自誓受戒記(叡尊)
1,はじめに・・・叡尊は鎌倉時代中期真言律宗(四分律・梵網戒を併せて修する)開祖。字は思円。謚号は興正菩薩。この興正菩薩叡尊が覚盛・圓晴・有厳と共に東大寺に於いて自誓受戒したのが嘉禎元年1236叡尊菩薩36歳の時。
・『感身学正記』には「(嘉禎元年1236)九月一日、各自誓、近事男となる(五戒を受ける)、二日沙弥となる(十戒を受ける)。三日、圓晴・有厳菩薩苾芻位に登る(具足戒を受ける)。四日、覚盛と予(叡尊)菩薩大苾芻位に登りおわんぬ。・・」とあり。
・『西大勅諡興正菩薩行実年譜』には「敬って律鈔を開き、如来の正法を以て自身の所行を校(くらべ)るに、宛も明鏡の醜陋の形を照らすが如し。亦澄水の疲破の影を宿すに似たり。進んで更に受具せんと欲するに、能所の縁備え難く、退いて俗形に復さんと欲するに、狂人の責脱し難く、ここに於いて重ねて思念すらく、菩提薩埵、律儀戒を受くるに、別受有り、通受有り。通受の方軌に従他有り、自受有り。設ひ従他は成りがたくとも、自受は何ぞ成らざらんや、ここを以て、去る嘉禎二年歳次丙申八月下旬、三世十方の三宝に祈りて、以て夢中の告を被り、閻浮第一の霊像(東大寺大仏)を拝し、以て現前の瑞を感じ、当時の歓喜身に余り、感涙眼に浮かぶ。遂に、同年九月上旬を以て、東大寺羂索院(法華堂)に於いて、大聖観自在菩薩の御前に対し、四人の善伴同じく誓約を来際に期し、互に証明を現前に仰ぐ。面々、瑜伽自誓の羯磨を誦して、各、在家出家の戒体を成ず。爾るより以来、菩薩の大僧、漸々に寺寺に遍す。正法の威光、新たに処々を輝かす。衆僧の円満すること難きに非ず。闍梨の如法また備われり。之に依りて将に諸徳の慈悲を蒙り、更に別受の軌則を遂ぐ。」とあります。
金剛仏子叡尊感身学正記に「(建長元年(1249))五月十九日夜、招提寺長老覚盛上人、(學律房、広大利他願を発し後に号を改め窮情房)新浄衣に更衣し、裳上に二十五帖大衣を被り、頭北面東西、右脇にして臥す。左手に香炉を持ち、右手頬に舒す。口に大乗の文を唱え、心は法性の理に縁じ湛然として眠るが如く卒去す。」とあり。
2,自誓受戒記(叡尊)
「弟子叡尊剃髪以後二十ケ年生年三十五歳、嘉禎元年1235乙未三月十八日東大寺戒壇院に於て興福寺圓晴律師所講の四分律抄を聴聞始む、春秋二季、上巻四巻談義畢る。同二年丙申三月二十六日より七月十七日迄中巻下巻獨學畢りぬ。凡そ去今両年學律之間任聖教之趣顧往年之事、剃髪十七歳之始より三十六歳之今まで、二十ケ年外道に非ず内道に非ず、剃髪染衣して称□□故受戒成ぜず随戒又闕す、故に七衆(比丘・比丘尼・式叉摩那・沙彌・沙彌尼、優婆塞・優婆夷)の中に入らんと欲す、無輩欲置大小の内失席不脱大賊号可□、奈梨の果、是れ併せて知識に遇はず律教を見ざるに依る也。重ねて受戒せんと欲す。身器已に損じ、師僧亦難なり。別受(注1)に軌則有り。望無力、然れども義寂師(10世紀天台中興の祖。以下に引用する「菩薩戒本疏」を著す。)云ふ、菩薩法中此の経不分七衆□□若し占察に准□□受戒皆両受(注1)に通ず云々(「菩薩戒本疏」に「菩薩法中、此經不分七衆之受。若准占察。七衆受戒皆通兩受」とあり。」)。其の中、通受の軌則□□黄門不嫌余趣非犯七遮背悉受得者経論誡説也。弥勒所造の自誓の羯磨自ら誦せんと欲す、速かに菩薩大比丘戒に変じ、以て教て師訓ずるに但だ自誓受は必ず好相を用ふ。好相とは経に云ふに、若し仏子滅度後好心を欲せば菩薩□□□を受くべし。佛菩薩の形相の前に、自誓受戒すべし、乃至若し好相を得ざれば佛前と雖も受戒名を得ることを得ず云々(「梵網経」に「若し仏子、仏滅度の後、好心を以て菩薩戒を受けんと欲せん時は、仏・菩薩の形像の前に自誓受戒すべし。当に七日をもって仏の前に懺悔し、好相を見ることを得れば、便ち戒を得。若し、好相を得ずんば、応に二七・三七・乃至一年にも、要らず好相を得べし。好相を得已らば、便ち仏・菩薩の形像の前に戒を受くべし。若し好相を得ずんば、仏像の前にも受戒すれども、戒を得べからず。若し、現前に先に菩薩戒を受くるの法師の前に、戒を受くる時は、要ずしも好相を見ることを須いず。何を以ての故に、是の法師、師師相授するが故に好相を須いず。是を以て、法師の前にして受戒せば即ち得戒す。至重心を生ずるを以ての故に、便ち得戒す。若し、千里の内に能く戒を授くるの師無くんば、仏・菩薩の形像の前にして戒を受けよ、而も要ず好相を見るべし。若し法師、自ら経律大乗の学戒を解せるに倚りて、国王・太子・百官に以て善友と為り、而も新学菩薩来たって若し経義・律義を問うに、軽心・悪心・慢心を以て、一々に好く問に答えずんば、軽垢罪を犯す。第二十三軽蔑新学戒」)。法蔵云ふ、好相とは佛摩頂等具には経文の如し云々。此等の釈校下経文□佛来□頂見光華種々の異相而して明ならずして夢覚む。法蔵(以下の「梵網經菩薩戒本疏」を著す)云く、好相を見る中既に不言、夢見、覚見甚だ難し云々(「梵網經菩薩戒本疏・無徳詐師戒第四十一」に「又見好相中。既不言夢見。覺見甚難。若得此相。舊戒還全。更不須受。若不得此相。舊戒已失。故云現身不得戒。此是上品纒犯故失戒也・・」)。法進(鑑真の弟子の唐僧。「東大寺授戒法軌」「註梵網経」などの著)注して云く、□□□□見相に二相有り、一は夢に見る、二には覚悟時に於いて見る。俱に滅罪を得る。用心以て諒重する故に能く見る。其の相見の心喜び、其の罪根を滅し方に受戒に堪ふ云々。方等経に云ふ。又文殊師梨何ぞ當に知得すべきや。夢中に見る□□□□摩頂若し父母婆羅門者旧有徳、如是等の人、若し与に飲食衣服□具湯葉當に知るべし是の人、清浄戒に住む。若し如是を見ば當に向くべし□説□法□□。如是の罪咎云々(「大方等陀羅尼經・護戒分卷第四」に「又文殊師利云何當知得清淨戒。善男子、若其夢中。見有師長手摩其頭。若父母婆羅門耆舊。有徳如是等人。若與飮食衣服臥具湯藥。當知是人住清淨戒。若見如是一一相者。應向師説如法除滅如是罪咎。」)。
此等の□夢想の思を感じ定めて畢る。同年七月十八日常喜院に到り覚盛學律房に謁し、種談話の次で彼の人□□□□□□人人同心志願在の両三人既に加行を始め好相を祈請し、来る九月一日より東大寺羂索院に参籠し勤て精進を致すべき云々。爰に叡尊願既に得□□可為□□□□申請畢退出之□□懺悔を致す、其の内、八月十一日より四分比丘戒本暗誦、同廿四日畢。同廿六日常喜院に到り彼の談話に云ふ、三人已に好相を得たり云々と。是に於いて叡尊未だ好相を得ず、悲歎甚深夕べに東大寺大仏殿に詣で通夜祈請の廿七日の夜、戒禅院に於て□好相有り。不記□□日已時毘盧遮那仏御□□□に於いて、誠至祈之即開目の剋、黄色の帋葩(かみはな)□枚雨下る。驚きて見上るに又三葉下る。都て五葉也。時に叡尊思念す、既に光華のごとき種々の異相の経文御戒敢て捉ふべからず。又其の夕べ戒禅院の通夜祈請の夜半過ぎ、一(雨かんむりに侵)夢見る。叡尊親父一富貴人の女、五・六歳ばかりを将し叡尊に賜ひ命じて云く、□□人汝妻一期□□云々。悟て後、好相を得ずと思惟す。剰さえ悪夢を感じ悲歎休即仏前に詣で、弥よ至誠に之を祈る。仏前に思惟するに前の夢想の女は□也、戒即順解脱の本解脱即理又得戒とは福田なり、永く乏すべからず。思い直し畢りても猶不快なる故に祈請休まず、即ち不寤不寐想長岳寺霊山院師匠大阿闍梨御前□□□根本梵字両界感得の金剛界之を披覧す。其の後得戒の義止む。疑ひ殆ど同じ。三十日圓晴尊性房、有厳長忍房、覚盛學律房、羂索院に参籠畢。九月一日各自誓し近事と為る。□□□沙弥、三日圓晴有厳は菩薩大比丘と為り畢ぬ。四日覚盛□叡尊自誓し素懐を遂げ畢ぬ、叡尊午初分成畢本日なり。廃忘に備える為に略之を記す。
嘉禎二年丙申九月」
(注1)別受・通受・・・別受とは三師(戒和尚、羯磨師、教授師)七証のもとで、白四羯磨(説戒一回に対し三回確認する)により摂律儀戒(四分律の具足戒・比丘は二百五十戒)のみを受け摂善法戒と摂衆生戒は別の機会に受けるもの。通受とは三聚浄戒による菩薩戒の受戒法で摂律儀戒・摂善法戒・摂衆生戒の三つを通じて受けることが出来る。『四分律』の具足戒と『瑜伽師地論』の四他勝処法を折衷して授かる。中世以降の南都では通受受戒が主流となる。自誓受戒は通受。