観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・23/27
七、聖観音の事。六観音の総体也。餘は皆一機一縁に対して化導に趣く時、暫く六種の身を示現し玉ふなり。六種未分の處は聖観音也。されば弥陀の脇侍の菩薩極楽補處の大士とは聖観音也。さて此の菩薩の種子をば「さ」字也(梵字。原文は「ま」となっているがあやまりか)。尊形は左の手に未敷蓮華を持って右の手に五指を伸べ玉ふ
而るに左未敷蓮華は迷へる衆生を表し右の五指を伸る事は悟りを表すなり。仍って迷の衆生己心の蓮華未だ開かず加持して之を開かしめ玉ふ義なり。其れに付て聖観音の聖は正也と釈する故なり。
「無垢清淨光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間」
此の一行は観音の化他の功徳也。次上の一行は観音の自行の功徳なり。「無垢清淨光」と云は三観の智慧なり。此の智慧が煩悩に染らざる故に清浄光と云也。此の智慧は能く煩悩の闇を照す故に「恵日破諸闇」と云なり。此の闇と云は五種の煩悩なり。「能伏災風火」の事。是をば生死の苦患と釈せり。常の風難には非ざるなり。柯山の周琳の註には、能伏災風火水と云べし、五言なれば水の字を略すといふなり。其の故は是水火風の三災の事なり。劫末の時火災は初禪までいたり、水災は第二禪までいたり、風災は第三禪までいたるなり。此の如く三災の起こる時も観音は能く衆生を利益し玉ふ。故に「能伏災風火」と云なり。去れば次下に「普明照世間」の言に聞へたり。之に付て慈鎮和尚の明恵上人に対して、普門品に阿弥陀の種子を説かんとたずね玉へば上人は「能伏災風火」の文のことかと答玉へり。是即ち「きりく」字(梵字)を説く文なり。「能伏」とは遠離不可得の「あく字」(梵字)なり。(梵字の「あ字」は本不生不可得、「あー字」は寂静不可得、「あん字」は辺際不可得、「あく字」は遠離不可得の意)。灾とは災禍の「いー字」なり。風は因果の「か字」なり。是風大の種字なるゆへなり。火は離塵不可得「ら字」也。此れ「か」「ら」「い」「あく」の四字を合成するは「きりく字」なり。此の字は観音の種子に用時は千手・如意輪の種子なり。佛果に約する時は阿弥陀即ち弥陀観音は因果の不同にて實には一体なるゆへなり。
「悲體戒雷震 慈意妙大雲 澍甘露法雨 滅除煩惱焔 諍訟經官處 怖畏軍陣中
念彼觀音力 衆怨悉退散」悲體の下の一行は観音の三業利益を頌すとみへたり。悲體といふは身業の利益なり。観音は慈悲を以て體と為し玉ふゆへなり。