『宇多天皇御記(寛平御記)』(仁和四年888十月)に「十九日。辰刻。我が国は神国なり。囚りて、毎朝、四方の大中小天神地祇を敬拝す。敬拝の事、今より始めて後、一日も怠る無と云々」
「毎朝御拝」について「天皇と宗教(小倉慈司・山口輝臣)」では「通説では宇多天皇の仁和四年十月の毎朝御拝が初例と解されているが、・・それ以前も行われていたと可能性も考えられる。この毎朝御拝は「中右記」天仁元年1108十月四日条によれば石灰壇にて行われることになっていた。石灰壇とは天皇の御在所である内裏清涼殿の東廂の南二間、あるいは仁寿殿南隅間などに設けられた壇で、地面から上を床の高さまで版築で盛り上げてその表面を漆喰で塗り固めたものである。・・この石灰壇を地面に見立て地面に降り立つ代わりとしたのである。浴場、御引直衣着御、お手水の後、石灰壇にて円座に着座し、神宮が存在する東南の方角を向いて御拝は行われた。祈請の対象につい「禁秘抄」には「神宮・内侍所已下に御祈祷。寛平御記に社々多く御祈祷の由所見あり。八幡・賀茂等殊なる神なり」・・「建武年中行事」には「御心にまかすべし」とされている。・・」