観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・23/27
七、聖観音の事。六観音の総体也。餘は皆一機一縁に対して化導に趣く時、暫く六種の身を示現し玉ふなり。六種未分の處は聖観音也。されば弥陀の脇侍の菩薩極楽補處の大士とは聖観音也。さて此の菩薩の種子をば「さ」字也(梵字。原文は「ま」となっているがあやまりか)。尊形は左の手に未敷蓮華を持って右の手に五指を伸べ玉ふ
而るに左未敷蓮華は迷へる衆生を表し右の . . . 本文を読む
続千載和歌集・後宇多院御製に 「十住心論の開内庫授宝」として「さとりいる十の心のひらけてぞおもひのままによはすくひける」とあります。 『秘密曼荼羅 十住心論』の略本たる『秘蔵宝鑰』に「九種の心薬は外塵を払って迷いを遮し、金剛の一宮は内庫をひらいて宝を授く」(第一住心から第九住心までの顕教は迷いを否定して覚りへ向かうが密教は直接の悟りの境地を目指す。)」とあります。後宇多院は密教に深く帰依されまし . . . 本文を読む
過酷な運命に次々と晒されつつも強くいきた中村久子女史のお念仏との出会。[念仏は、助けてくれという念仏ではありません。願いを叶えてくれるという念仏でもありません。両手両足を失って痛みで苦しんでいる孫を背負いながら、どうして私だけがこのような目にあわなければならないのか、何とかしてくれという念仏でもありません。「ただ一人念仏を申すほかすべはなく、念仏を申すほかこの今の私を包んでいる世界はない」「そのままの、ありのままを念仏と共にある」という念仏であります]
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「苦難の中でこそ、神仏を真剣に求めるきっかけを掴むことができる。そしてその神仏を求める気持ちの真剣さ切実さに応じて 神仏の臨在が痛切に感じられるようになる。そして自分が神仏と共にあると心から自覚できるようになるとき、私たちは初めて本当の「安心」を得られる。そこからは自分の浅はかな計らいは不要となる。そして、神仏にお任せしようと本心から思えるようになると続々と不思議な現象が起こり、利他行に励むことが . . . 本文を読む
観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・22/27
六、観音罪人の苦に代わり玉ふ事。法華傳に云ふ、修行者のありしが越中の立山に参り地獄廻をする時、或岩の上に女人一人居たり。修行者是を見ておそろしく思處に此の女のいふやうは我は近江國がもうふの郡の佛師の娘なり。父が佛を作て我を養たりし過によって地獄の落ちて有と語るなり。修行者の云様は其れならばなにとて心安げに地獄を出てそこに居るやと云へば女の云やう . . . 本文を読む
人となる道、略語(慈雲尊者)蒼々たる長天、物あり理あり。流行して道となり、うけて命となる。雲ゆき雨ほどこして品物形をしく。羽あるもの空中に翔り、蹄なるもの林藪に走る。その中人の霊たる、天地にまじはりて三才(天・地・人)と称す。拡て是を充す。一木一草も小天地なり。蠉飛蝡動(けんぴぜんどう、這うもの、体をくねらせうごめくもの)も一天地なり。相視て逆らふことなき、恩、禽獣に及び徳、草木に被る。世に処して . . . 本文を読む
観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・21/27
五、禅那維那姫の事。
昔天竺のある國に二人の長者あり。一人をば禅那長者と名く。一人は維那長者と名くるなり。各々姫を一人つ゛つ持ちたり。禅那長者の姫、無比の美人なり。維那の娘以外の悪女なり。此の二人の姫を内裏へ召されて帝王の近處に召仕へらる。而るに禅那の娘は美人なれば太子御寵愛なり。されば公卿殿上人も皆尊敬さるるなり。さて維那の息女は悪女なれば . . . 本文を読む
「高野春秋」「(貞観五年863)十二月、真如師の遺骨、羅越祇國より傳来す。是れ則ち在唐中瓘,書を寄せて送別する也。・・仍ち和州超昇寺に葬す。」
(マレーシアのジョホール・バルには、親王院が日本から御影石を運んだ高岳親王の供養塔があるようです。
超昇寺は、真如法親王が父・平城天皇が晩年住んでいた平城宮北側の楊梅宮を、835年に寺としたものです。) . . . 本文を読む
今日は大師の「三教指帰」が書かれた日です。三教指帰序末に「時に延暦十六年臘月の一日なり」とあります。三教指帰は、大師が24歳の延暦16年12月1日(797年12月23日)に成立、出家宣言の書とされています。序文の「支離懸鶉(不具・貧者)をみてはすなわち因果の哀しみ休まず。目に触れて我を勧む。誰か能く風を係がん」には大師のすべてが現れているように思います。「誰か能く風を係がん」とは逆に如何に親を含め . . . 本文を読む
観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・20/27
四、十九説法の事。
現身が丗三身ならば同じく説法も丗三なるべし。何ぞ十九の説法を挙るやと云に、經文には略して餘多の身を一處に挙げて其の下に一の説法を挙なり。故に經文に「而為説法」と云處十九ある故に十九説法と云なり。實には現身の如き説法の説法もあるべきなり。十九説法の相皃(相貌)の事。佛身を現じては阿耨菩提の法を説き、又佛身を現じては十二因縁を . . . 本文を読む
華厳経巻三十一佛不思議品第二十八の一「・・一切諸仏はすべては不生不滅でそれを受け取る存在と云うものはないことを知り、色受想行識も不生不滅であり、すべては皆悉く実体はなく知覚もないと知る。宇宙の所有者はなしと知って而もまた一切のものの姿を壊すのでもない。一切はそれを起す者があるのでもなく、悉く虚空の如く、一切のものは実体がなく従って業の報いがあることもなく、学ぶものも無く、成就ということも無く、数も . . . 本文を読む
今日は平安末期の真言僧興然師の示寂された日です。以下密教辞典等によります。読み方は、こうぜん・こうねん。字・理明坊・勸修寺御坊・慈尊院阿闍梨。生年:保安2(1121)、没年:建仁3.11.30(1204.1.3)。勸修寺慈尊院二世。寛信に随って両部大法・護摩・諸尊儀儀軌等を学び、念範・実任・亮薫等から受法8回、真言系各派の密教修法を再び統合し後世に伝えるために,多くの儀軌や曼荼羅・図像を精力的に収 . . . 本文を読む
「本朝皇胤紹運録」(第九十八代・北朝三代崇光天皇)「明徳三年1392十一月晦、御落飾。法諱勝圓心」
崇光天皇・・・14世紀、北朝第三代の天皇。在位1348〜1351。光厳天皇の第1皇子。足利尊氏が南朝にくだったため廃位される。のち、南朝方に捕らえられて賀名生(あのう)に移され、さらに帰京して出家。 . . . 本文を読む
観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・19/27
三、 三十三身の義の事
別の丗三身とは十界に三諦を具れば丗、観音の三諦を加て丗三身と云に、所詮種々無量の身を現じて衆生を利益し玉へども十界の身を現じ玉ふ外には之無き故に丗三身と云も外には之無し。而に衆生自然と観音の利益に預かる事たとへば月も下り下らず、水も上り上らず、而も . . . 本文を読む
神皇正統記には「真言第一」としつつ「為政者は諸宗を捨てず庶民教化の機をつかむべし」としています。
「神皇正統記・嵯峨天皇の条」「・・・東寺は桓武遷都の初め、皇城の鎮めのためにこれを建てらる。弘仁の御時、弘法に給ひてながく真言の寺とす。諸宗の雑住を許さざる地なり。
此の宗を神通乗と云ふ。如来果上の法門にして諸教に越えたる極秘密と思へり。就中我国は神代よりの縁起、この宗の所説に符合せり。(大師の作 . . . 本文を読む