗が多く賑わっている中、こうして小さいながらも地域に根差したお店ができているのを見て、これまた羨ましいと思いました。
今回久しぶりにゆっくりとぶらり歩きをしてみました。私にとって大変思い出深いこの地域の更なる発展を願っています。