福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

坂東観音霊場記にみる第21番日輪寺、第22番佐竹寺の縁起

2010-11-11 | 法話
坂東観音霊場記にみる第21番日輪寺、第22番佐竹寺の縁起です。
「第二十一番常陸八溝
常州久慈郡八溝山日輪寺は人王五十一世平城天皇の御宇、大同年中弘法大師の開基なり。大師神霊の告げによって十一面大悲の像を彫み、二尊両所にこれを安置す。弘法大師湯殿山より鹿島潟へ趣きたまふとき、此の八溝山の麓に至って大なる渓河を渉りたまふ。しかるにその流水甚だ香気あり。大師此の水を掬いたまへば、掌中に梵文浮む。大師怪しみ思へらく、この水上の山こそ必ず仏陀の浄土ならんと。・・・大師絶頂に至り山の形を見たまふに八葉の覆蓮華の如く、峯より八個の谷分れ、山水八方に流れ落ちる。よって八溝の嶺と号す。神人左右よりいできたり、各々大師に対して曰く、此の嶺は十一面観世音利生方便の浄土なり。・・・ひとりは曰く大己貴(おおなむち)。ひとりは曰く事代主(ことしろぬし)と。・・・すなわち十一面の尊像二体てずから五尺余に彫刻して、この八溝の嶺に安置したまふ。

巡礼詠歌「ふみまよふ やみぞの嶺の 雲晴れて 月の光を 見るぞ嬉しき」


「第二十二番同国佐竹寺
常州久慈郡天神林邨妙福山明音院佐竹寺は花山法王の御発願元蜜上人の草創なり。本尊十一面の像は聖徳太子の手彫なり。法王護持の聖体なり。・・・正歴年中花山法王坂東御巡礼の時、八溝山を下向したまへば衆多の神等出向へ、慇懃に法王に曰く往昔日本武尊(やまとたけるのみこと)東夷征伐したまふとき、ここに天神七代のみ霊をまつり、夷退治をいのりたまふ。しかしより我等大神を補佐して東国の安寧を衛る。しかるに星移り、物換わり、土人も神の存在を知らず。社頭も鳥獣の住となる。・・・時に法王大悲の像を従僧にあたへ、是は聖徳太子の彫みたまふ、諸神の本地十一面大士なり。汝等はやく此の地に安置して神慮の法楽に備えよと。すなわち従僧元密上人は法王の叡慮をうけたまはり新たに六尺余の立像を彫って太子の作を胸の間に納。一宇を構て此を安置し、坂東巡礼の道場となす。これ当寺の草創の因縁なり。

巡礼詠歌「いつまでか直なる御世の佐竹寺 法の栄えも際なきかな」
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