福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

中村久子女史とお念仏「現実を引き受けたところにしか人生はありません」

2022-12-23 | 法話

◎三島多聞師(中村久子女史顕彰会代表・真宗大谷派真蓮寺住職)の龍谷大学でのお話から大意

龍谷大学でのお話



「中村久子さんは、両手両足のない人生を、喜びをもって生きた方です。
中村久子さんは、私たちからすれば身的障害の不自由さはありました。しかし我々は共に人間として「障害」を持っている、ということがいえるのだと思います。
正しい宗教の認識とは、久子さんの言葉を借りて言えば、「業の深さが胸のどん底に沁みてこそ、初めて仏のお慈悲が分からせていただけるのです。業の深き身であればこそ真実お念仏が申させていただけるのです。」ということです。翻訳していいますと、「現実を引き受けたところにしか真実はない」と解釈できると思います。この真実とは念仏であります。現実を引き受けたところにしか、念仏は申されないのであります。裏返して言うならば、念仏を申すところに「現実を引き受けて行く」力が沸いてくるということであります。だから中村久子さんは念仏に出遇ったがゆえに、両手両足のないことを愚痴り、恨み、人生に絶望していくのではなく、無手足の身を引き受けるだけの人物になったのだといえましょう。そしてそのことは、正しい宗教の認識であると私は思います。

「現実を引き受けた」ところにしか喜びはなく、幸せはない。あるいは、「現実を引き受けた」ところにしか本当の苦しみや悲しみは分からないということです。私たちは、喜んだり、悲しんだりしますが、久子さんの目から見れば、それは本物の喜びや悲しみではありません。妄想のようなものであります。では真実という言葉を「人生」という言葉で置き換えてみますと、「現実を引き受けたところにしか人生はありません」ということになります。こうなりますと、手があるとか、ないとかという問題ではなくて、私たち一人ひとりの生き方の問題として「現実を引き受けたところにしか真実はない」という言葉が生きてくる。
それでは、中村久子さんが『歎異抄』に出遇ったところについて・・。本当の出遇いというのは、その人生がひっくり返るような出遇いという事柄であります。そういう本当の出遭いをもってはじめて「出遇った」といわなければなりません。『歎異抄』通して自分の発想がでんぐり返ったのです。180度ひっくり返った。忘れようとしても忘れられない。生きる原点として『歎異抄』が忘れられなくなったのです。

久子さんは福永鵞邦という書道の先生が珠数をかけ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏を申していた姿をみて「浄土真宗の門信徒に出あい、手に珠数をかけ、念仏する姿に心動かされました」と書かれています。
そして「お念仏なさいませ、一切は仏様におまかせすることです。どんな時も仏様は私たち衆生をいだきかかえていて下さるのです。お念仏させて頂きましょう。 (大須賀秀道『歎異抄真髄』)」という書物を見て「そのお言葉はまさに干天に慈雨。―長い間土の中にうずめられていた一粒の小さな種子がようやく地上にそうっとのぞいて出始めた思いがしました。そして幼い日に抱かれながら聞いた祖母の念仏の声が心の裡に聞こえたのです。 (久子)」とも書いています。
 中村久子が聞いた南無阿弥陀仏はどのような南無阿弥陀仏かと申しますと、ここに記されている「祖母の念仏の声」であります。久子さんの手足は、寒いときには先が切れて痛みます。疼いて「痛い痛い」と言って泣きます。近所の人からは、少し静かにしてくれないかと言う声が聞こえます。近所の人も、一晩、二晩なら可哀想にと同情をかけてくれますが、毎晩毎晩続きますと、それはノイローゼになってしまいます。そこで、迷惑をかけじと久子を背負って、雪が降る中を、母ちゃんが2時間、ばあちゃんが2時間という具合に町の中を、「いい子や、なくなよ」と言ってあてもなく歩きました。
しかも、高山の雪は深い雪です。私の家内が新潟の出身で、先日報恩講があり少しお参りに行きましたが、新潟の雪というのは下から降ってきます。風が吹くものだから、雪が舞うわけです。しかし高山の雪は違います。風は吹かない。しんしんと落ちてくる。湿気を含んだ重くて深い雪です。ただ雪の白さだけが道を照らしている。
傷の痛さに泣く久子を背負って、ばあちゃんが歩いていきます。そしてその合間合間に、ばあちゃんが念仏を称えます。その念仏は、助けてくれという念仏ではありません。願いを叶えてくれるという念仏でもありません。両手両足を失って痛みで苦しんでいる孫を背負いながら、どうして私だけがこのような目にあわなければならないのか、何とかしてくれという念仏でもありません。「ただ一人念仏を申すほかすべはなく、念仏を申すほかこの今の私を包んでいる世界はない」「そのままの、ありのままを念仏と共にある」という念仏であります。
祖母の念仏の「声」が、久子の心の奥にずっと入っていって、「念仏申さんと思う」時をまっていたのでしょう。それが『歎異抄』に出遇って芽が出るわけです。久子さんは、ばあちゃんに聞いた親鸞さんのお話や、念仏のお話を今は正法として、親鸞聖人の言葉として聞いたと仰っていました。小さい時に聞いてきたばあちゃんの言葉が、親鸞聖人の言葉となって響いていると仰っていました。そういう背景が久子さんにはあるのです。そのばあちゃんの念仏は、理屈ではなく、いまの一呼吸、一呼吸を唯一支えている、まことの念仏であります。一息の南無阿弥陀仏がこの現実を受けさせている大きな力です。大悲の力です。それを中村久子さんは小さい時から聞いて育ったのです。それが改めて大人になって、42歳の時に『歎異抄』を通して、ばあちゃんの念仏が心にこみあげ、力が沸いてきた。それがこの文章でありましょう。

「そして幼い日に抱かれながら聞いた祖母の念仏の声が心の裡に聞こえたのです。 」
この『歎異抄』との出遇いによって、久子は傲慢な自我を見いだし、最初に自分を支えてくれた見世物小屋に、もう一度戻っていきました。
煩悩を引き受けたところにしか念仏は申されません。久子さん流に翻訳してみますと、「現実を引き受けたところにしか真実はない」のであります。煩悩を引き受けたら真実に出遇う、念仏に出遇う。念仏に出遇ったら、エゴに立っていたと気づいたのです。念仏に立った時、初めて親の立場から自分を見ることが出来たのです。今まで自分の都合でしか親を見ていなかったのが、この度の念仏の教えを通して真実の母に、真実の父に会うことが出来たのです。そして真実の自分に出会っていく。ここにこそ、救いがあるという如来の、念仏の教えに感動するのです。『歎異抄』との出遇いを別の言葉で言えば、弥陀の大悲の深さの中に、虚仮不実の宿業の深い自分に出遇ったということです。弥陀大悲の深さ、虚仮不実の身の深さ、その二つに出遇うということが、『歎異抄』に出遇うということだったのです。

                 
◎中村 久子の詩
 「はからおうとしても 何ひとつ自分の力で はからうことをしようとしない私 はからえないままに 生かされている私 怒りのままに 腹立ちのままに かなしみのままに 与えられないままに 足らないままに 生かされているこのひととき 手足のないままに生かされておる 真理の鏡によって 自分の 心のとびらを そうっと開いて のぞく そこにはきたない おぞましい自己があるーそして きょうも無限のきわまりない 大宇宙に 四肢無き身が いだかれて 生かされているーああこの歓喜 この幸福を「魂」を持っておられる誰もが共に 見出してほしい 念願一杯あるのみー。」

◎中村久子の歌です。

・この世にはこの手よりほかに手はなきと短くなれる手にいいきかす、
・手足なき身にしあれども生かさるる 今のいのちは尊かりけり。
・過ぎし世に いかなる罪を犯せしや拝む手のなき 我は悲しき









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