今日弘仁六年四月一日は大師が「諸の有縁の衆を勧めて秘密の法蔵を写し奉るべき文」を草された日です。「諸の有縁の衆を勧め奉って秘密の法蔵合わせて三十五巻を写し奉るべし。それ教は衆色に冥ひ、法は一心に 韞つ つめり(法は衆生の心にある)。迷悟機殊にして感応一にあらず。この故に応身化身影を分かって類に随い、理佛智佛(胎蔵界の理法身大日、金剛界の智法身大日)秘宮にして楽を受く。一乗三乗鑣を分かちて生を駆り、 . . . 本文を読む
天平勝宝元年749,4月1日は聖武天皇が東大寺に行幸し「三宝の奴」と称された日です。続日本紀に「天平勝宝元年(七四九)四月甲午朔》○夏四月甲午朔。天皇幸東大寺。御盧舍那仏像前殿。北面対像。皇后・太子並侍焉。群臣百寮及士庶、分頭。行列後。」勅、遣左大臣橘宿禰諸兄。白仏。三宝〈 乃 〉奴〈 止 〉仕奉〈 流 〉天皇〈 羅我 〉命盧舍那仏像〈 能 〉大前〈 仁 〉奏賜〈 部止 〉奏〈 久 〉。 . . . 本文を読む
『日本書紀』(天武四年(675)四月)「庚寅、詔諸國自今以後、制諸漁獵者、莫造檻穽及施機槍等之類。亦、
四月朔以後九月卅日以前、莫置比彌沙伎理・梁。且、莫食牛馬犬猨鶏之宍。以外不在禁例。若有犯者罪之。」
(天武天皇は4月1日から9月30日の間に牛、馬、犬、猿、鶏の肉食を禁止し、加えて「檻穽」(落とし穴)「機槍」(機械仕掛けの槍)といった猟具や「比彌沙伎理」(不詳)「梁」といった . . . 本文を読む
詩篇42:6-11に「わたしはわが岩なる神に言う、『何ゆえわたしをお忘れになりましたか。何ゆえわたしは敵のしひたげによって/悲しみ歩くのですか』と。わたしの仇は骨も砕けるばかりに/わたしをののしり、ひねもすわたしにむかって/『おまえの神はどこにいるのか』と言う。」とある。
(人生は苦である。この世は地獄である。獄苦の最中ではこう思うことがある。「勝者には神がいても、敗者には神はいない。富者に神は . . . 本文を読む
日頃健康自慢の夫は53歳で末期の肝臓がんで他界した。高校3年の息子と私が残され私は夫の経営していた鉄工所の仕事に取り組まざるを得なかった。しかし家庭の主婦が男の従業員を使いこなす事は至難の技で毎日が針の筵だった。敏腕職人を引き抜かれ後補充に徹夜で走り回ったこともあった。何とか此れを切り抜けた矢先、大量の従業員を引き抜かれついに廃業せざるを得なくなった。このころ社会人となった息子にたびたび見合いの話 . . . 本文を読む
今日三月三十日は大師が比叡山に登られて西塔釈迦堂の落慶供養をされた日です。大師は六一歳でした。当時伝教大師はすでに崩御されていました。弘仁十三年822六月四日「天台座主記」によると「承和元年834三月三十日西塔院供養檀主 座主円澄年六十三両塔内供建立主私号寂光大師導師 元興寺護命僧正 年八十五呪願 空海大僧都 年六十一讃 真済 年三十五梵音 光空 年五十六円仁 年四十 一錫杖 安恵 年四十一恵亮 . . . 本文を読む
「元慶寺(注1)の鐘銘一首幷序(菅家文章)」
此の寺の此の鐘有る、弘誓甚だ深し。至心等しきこと无く、元胎願を発す。其の人の八万蔵を開くに遇ふ。九乳誠を翹(はげま)し、彼の力の三界に及ばむことを待つ。是故に日融内に應じ、霜氣外に催す。皇帝馭(おさめたまふ)暦の四歳己亥、月庚午を建つ。八日丁酉(元慶三年五月八日)、金火事を用ひ、治鋳功を施す。禅器を謹む也。梵音を唱ふる也。有縁行道の徒をして圭漏を窺ひ . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻2/6・16/24
十六祈親和尚観音の告げに依りて高野山を再興し玉ふ事。
持経上人祈親は何の處の人といふ事を詳らかにせず。七歳にして父に離れ十三歳にして興福寺に至って法相宗を学す。幼にして聡慧の誉あり。然るに母の大病なるを聞て家に帰りて看病し玉ひ性至孝なり。母を出家せしめて後終に母死す。上人大に憂て日夜に法華経を誦して二親の祈るが故に時の人祈親和尚とぞ申しける。行年六 . . . 本文を読む
太平記巻四十 蒙古日本を攻むる事 付けたり神戦のこと「 つらつら三余のいとまに千古の記文を看れば、異国より吾が朝を攻めしこと、開闢より以来すでに十一箇度に及べり。故文永・弘安両度の戦ひは、太元國の老皇帝、支那四百余鰍をうちとって勢ひ天地を凌ぐ時なりしかば、小国の力にて敵しがたかりしかども、たやすく太國の兵を亡ぼして、吾が国無為になりしことはただ尊神・霊祇の冥助によりし故なり。その征伐の様を聞けば、 . . . 本文を読む
仁王護国般若波羅蜜多経
開府儀同三司特進試鴻臚卿肅國公食邑三千戸賜紫贈司空謚大鑒正號大廣智大興善寺三藏沙門不空奉詔譯
(この経は仏が波斯匿王の為に護国の法を説き賜うもので八品あり。上巻に序品第一(仏が王舎城鷲峯山にいませしとき無量の菩薩四部八部衆が囲繞していたことを説く)、観如来品第二(仏が佛果を護り、十地行を獲るべきことを説く)、菩薩行品第三(十地行の次第を説く)、二諦品第 . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻2/6・15/24
十五観音経蛇と化して人を助け玉ふ事。
昔何れの時代にやありけん、鷹を取りて活命する者あり。或る時鷹の逸したるを捕へんとて飛ぶに随って往ける程に遥かなる山の奥の岩尾の上に喬木のありけるに鷹の巣くひたる見付けていみじき事見付けたりと嬉しく思ひ帰りて後今は雛もよき程に成りぬらんと覚へる程に雛を捕んとて又往て見るにえもいはぬ深き谷の上に指覆ひたる曲がみに巣 . . . 本文を読む
山岡鉄舟は「書法について」で「・・余かって慶応の昔、音羽の護国寺に参する時、遇々堂殿の一隅に書幅の懸掲せらるるを拝す。字体、脱俗。筆勢邪なし。恰も雲煙龍飛するが如し。転々敬服の感に耐えざらしむ。咫尺して拝視すれば嗚呼是正しく聖佛弘法大師の御手蹟なり。余は其の筆意の妙趣、只之を状すべからずと雖も、日夜欽望の念止む事能わず。爾来僧俗諸先輩に請ふて大師の御手蹟を集むる事幾数種。暇毎に拝写すること数年、漸 . . . 本文を読む
今日は神秘思想家ルドルフ・シュタイナーの命日です。「シュタイナーは-1925年3月30日、64歳で没しています。日本でも「シュタイナー教育」が有名ですが、当方は求聞持行を修したものとして、シュタイナーの提唱したといわれる「アカシックレコード」に興味があります。お大師様や興教大師をはじめ昔の求聞持行者の方々はこの「アカシックレコード」にアクセスできていたのではないかと思うのです。「アカシックレコード . . . 本文を読む
今日は方丈記が書かれた日です。 方丈記の最後に「時に、建暦2年(1212年)、弥生の末日ごろ、桑門の蓮胤(鴨長明)、外山の庵にて、これを書きとどめる」とあります。この中には疫病の記事もあり当時も京都だけで四万人以上が死んでいます。当時の僧侶は死者の額に阿字を書いて回っています。阿字は我々が帰っていく大日如来の世界です。そして最後は「三界は、ただ心ひとつなり」としています。「・・前の年(養和の時代。 . . . 本文を読む
今日は光厳天皇が般若心経を写経され春日大社に奉納された日です。春日社への奉納写経の奥書には『延元元年三月二十九日、春日社に奉納せんがため、これを書写す。願はくは四所明神の利益によって、速やかに三界衆生の願望を満さん。』との記述があります。 文化庁の文化遺産オンラインに「重要文化財・光厳天皇 般若心経」があります。解説に「光厳天皇(1313~1364)が、延元元年(1336)伊勢大神宮、石清水八幡宮 . . . 本文を読む