扶桑略記「(治安三年1023十月)同十七日丁丑。入道前大相国紀伊国金剛峯寺に詣づ。則ち是れ弘法大師の廟堂也。路次に七大寺并びに所々名寺を拝見す。相従ふ人等、内相府(教通)、并びに民部卿(俊賢)、中宮権大夫(能信)、修理権大夫長経朝臣、前備後守能通、前肥後守公則、散位隆佐、左衛門大尉宗相、散位範基、兵部大丞源致佐、右衛門権少尉真重、同高平、前権少僧都心誉、前権少僧都永円、権少僧都定基、権少僧都永照、 . . . 本文を読む
今日は大海人皇子出家の日
日本書紀「(天智天皇即位十年671十月)「庚辰(17日)天皇の疾病彌よ留る。勅して東宮(大海人皇子)を喚び臥內に引入し詔して曰く『朕の疾ひ甚だし、以後の事を汝に屬す云々』。是に於いて再拜し疾と称して固辭し受けずして曰く『請ひ奉る、洪業を大后(倭姫王=天智天皇の妻で舒明天皇の娘)に付屬し、大友王をして諸政を奉宣せしめよ。臣は請願し奉る、天皇の為に出家修道せ . . . 本文を読む
今日は菅原道真が臨時仁王會の願文を書いた日
「菅家文章」「寛平七年(895宇多天皇)十月十七日、臨時仁王會呪願文」
「國主皇帝 仁王般若波羅蜜多に帰命頂礼し 発願無辺なり 所以は何ぞや 大宰府奏すに水鳥の妖、摂津国が言ふに両頭の犢、兵庫器鳥 官廳鷺集、天上の変徴 禁中の恠異、神人に宣べて語る所告云々、流星夢想 所見種々 之を卜筮に咨(はか)り之を陰陽に考ふるに、或は水火の災、或は
賊難、或 . . . 本文を読む
大師と南円堂は特別の関係です。
・「弘法大師行状絵巻」には「円堂鎮壇」として、「昔、大職冠鎌子、奉公の労によりて、藤原の姓を賜り、内大臣に拝任して,永く摂籙の臣たり。嫡男左大臣不比等、興福寺を建立して氏寺とせり。その後年序漸く移り、藤氏衰え廃れて殆ど他氏に移らんとす。ここに閑院左丞相冬嗣公、大師と師壇の契りあさからざるによりて、藤氏 . . . 本文を読む
(日本書紀・天智天皇即位十年671十月)「庚辰(十七日)(天智)天皇の疾病彌よ留る。勅して東宮(大海人皇子・第四十代天武天皇の皇太子時代)を喚び臥內に引入し詔して(天智天皇が)曰く『朕の疾ひ甚だし、以後の事を汝に屬す云々』。是に於いて(大海人皇子・天武天皇は)再拜し疾と称して固辭し受けずして曰く『請ひ奉る、洪業を大后(倭姫王=天智天皇の妻で舒明天皇の娘)に付屬し、大友王をして諸政を奉宣せしめよ。臣 . . . 本文を読む
今日17日から19日まで靖国神社秋の例大祭です。https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwiQm7eWhNDzAhWvGKYKHWBVDuEQFnoECAIQAQ&url=https%3A . . . 本文を読む
今日17日は伊勢神宮神嘗祭です。伊勢神宮の説明です。「神嘗祭は、6月・12月の月次祭と共に「三節祭」と呼ばれ、神宮の最も由緒深い祭典です。浄闇の中、午後10時と午前2時の二度にわたって由貴大御饌の儀が行われ、神宮神田で清浄に栽培された新穀の御飯・御餅・神酒を始め、海の幸、山の幸をお供えし、明くる正午には、勅使をお迎えして奉幣の儀を奉仕します。お祭りでは秋の実りに感謝申し上げ、皇室の弥栄、五穀の豊穣 . . . 本文を読む