北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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無縁寺と土方埋葬地説

2018-01-27 08:52:30 | 函館



函館から松前方面へ向かう国道沿いにあるお寺。
某有名男性芸能人がイメージキャラクターをつとめる、大手パチンコ・パチスロ店の隣にあります。





「極楽寺」という浄土宗のお寺ですが、実は名前とは裏腹の歴史と関わっています。

このお寺は、「無縁寺」という通称があり、その由来は、この近くにある「万年橋」バス停付近に、かつて「首切り場」があったとされており、1866年に、時の箱館奉行が、斬死者を憐れんで建立した「念仏堂」がこのお寺の前身であることにあるとされています。





境内にある表示板。
これをもとに、境内を散策してみましょう。











斬死者を供養する「有無両縁等(塔)」。(表示板には出ていません)
かつての首切り場の側に死体を投げ込む穴があり、その前に建てられた供養塔が境内に移設されて現存するとされています。





表示板に出ている、右から「萬霊塚」、「諸国戦死供養の常夜灯」、「馬頭観世音の碑」。





少し離れた所にも馬頭観音があります。
以前、五稜郭築造にあたり、土砂運搬作業に命を捧げた馬達の慰霊碑として設置された馬頭観音を紹介したことがあるけれど、江戸時代からこの周辺では多くの馬が飼育されていて、信仰のシンボルとされたり、今でいう物流、土木作業などに尽力していたということがわかります。








このお寺に関しては、大変興味深い説が一つあります。
それは、1869年5月11日、旧幕府軍の戦士として死を遂げた、かの土方歳三の埋葬されている場所ではないかとの説です。

土方歳三が最期を遂げた地は、現在の市内若松町、「一本木関門」という門があった付近とされていますが、実はこれとて諸説ある話であり、現在の「十字街」電停付近とする説もあります。
(両地の位置関係はこちら

それと同様、土方が埋葬された場所というのも、五稜郭の中にある、土砂を楕円形に盛り上げた「土饅頭(どまんじゅう)」という箇所だという説もあれば、この「極楽寺」という説もあるなど、諸説入り乱れているようです。
極楽寺説によると、その場所は本堂の北側ということらしいですが・・・、これは本格的に追及してみると、色々な話が出てきて面白そうなテーマだと思います。


「極楽寺」の場所
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退職後は・・・

2018-01-26 23:01:35 | 日々のもろもろ
なんか昨年の末、2033年度末に国家公務員の定年を65歳とするというニュースが流れた。
2033年といえば、ちょうど私が還暦を迎える年なので、何かあって早期退職していない限り、私は65歳まで勤めるということになるのかもしれないけど、それでも、これまでの二十二年があっという間だったことを思えば、残り二十年(今年45歳)も、きっとあっという間なのだろうなあと思う。

そういうこともあって、最近は、同年代の友人達と、退職後の人生について話す機会もあるのだけど、今日は、そんな私が描いている退職後の人生の話。

「ブラタモリ」の書籍版に、毎回の案内人さんのプロフィールが掲載されているが、それによると、案内人さんの大半は、大学の教授や博物館の学芸員など、その道一筋という方のようだけど、中には、教員や公務員、会社員などを定年退職したのちに、郷土の歴史や文化について研究する道に進んだという方もいることがわかる。
そう、私も最近、退職したらそっちの道に進んでみたいと思うようになった。
どこが(研究や学習の)舞台になるのか、故郷である札幌か、第二の故郷と呼べるようになった函館か、はたまた北海道について広く浅くになるのかとか、具体的にどんな活動をするのかは何とも言えないけれど、案内人さん達のような活動の場を見出せなくても、生涯学習のテーマとして、郷土の歴史や文化を選んでみたいという思いは強く持っているので、なるべく早い時期に具体的な目標を定め、退職前から、できる準備はしていきたいと思うようになりました。

私が退職を迎える頃、タモリさんは、お元気であれば(あってほしい)90代半ば。
さすがに「ブラタモリ」はもうないだろうけど、同じような番組はきっとあると思うので、そういう番組の出演を目標にしてみるのもいいかもしれません。
タモリさんはリタイアされていたとしても、近江アナにはその頃までアナウンサーを続けていただき(今でいう有働アナのようなポジション?)、「『ブラタモリ』見てました!」「二十年前からファンです!」なんて声をかけることができたら・・・(すみませんいつもそればっかりで)。





本題とはずれるけど、先日の関西で、伊丹空港着陸直前に撮った一枚。
別に意味はないですが。
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過去最強の寒波か・・・

2018-01-25 19:35:05 | 日々のもろもろ
いつまで続く異常なまでのこの寒さ。
※1ぺギラか※2ポール星人か、あるいは※3マーゴドンの仕業かとさえ思ってしまう・・・。


寒波襲来 道内冷え込み 喜茂別で氷点下31・3度(北海道新聞)


「喜茂別(きもべつ)」町の位置はこちら
氷点下31度・・・。私は経験がありません。せいぜいこれぐらいです。


少雪で油断か、道内で交通死急増 目立つ運転ミス(北海道新聞)


いやいや、確かにそれもあるのかもしれないけれど、毎日徒歩通勤(してますよこの寒さでも)してて凄く気になるのが、怖いとさえ思う運転の数々。
これだけのツルツル路面だってのに、赤信号に変わっても真っ直ぐ突っ込んだり、右左折したりしていく車の何と多いことか。
交差点に入ってから赤に変わったというのでも厳密に言えば違反なのに、明らかに停止線に達する前に赤に変わっているのに突っ込んでいく車が本当に多い。
よく事故が起こらないなと思いながら見てますよ本当に。
先週末は出張のため運転はしなかったけれど、今週末は久しぶりの運転。いつも以上に慎重を期さなくちゃ。


※1 「ウルトラQ」第5話、第14話に登場した南極怪獣。第14話では東京に大寒波をもたらした。

※2 「ウルトラセブン」第25話に登場した宇宙人。地球防衛軍基地周辺を零下112度(!)の冷気に包み込んだ。この回では、北海道出身という設定のフルハシ隊員の「えーっ、冗談じゃないぜ。我が故郷北海道だって、せいぜい零下40度だってえのに」という台詞も。

※3 「ウルトラマン80」最終回に登場した、惑星全体の熱を吸収して氷の星に変えるという恐ろしい宇宙怪獣。UGMの作戦により、冷凍液で凍結させられ、最後は鉄球で破壊された。
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人に見えた木のある町

2018-01-24 20:11:57 | 函館
函館市内にある町の名前は、函館(箱館)の歴史上の人物に由来するものが結構あります。

ここで紹介したことがあるものだと、例えば「中島町」とか「時任町」「梁川町」や「榎本町」なんかがあるけれど、最近までその一つだと思っていたのが、実は違っていたという町がありました。





「人見町」というエリア。
箱館の歴史上の人物で、「人見勝太郎」という、箱館戦争において、旧幕府軍の使者として箱館府知事清水谷公考に嘆願書を渡し、旧幕府軍の蝦夷地制圧後は、蝦夷共和国の松前奉行に就任した人物がいるのだけど、てっきりこの「人見町」は、この人物に由来する名前だとばかり思っていました。

でも、実際はそうではなく、箱館戦争よりももっと古い時代に由来するのだそうで、この「人見町」に隣接して「柏木町」というエリアがあるのだけど、この名前のとおり、かつてこの辺りには柏の木が多くあり、アイヌ民族と和人との戦乱のさ中、林立する柏の木が多数の人物に見え、恐れ慄いたアイヌ民族が退却していったという伝説があるのだそうです。

そう、柏の木が「人に見えた」ことが、この町の由来なのだそうです。
本当、地名の由来って色々なんだなと思いました。


これを書いている途中、緊急地震速報が鳴り響き、函館は震度3だったけど、室内は結構長時間揺れました。(被害はありません)
過去最大級の寒波だの地震だの・・・、もう勘弁してほしいですわ。
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日本初の有料道路らしい場所

2018-01-23 19:40:20 | 函館



函館市内を走る「国道278号」。通称「漁火(いさりび)通り」と呼ばれる道路です。





ご覧の通り、何の変哲もないごく普通の道路なのだけど、そこは歴史深く、興味深いエピソードが多数存在する函館。
実は、写真のこのあたりは、日本初の有料道路という話があります。

大正時代、僧侶から還俗した松岡陸三という人物が道路用地を購入し、松岡が経営する自動車会社が砂利を敷いて専用道路とし、乗合自動車や一般走行車両から通行掛金を徴収していたのだそうで、それが、日本初の有料道路だということのようです。

現在の国道278号は、1970年(昭和45年)に国道に昇格する以前、開拓時代から様々な変遷を経て整備されてきた歴史があり、当時松岡陸三が整備していた道路の範囲というのは、整備された道路用地のなかのごく一部(合致していない可能性もある)なのだろうけど、そうした歴史の過程においてこのようなエピソードがあったというのは、関係する仕事に従事している立場として、大変興味深く感じられました。
似たようなエピソード、他にももしかしたらあるかもしれません。
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