今日は古義真言宗官長高岡 隆心師遷化の日です。高岡 隆心師は慶応2年12月15日(1867年)新潟県中頸城郡に生まれ、高野山高岡増隆師の門に入り、古義大学林卒業、大正9年高野山宝寿院門主修道院長、大正13年初代高野山大学長、昭和9年高野山金剛峰寺座主同宗管長。北支・満州・朝鮮を巡錫し病を得て昭和14(1939)年10月19日遷化。密教辞典には「仏教・神道・事相に詳しく徳望高い名僧」とあります。 . . . 本文を読む
『宇多天皇御記(寛平御記)』(仁和四年888十月)に「十九日。辰刻。我が国は神国なり。囚りて、毎朝、四方の大中小天神地祇を敬拝す。敬拝の事、今より始めて後、一日も怠る無と云々」
「毎朝御拝」について「天皇と宗教(小倉慈司・山口輝臣)」では「通説では宇多天皇の仁和四年十月の毎朝御拝が初例と解されているが、・・それ以前も行われていたと可能性も考えられる。この毎朝御拝は「中右記」天仁元 . . . 本文を読む
今日弘安7年1284、10月19日は叡尊が後宇多天皇に菩薩戒を授戒した日です。「金剛仏子叡尊感身学正記」に「主上、臣下等四十八人奉授菩薩戒」と。
1.第九十一代後宇多天皇は在位:1274年3月6日〈文永11年1月26日〉から 1287年11月27日〈弘安10年10月21日〉)。諱は世仁(よひと)。大覚寺統の天皇。中世日本最高の賢帝の一人で、対立する持明院統の花園天皇か . . . 本文を読む
以下密教辞典等に依ります。
信忠・・鎌倉若宮僧正・東寺長者・勧修寺長吏。弘長二年1262~元亨二年十月十九日(六十一歳)。関白藤原忠家の息。幼くして勧修寺勝信の室に入り弘安年中に伝法灌頂を受け、諸尊儀軌を学ぶ。道寶について密教・三論を受ける。弘安十年勧修寺長吏。正応年中に鎌倉若宮別当・東寺長者。寛元二年仙洞において愛染王法を修す。延慶三年東大寺別当。 . . . 本文を読む
史料綜覧 巻五 / 文永十一年(1274)十月十九日条「十九日(中略)蒙古ノ兵 筑前今津ニ寇ス」史料綜覧 巻五 / 文永十一年(1274)十月十九日辛酉条「十九日辛酉(中略)今夜 蒙古襲筑前早良郡」・『金剛仏子叡尊感身学正記』には「文永十一年甲戌、(叡尊)七十四歳。十月五日蒙古人著対馬」「十月二十日、着博多、即退散畢」・ウキぺデアには、文永十一年(1274)「10月16-17日、元軍は肥前沿岸の松 . . . 本文を読む