福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

リーダーと仏教

2012-03-31 | 法話
「国家の品格」で数学者藤原正彦氏は宗教心の厚い、品格のある国が栄えると喝破しました。
ドラッカーは「経営者は、学習して身につけることはむつかしいがどうしても持っていなければならないものがある、それは品格である」といいました。

古来各界の本物のリーダーとして歴史に残っている人たちは厚い宗教心をもっていました。古くは三蔵法師を庇護し「貞観政要」を著した唐の太宗、「篤く三法を敬え」とおっしゃった聖徳太子、民衆の罪深さに対し自らの不徳を反省し真言密教の大阿闍梨となった宇多天皇等の例がありますが、近代でも財閥の創始者はみな深い仏心を持っていました。
例えば、住友財閥の創始者は涅槃宗僧侶の住友正友です。旨意書「浮利に趨り軽進すべからず」は有名です。 住友財閥の理事には座禅をやってなければなれませんでした。大阪茶臼山の住友本家には禅堂があったということです。最近でも住友金属元社長田中外次は、一橋大の座禅会如意団の出、住友生命横山進一社長は40年以上朝晩1時間座禅を組んでいると新聞に紹介されています。
また、三井財閥の創始者三井高利は「現銀掛け値なし」という新商法を掲げ、呉服の価格を下げ、また、呉服は反物単位で売るという当時の常識を覆し、切り売りをして大成功しましたが、これは母親の厚い信仰心によっています。客は皆佛性をもっており、同じように尊いのだから相手により商いを変えてはならないという母親の考えから出た商法です。
伊藤忠の創業者伊藤忠兵衛は、西本願寺津村別院に従業員と毎朝参拝するとともに蓮如上人を慕う酬徳会を設立しています。

キャノン創始者吉田五郎は、熱心な観音信者で国産初のカメラをKWANONと名ずけました。  
正力松太郎は昭和34年10月号の「大法輪」に「私がはじめて座禅を組んだのは24歳帝大2年に進学したばかりのときであった。・・・その後戦争犯罪人として巣鴨に収容されることになった。・・ともあれ私は(南禅寺管長勝峰大徹)師のことを思い出して在監1年9ヶ月の間座禅を続けた。」と書いています。そして「いつでも死ねるという気になった」、「世の中で自分だけの欲張りで成功した人間はいないと思った」 とも書いています。
37年11号には堤庚次郎が寄稿しており、「事業の上での生き死にの関頭にもたびたびたたされた。・・若い頃国立に大学町を作ったとき、千万円の損をしたことがある。そして社債が不渡りとなったため大変な目に遭った。けれども人に迷惑をかけず土地を二束三文で売って全部返済した。・・それで私は悟ったのである。事業を金儲けの手段とするところに誤りがあり、事業にたいする冒涜となるのである。社会のため奉仕することが事業の本質である。・・」

旧安田生命社長の竹村吉右衛門は、母から観音様が守り本尊と聞かされ浅草寺の朝参会を作り、また仏教振興財団も作りました。

協和発酵の加藤辯三郎は在家仏教協会をつくりました。

花王石鹸再興の立役者丸田芳郎社長は聖徳太子と道元に傾倒し、さまざまな本をあらわしています。昔経営と仏教に関する本を頂きました。

銀座三笠会館創始者谷善之丞の「わたしの理想とする人」(筑摩書房「現代を生きる心」)にはこうあります。
「代々信仰の篤い家系であったが、特に両親は先祖を大切にしたので 自然に仏教情操により育てられた。上京して倒産した友人の食堂を借金ごとひきうけることになったが、利息で金策もつき自殺を考えた。少年時代から座禅することができたので夜座禅しながら自殺の決意をつけようとした。夏から秋もすぎ冬になり丁度12月の20日ごろだった。真夜中をすぎて夜明け近くになりました。銀座のほうから歌舞伎座の前にむかって1台の荷車がコトリコトリと音をたててまいります。座禅というものは無思無想で座っているのでありますからこの車の音が聞くとも無くわたしの頭に入りいつのまにかその車と一つになってその車の後押しをしてわたしがついていくよう感じでありました。そのうちはっと思いついたことがあります。そうだこの寒空の真夜中に車を曳いて生きている人があるんだ。死ぬ気でいきることだ。死ぬ気でいきるということだということを考え付いたとたんにわたしの胸の中にはっきりと生きる力がみちてくるのを私は感得いたしました。・・」とあります。
この後従業員にも座禅をさせたと書いてありました。 

私は、俗世のころ、臨時行政調査会会長としての土光敏夫氏の下にいたことがありますが、土光家は、両親本人ともに熱心な日蓮信者で自宅を教王殿という日蓮宗道場にしています。

芸術家では、棟方志巧は河合寛次郎から碧巌録を、柳宗悦から華厳経を学んだといわれています。
岡本かの子は仏教の研鑚に努め「仏教聖典を語る」などの多くの宗教書を書きました。宮沢賢治も法華経に深く傾倒した宗教者です。徳富蘇峰は釈宗演を招聘して碧巌会を作り政・財界、夏目漱石ら知識人を集め研鑽しました。また、「あの世はあった。文豪たちはみた、震えた」(三浦正夫著)では遠藤周作、三浦朱聞、菊池寛、土井晩翠、小山内薫、新渡戸稲造、夏目漱石などが、神秘体験を作家活動のエネルギーにしていたことがリアルにかかれています。
湯川秀樹博士はいきつけの京都の寺の木漏れ日をヒントに中間子を発見し、岩波「現代物理学基礎Ⅱ」では李白の「天地は万物の逆旅にして月日は百代の過客なり」という禅語を引用し、「天地」を「時空」に「万物」を「素粒子」に変えて素粒子論を展開しているといいます。
数学者岡潔は、山崎弁栄上人の唱えた光明主義に傾倒しました。こういっています。「数学において自然数の $1$ とは何であるか,ということを数学は全く知らないのである。この $1$ とか点とかは,,宗教的方法を許容すればわかる,仏教の一宗に光明主義というのがある。この光明主義の笹本戒浄上人 (1874--1937) が,もう 20 年くらいになるかと思うが,こういわれた。『自然数の $1$ や幾何の点は,無生法忍を得て初めてわかる。』無生法認は法報二身(心と自然)の理法を悟るという,非常に高い悟りの境地です。それだったら,情抜きで,$1$ や点をいい表そうとしてもできないのである。」(新潟大学 公開講座)

 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「無量の福智、求めざるに自... | トップ | 4月1日から泉涌寺舎利殿が... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事