日頃健康自慢の夫は53歳で末期の肝臓がんで他界した。高校3年の息子と私が残され私は夫の経営していた鉄工所の仕事に取り組まざるを得なかった。しかし家庭の主婦が男の従業員を使いこなす事は至難の技で毎日が針の筵だった。敏腕職人を引き抜かれ後補充に徹夜で走り回ったこともあった。何とか此れを切り抜けた矢先、大量の従業員を引き抜かれついに廃業せざるを得なくなった。
このころ社会人となった息子にたびたび見合いの話があったが、最後はまとまらない。知人が「未亡人の一人息子に嫁の来てはないよ」といった。覚悟はしてたが胸に突き刺さる言葉だった。色々考えた末四国遍路を思い立ち旅に出たのは昭和49年春だった。一寺ずつお写経を納めてひたすら「息子が良縁に恵まれますように」とお祈りした。息子は「おふくろは親父の後を追うのではないか」と心配したというほどやつれて疲れ果てていたが無事巡拝を済ませかえってきた。
しばらくして息子は心根のやさしい、気配りのいいすばらしい商家の娘さんをつれてきて「結婚することを親父の墓に報告してきた」という。結納も済み、うれしくてお大師様に御礼に51年2回目の四国巡拝をした。
こうして近所の皆さんにもほめられるすばらしいお嫁さんをむかえ二人の孫もできた。家庭円満、嫁姑の軋轢も皆無で、苦しかった頃の焦燥感もすっかり消え、心底から笑える幸せな日々が訪れた。54年に「此の幸せがながく続きますように』と3回目の遍路にでた。このとき横峰寺参道で靭帯を痛めてしまった。何とか帰宅できたが反省した。「自分だけの幸せをもとめたため怪我をした。これからは人のしあわせも祈ることにしてその結果として自分にも仏の恵みをいただけるようにしなければ」と思った。
59年はお大師様入定1150年なのでまたとめぐり合うことの出来ない機会と思い4回目の四国巡礼をした。
60年には亡父の25回忌を期に痛んだ墓を新しくし、神戸市内に墓所も求め、子や孫が参りやすくした。61年には息子の厄年の代参として5回目の四国遍路をした。
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