般若寺文殊菩薩像造立願文
「造立し奉る、白檀木丈六文殊菩薩像一躯。
御身裏に圖し奉る五字文殊曼荼羅。八字文殊曼荼羅。金剛界曼荼羅。胎蔵界曼荼羅。
御身内に納め奉る、佛舎利五十三粒。大般若経一部六百巻。般若心経一千巻。寶筐印陀羅尼一千遍。本尊真言一萬遍。餘尊真言各一千遍。一字三禮妙法蓮華経一部八巻。同開結二経阿弥陀般若心経各一巻。同最勝王経一部十巻。比丘比丘尼菩提心願文七十五通。奉加帳一通。
華座中に奉納す、受菩薩戒七衆三萬百五十八人の名帳。幷に所々殺生禁斷等状五十六通。
夫れ三世十方の諸佛は恒沙の数も喩に非ず。六度四依(正法を護持し世間の拠り所となる人。①具煩悩性②須陀洹斯陀含③阿那含④阿羅漢の四者)の大士は刹塵の量も覃(およ)び難し。
皆是無縁の大悲に牽かれて随機の化用を垂るに非ずといふことなし。厥中、文殊菩薩は殊に覺母の乳水を灑で、三千界の稚子を救ひ普く平等の慈光を放つ。五道の迷徒を照らし、十悪と雖も名號を聞く者を引接し、阿鼻重罪を滅するが故に、一闡提と雖も捨てず。形像を拝する者は薩埵の大心を發する之故に。人として情あるもの誰か歸敬せざらんや。就中、鶴林に滅を唱ふるの後、二千餘廻の歳月、空しく龍華下生の期を過ぐ。五十六億の風煙、猶前佛後佛の間に逈(はるか)なり。劫濁見濁の今、恣に顕密の教えに逢ふ、聊か因果の理を信じ、倩つらつら大法値遇の縁を思ふ。偏に是れ大聖流演の力なり。何ぞ唯だ龍猛菩薩の加被に預かりし也。忽に上乗秘蔵の樞(とぼそ)を開く。戒顕論師の夢告を感ぜしなり。
(『三宝感応要略録』で病苦に堪えかねて、断食死を決意した戒三論師の夢枕に、観音・弥勒・文殊が立ち、病苦は前世の宿業であるから断食死ではなく懺悔利生が肝要である。近く訪ねて来る震旦僧(玄奘)に正法を伝えれば都卒往生できる、といわれその通りに後から来た玄奘三蔵に『瑜伽論』等を悉く捨瓶した話がある。)遂に中窓傳持の器を得る。而のみならんや、抑々人の世に在るや、只だ一旦の名利に耽着す。更に永劫の沈淪を願はず。東に趨り、西に趨り、悪業は山嶽を積む。朝に營し夕に營し善根は涓塵もなし。矧いはんや漁猟を業として鎭(とこしえ)に山水の生を殺し、艶色を衒て、常に衆庶の心を迷す。之に加へて或は盲聾の報を受るの者あり。或は疥癩病の者あり。彼の前業と謂ば則ち誹謗大乗の罪なり。泥梨を歴むと雖も、猶未だその現報を悉くは見ず。亦乞孤独の苦、但し衣食を望み他念無し。解脱何の日ぞ。流轉の絆、彌よ纏ふ。出離いずれの期ぞ。牢獄の捷とざし、堅く鏁(とざ)せり。悲哉悲哉、為何為何(いかんせんいかんせん)、偏に文殊の威神を仰で以て済度の導師と為すには如かず。茲に因って深く丹棘無貮の願を発し、白檀丈六の像を造り奉りて、其の造営の儀更に常篇に絶へたり。奇肱の斧(すぐれた仏師の腕)を下すより、畫工の筆を閣く迄、一々の巧匠、皆八支の斎戒を受持す。面々の助成は悉く自然の信心より起る。いかに況や佛骨を鏤(ろう)して、以て白毫に代え、宜しく無明の癡闇を照らすべし。般若を納めて、以て精神と為す。盍(なん)ぞ有執の妄我を除かんや。其の外の顕密の法文、彈記するに遑(いとま)あらず。凡そ厥の功徳を集めて體と為すを、誰か之を木像の尊と謂ん。善根を積んで粧と為す。寧ろ生身の威を具へざらんや。爰ここに一霊の塲(ジョウ場所)あり。稱して般若寺と曰ふ。南に死屍の墳墓あり、亡魂の媒を救はんが為に。北に疥癩の屋舎あり。宿罪を懴するの便を得る。仍に此の勝地を擇び安置奉る所なり。既に而来文永四年1267之秋、大悲の蓮眼を開くと雖も、今暮春下旬の日、重ねて無遮の檀施を設く。彼は瑜伽の軌則に就り、内證甚深の秘法を修す。是は應化の先跡を慕ひ、資くるに疥癩孤独の飢苦を以てす。縡こと已に大聖の本誓に叶へり。豈に敢て生身の影向を疑んや。即此の齋會に續く。永く日々の供具を備へ、之を乞匈に施し、各々の追求を息んと欲す。但し哀襟切なるの餘り、永代の願いを發すと雖も手鉢常に空し。争でか一日の資に堪ん。只だ三寶の冥助を仰ぎ、偏に十方の檀主に任す耳。然れば則ち、善願を興し一塵を捧ぐるの人、施行に預かり一食を受くるの輩、永く貪欲の着を離れ、遂に禅悦の味を甞めんことを。嗟呼、日に居ること馳するが如く、白駒の景(えい)繋ぎがたし。夜臺(やだい墓)は遠きに非ず。屠羊の歩漸く近し。一たび息空しく絶えなば、千悔何の益かあらん。急ぎても猶急ぐべし。励みても亦励むべきものかな。先ず功徳を捧げ聖朝を祈り奉る。次に景福を分ち、普く法界を利せん。惣じては、此の大聖に纔に小因を結ぶの者、順縁逆縁なりとも共に般若の勝智を得ん。有性無性も同じく菩提の善信を生ぜん。乃至、遠近の諸寺梵閣基(もとい)堅く、顕密の学侶、法燈の光朗(あきらか)ならんことを。敬って白す。
文永五年1267三月廿五日 沙門叡尊敬白 已上願文 」
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