福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

偶感

2023-11-22 | 法話

今朝も未明に道路掃除をしてきました。最近善行らしきこともしてないので貧者の一灯ならぬ、愚者の一貧行でしょうか。早朝は独特の香ばしい草木の匂いがします。思わず20年前に行じた求聞持を思い出して明けの明星を拝みました。

道路掃除をしていると、時々話しかけてくる人もいます。以前は浮浪者らしき中年男性に「ごくろうさまです」とお礼を言われたこともあります。こちらも「おはようございます」とあいさつしました。昔四国遍路でも何十回も回っているという身なりもボロボロのお遍路さんに「何十回も回っておられてすばらしいですね」と声をかけると「あなたさまこそ」と返された時のことを思いだしました。
又若い女性が、突然近ついてきて「どうして掃除しているのですか」と聞いてきたこともあります。口の利き方がたどただしくどうも酔っぱらっているようです。あまり係るとよくないと思って「ひまだから」などといってあしらったこともあります。

それにしても最近は随分道がきれいになりました。ほとんどゴミはありません。以前に比べると雲泥の差です。民度が上がってきているのでしょうか。嬉しい限りです。

そう云えばいま書き下している弥勒大成仏経にも、弥勒菩薩を迎える国は「街巷道陌は廣さ十二里。悉く皆な清淨にして猶ほ天園の如く掃灑清淨なり。・・」とありました。弥勒菩薩を迎えることができるようになると道もきれいになるというのです。

亦、掃除の功徳については「釈氏要覧」に次のようにありました。
『掃地、仏、逝多林におわすとき地不浄なるを見て衆生を樂福ならしめ勝福田に淨業を植えんと欲して、仏即ち自ら箒をとり掃はんとす。時に大聲聞見て、皆箒をとりて共に掃く。仏曰く、およそ掃くことについていわば、地に五勝利あり。一には自らの心を清淨にす。二には他者の心をして清淨ならしむ。三つには諸天歡喜す。四つには端正業を植える。五には命終して當に天上に生まれる。阿含経にいわく、仏、朱利槃特(しゅりはんとく・・愚かで自分の名前もかけなかった弟子)に「掃箒」の字を誦することを教える。仏いわくこの掃箒また名ずけて除垢となす。槃特是の思惟を作す。垢とは灰土瓦石也。除くとは清淨にすることなり也。佛此の教誨をもって我に思惟せしむるなり。。結縛はこれ「垢」。智慧は是れ「除」にあたる。今、智慧の箒をもって 結縛の垢を除くなり。此の便によって阿羅漢と成る。』

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