「仏に祈るということは仏の世界に溶け込んで私というものがなくなる、つまり「無我」の境地になることです。」(講元注、逆にいうと「我」があるうちは祈りはなかなか効果を現わさないということでしょうか。そこで祈願の最後は必ず「願わくはこの功徳を以て遍く一切に及ぼし我らと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」と付け加えます。これが一番大切です。) . . . 本文を読む
「業に苦しむことが業を超越することになる」如上の所説を今少し他の形で申しますと、次のやうになります。人間である限りは業を離れるわけに行かぬと云ふことは人間は元来業そのものだからです。人間の在るところ、行くところには業は必ず影の形に添ふやうについてきます。併し人間が業を離れ業を越えることの出来るのは亦實に業につきまとわれて居るからです。普通に申しますと吾等は業繋の故に苦しむのでありますが、此の苦しみ . . . 本文を読む