地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の4/13
四、白髪黒髪に轉ずる事
中古大和國三輪と申す所の旁に神女の孫にて侍る女年十六歳にぞなりける。父は藤原氏の人なるが世の乱れに成り下りて地下人(庶民)と成りけり。母は神女なり。然るに彼女生得髪の白きこと老女の如し。こはいかなる罪障やらんとあけくれ是を哀しみ常々神前にて此事を祈りけれども神女心の求少しも験なし。長谷寺近ければ常に参りて此の事をのみ祈りけるが、佛力も轉じがたくや、いまだ御利生のなかりけり。或人の曰、矢田寺の地蔵こそ
霊験無双と聞くなれば彼の寺にこもりまことをつくして祈りけり。三七日の暁、夢中にさしもたけたかき御僧の枕のほとりにたち玉ひの玉ふは汝が前生の事をみせんとて、引き連れて大殿の中央に大なる高臺のありける所にいたり玉ふ。見あげてあれば臺の上に八面の大圓鏡をすへられたり。彼をみよと指し玉ふ鏡に影のうつるを見れば、三世のことごとくあらはれたり。されば前生にては法師にて愚痴鈍漢の徒者(いたずらもの)なり。斯に愚の思所地蔵の御頭の青き事は心得られぬこと事なりとて、法師の頭ならば白くこそあるべけれとて青き荘厳を洗ひ去て下地の粉白々とあらはれ玉ひたるを、見る人ごとに心得られぬ事なり、あをくこそあるべきことを、と申しければ、我がはからひたる事を人のそしれると思ひて弥よ白色にぬりけるを拝し奉る人、白髪地蔵とぞ申しける。其の報ひここに感得して愚痴の女人と生れて白髪を頂く身を得たりと見て夢さめたり。母に此の事を語りければ、さらばやすき事よとて一千躰の地蔵を造り奉り御頭を青色に彩色したてまつり過去の罪因を懺悔し罪を滅せんととて御長六寸に作り一千人にほどこし一心に地蔵を頼り奉りければいかがしたることやらん、」俄かにをそろしき病に犯され今をかぎりに成ければ父母は神につかへる人なれば生滅門を忌むならんとて、さりがたくは思へども神事ををそれありければ打ちすてて出去りぬ。僧中に傳へ聞き受けておどろき出去玉へと云へども、答る人なし。あやしみ入りて見れば更に人なし。片隅に屏風引きまわし衣引きかずきたる女、虚くなりて屁べりけるが角あるべきことならねば、夜にまぎれて送り舎(すて)んと初夜の尅(午後六時から午後九時)に行き見れば息吹き出してよみがへりける。さて何なる人ぞと問ひければいまだ言氣色はなかりける。彼の僧房へしばらくいたはりければほどなく氣色も本のごとくなりぬ。さすが病悩や重かりけん、髪は悉くぬけ落ちにける。とかくする内に黒髪ゆたかに生出したり。容顔も常の人にすぐれし其の親族をたずぬれども、かくすてられし身の父も母もなき者なりとて泣き居たり。僧の曰、今は人心つき給へば何方へなりとも行き玉へ、とあれば更に行くべき所もなし。たのみまいらするよし申さるるほどに、京都にさりぬべき知人ありける方へのぼせ奉り、とりふきときめきたる人の氏姓をかりて公にまいらせたりければならびなく、目出度人にぞなり玉ひける。子細あるゆへに共の名くはしくのべず。誠にこれありがたき御利生なり。
引証。十輪経に云、若し諸有情諸根不具、損壞有るに随って、能く至心に地藏菩薩摩訶薩を稱名念誦歸敬供養する者あらば、一切皆諸根具足し損壞あることなきを得ん(大乘大集地藏十輪經序品第一「若諸有情諸根不具隨有損壞。有能至心稱名念誦歸敬供養地藏菩薩摩訶薩者。一切皆得諸根具足無有損壞」)。