愚管抄巻七 その2/6
今かなにて書くことたかき(周知のこと)やうなれども、世のうつりゆく次第とを心うくべきやうを、かきつけ侍意趣は、惣じて僧も俗も今の世をみるに、智解のむげにうせて学問と云ことをせぬなり。学問は僧の顕密を学ぶも、俗の紀傳・明経をならふも、これを学するにしたがひて、智解にてその心をうればこそをもしろくなりてせらるることなれ。すべて末代には犬の星をまもる(諺で、犬は星を見てもそも意 . . . 本文を読む
二宮金次郎は安政3年10月20日(1856年11月17日)日光仕法の途中70歳で下野国今市村の報徳役所にて没しています。
金次郎の言葉で最も印象に残るのは「わが道はまず心田の荒蕪を開くのを先務としなければならぬ」(二宮翁夜話)です。
「観音信仰と坐禅の心」(清水谷恭順)には金次郎の観音信仰が出てきます。
「神奈川県の飯泉(いいずみ)観音は、板東(ばんとう)33箇所霊場の一つで . . . 本文を読む