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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

涅槃経に説く四苦八苦

2020-08-29 | 諸経
大般涅槃経・聖行品第十九の上
「・・・復次に迦葉よ、又聖行あり。所謂四聖諦、苦・集・滅・道なり。迦葉よ、苦とは逼迫相なり。集とは能生長相なり。滅とは寂滅相なり。道とは大乘相なり。
復次に善男子よ、苦とは現相。集とは轉相。滅とは除相。道とは能除相なり。
復次に善男子よ、苦には三相あり。苦苦相・行苦相・壞苦相なり。
集とは二十五有なり(衆生が流転する三界 を25に分けたもの。欲界14、色界7、無色界4)
滅とは二十五有を滅するなり。
道とは戒定慧を修するなり。
復次に善男子よ、有漏法には二種あり。有因・有果なり。無漏法とは亦た二種あり。有因・有果なり。有漏の果とは是則ち名て苦なり。有漏の因とは則ち名て集となす。無漏の果とは則ち名て滅となす。無漏の因とは則ち名て道となす。

復次に善男子よ、八相を名て苦となす。所謂、生苦・老苦・病苦・死苦・愛別離苦・怨憎會苦・求不得苦・五盛陰苦なり。能く如是の八苦法を生ずる者、是を名て集となす。如是の八苦あること無きの處、是を名て滅となす。十力(処非処智力・業異熟智力・静慮解脱等持等至智力 ・根上下智力 ・種種勝解智力・種種界智力・遍趣行智力 ・宿住随念智力 ・死生智力 ・漏尽智力)、四無所畏(正等覚無所畏・一切漏尽智無所畏・説障法無所畏・説出道無所畏)、三念處(①仏を信じ熱心に行じる弟子がいても喜ぶことなく、②信じず熱心に行じない弟子がいても憂いを生ずることなく、③①と②の両者が共にいても喜びも憂いもせず、仏は常に正念に住するという三種のこと)、大悲、是を名て道となす。
・善男子よ、生とは出相、所謂る五種なり。一は初出、二は至終、三は増長、四は出胎、五は種類生。
・何等をか老となすや。老に二種あり。一は念念老(一瞬ごとに変わっていくこと)。二は終身老(確実に年を取ること)。復た二種あり(他の分けかたがある)。一は増長老(年を取るとともに成長)。二は滅壞老(年を取ると衰亡)。是を名て老となす。
・云何んが病となすや。病は四大毒蛇亙に調適せざるを謂ふ。亦た二種あり。一は身病。二は心病。身病に五あり。一は水に因る。二は風に因る。三は熱に因る。四は雜病。五は客病。客病に四あり。一は非分彊作(分不相応に酷使することか)。二は忘誤墮落。三は刀杖瓦石。四は鬼魅所著。
心病に亦た四種あり。一は踊躍。二は恐怖。三は憂愁。四は愚癡。
復次に善男子よ、身心の病に凡そ三種あり。何等をか三となすや。一は業報。二は惡對を遠離するを得ず。三は時節代謝。如是等の因縁、名字、受分別病を生ず。因縁とは、風等の諸病なり。名字とは、心悶肺脹、上氣嗽逆、心驚下痢なり。受分別とは、頭痛・目痛・手足等
痛なり。是を名て病となす。
・何等をか死となすや。死とは受くるところの身を捨つるなり。所受の身を捨るに亦た二種あり。一は命盡死。二は外縁死。命盡死とは亦た三種あり。一は命盡是福盡にあらざるもの。二は福盡き、是れ命盡にあらざるもの。三は福・命倶に盡くるもの。
外縁死に亦た三種あり。一は非分自害死。二は横爲他死。三は倶死。又た三種の死あり。一に放逸死。二に破戒死。三に壞命根死なり。何等をか名て放逸死となすや。若し大乘方等般若波羅蜜を誹謗する有らば是を名て放逸死となす。何等をか名て破戒死となすや。去來現在諸佛所制禁戒を毀犯す、是を名て破戒死となす。何等をか名て壞命根死となすや。五陰の身を捨つ、是を名て壞命根死となす。如是を名て死を大苦と為すと曰ふ。

・何等をか名て愛別離苦となすや。所愛之物は破壞離散す。所愛之物破壞離散するに亦た二種あり。一は人中五陰壞。二は天中五陰壞。如是の人天所受の五陰は分別校計するに無量種あり。是を名て愛別離苦となす。

・何等をか名て怨憎會苦となすや。愛せざる者の所の者共に聚集す。愛せざる所の者共に聚集するに亦た三種あり。所謂、地獄・餓鬼・畜生なり。如是の三趣は分別挍計するに無量種あり。如是を則ち名て怨憎會苦となす。

・何等をか名て求不得苦となすや。求不得苦に亦た二種あり。一は所悕望處求不能得。二は多く功力を用るに果報を得ず。如是を則ち求不得苦と名く。

・何等をか名て五盛陰苦となすや。五盛陰苦とは生苦・老苦・病苦・死苦・愛別離苦・怨憎會苦・求不得苦なり。是の故に名て五盛陰苦となす。

迦葉よ、生の根本には凡て如是の七種の苦あり。老苦乃至五盛陰苦なり。迦葉よ、夫れ衰老は一切有に非ず。佛及び諸天は一向定んで無、人中は不定、或は有、或は無なり。迦葉よ、三界の受身は生あらざる無く、老は必定ならず。是故に一切生を根本となす。迦葉よ、世間衆生は顛倒して心を覆ふ。生相に貪著し老死を厭患す。菩薩は爾からず。初生を觀じて已に過患を見る。
迦葉よ、女人ありて他舍に入る、是の女は端正顏貌美麗なり。好瓔珞を以て其身を莊嚴す。主人見已って即便ち問ひて言く「汝、何等を字とし、誰に繋屬するや。」
女人答言「我身即是れ功徳大天なり」。
主人問言「汝、所至の處、何の所作となすや」。女天答て言く「我所至の處、能く種種の金・銀・琉璃・頗梨・眞珠・珊瑚・虎珀・硨磲・瑪瑙・象馬・車乘・・僕使を與ふ。主人聞き已りて心に歡喜を生じ踊躍無量なり。「我れ今、福徳。故に汝をして我舍宅に來至せしむ」。
即便ち、燒香散花供養恭敬禮拜す。復た門外において更に一女を見る。其形醜陋、衣裳弊壞、諸垢膩多し。皮膚皴裂、其色艾白(がいびゃく)なり。見已りて問ひて言く「汝、何等を字とし、誰に繋屬すや」女人答言「我字は黒闇」。復た問ふ「何故に名て黒闇と為すや」。女人答言「我所行の處、能く其家をして所有の財寶一切を衰耗せしむ」。主人聞已りて即ち利刀を持ちて、如是の言を作す。「汝、若し去らざらば當ち汝の命を断つべし」。女人答言「汝、甚だ愚癡にして智慧あることなし」。主人問言「何故に我を癡にして智慧なしと名くや」。
女人答言「汝の家中の者、即ち是れ我が姊なり。我常に姊と進止共倶なり。汝若し我を驅せば亦當た姊も驅す」。主人還り入て功徳天に問ふ「外に一女ありて是れ汝の妹なりと云うふ。實なりや不や」。功徳天言く「實に是れ我が妹なり。我と此の妹は行住共倶なり。未だ曾って相離れず。隨所住處。我常に好を作し、彼常に悪を作す。我利益を作し、彼衰損を作す。若し我を愛せば亦應た彼をも愛すべし。若し恭敬せらるれば亦應た彼も敬せらるべし」。主人即言「若し如是の好惡の事あらば、我皆用ひじ。各の隨意に去るべし」。是時、二女は便ち共に相將ひて其所止に還る。爾時、主人、其の還去を見て、心に歡喜を生じ踊躍無量なり。

是時、二女復た共に相隨ひて一貧家に至る。貧人見已りて心に歡喜を生ず。即ち之を請じて言く「今より已往、願くは汝二人我家に常住せよ」。功徳天言「我等先に已に他の驅する所なり。汝復た何に縁りてか倶に我が住を請ずや。」貧人答言「汝今我を念ず。我汝を以ての故に復た當に彼を敬すべし。是故に倶に請じて我家に住せしめん」。

迦葉よ、菩薩摩訶薩も亦復た如是なり。生天を願はず、生は當に老病死あるべきを以ての故に。是を以って倶に棄てて曾って受心なし。凡夫愚人は老病死等の過患を知らず。是故に生死二法を貪受す。
復次に迦葉よ、婆羅門の幼稚童子は飢の為に逼られ、人糞中に菴羅果あるを見て即便ち之を取る。有智見已りて之を呵責して言く「汝婆羅門は種姓清淨なり。何故に是の糞中の穢菓を取るや」。童子聞已りて赮然として愧ずることあり。即ち之に答て言く「我實は食せず。洗淨して還りて之を棄捨せんと欲するためなり。」智者語言「汝大愚癡なり。若し還りて棄つれば本から取る應からず」と言はんがごとし。善男子よ、菩薩摩訶薩は亦復た如是なり。此の生分に於いて不受不捨なり。彼の智者の童子を呵責するが如し。凡夫之人の生を欣び死を惡むは、彼の童子の菓を取りて還って棄るが如し。

復次に迦葉よ、譬ば人有りて四衢道頭に器に食を盛滿し、色香味具はる、而して之を賣んと欲す。人有り遠來して飢虚羸乏す、其の飯食の色香味具はるを見、即ち指して問ふて言く「此は是れ何物ぞ」。食主答て言く「此は是、上食。色香味具はる。若し此の食を食すれば色を得、力を得る。能く飢渇を除き諸天を見るを得ん。唯だ一つ患あり、所謂る命終なり」。是の人、聞已りて即ち是の念を作さく「我今、色力、天を見るを用ひじ、亦た死を用ひじ」。即ち是の言を作さく「是の食を食し已って若し命終せば、汝今何爲なんずれぞ此に於いて之を賣るや」。食主答言「有智之人は終に肯て買はず。唯だ愚人ありて是の事を知らず。多く
我に價を與へ貪りて之を食す」と言はんが如し。善男子よ、菩薩摩訶薩は亦復た如是なり。天に生じ、色を得、力を得、諸天を見るを願はず。何以故。其の諸苦惱を免れざるを以ての故に。凡夫愚癡は生處有るに随ひて皆な悉く貪受す。其の老病死を見ざるを以ての故なり。
復次に善男子よ、譬ば毒樹根は能く人を殺し、枝幹莖節皮葉花實悉く亦た能く殺す。善男子よ、二十五有受生の處、所受の五陰も亦復た如是なり。一切能く殺す。
復次に迦葉よ、譬ば糞穢の多少倶に臭きが如し。善男子よ、生も亦た如是なり。設ひ壽八萬を受け下十年に至るも倶に亦た苦を受く。
復次に迦葉よ、譬ば嶮岸上に草履ありて彼の岸邊に於いて多く甘露あらんに、若し食する者あらば壽命千年、永く諸病を除き、安隱快樂ならん。凡夫愚人は其の味を貪るが故に、其下に大深坑あるを知らず。即ち前んで取むと欲し不覺にも脚跌し坑に墮ちて死せんも、智者は知り已り、捨離して遠去するが如し。善男子よ、菩薩摩訶薩も亦復た如是なり。
尚ほ天上の妙食を受ることを欲せず。況んや復た人中をや。凡夫の人は乃ち地獄に於いて鐵丸を呑噉す。況んや復た人天上妙の餚饌、能く食せざらんや。迦葉よ、如是の譬及び餘の無量無邊の譬喩を以て當に知るべし是の生は實に大苦なることを。迦葉、是を菩薩、大乘大涅槃經に住して生苦を觀ずと名く。

迦葉よ、云何んが菩薩摩訶薩は是の大乘大涅槃經に於いて老苦を觀ずるや。老とは能く嗽逆上氣を為す。能く勇力・憶念・進持・盛年・快樂・憍慢・貢高・安隱・自恣を壞し、能く
背僂・懈怠・懶墮を作し、他のために輕ぜらる。迦葉よ、譬へば池水に蓮花滿中開敷し鮮榮甚だ愛すべきに天の降雹に値はば悉く皆な破壞するが如し。善男子よ、老も亦た如是なり。悉く能く盛壯好色を破壞す。復次に迦葉よ、譬ば國王に一智臣ありて善く兵法を知らんに、敵國王の拒逆不順なる有り、王此の臣を遣りて之を往討せしめ即便ち擒獲し、將來して王に詣るが如し。老も亦た如是なり。壯色を擒獲して將いて死王に付す。復次に迦葉よ、譬ば折軸の復た用ふる所無きが如し。老も亦た如是なり。復た用ふる所無し。復次に迦葉よ、大富家、多く財寶、金銀琉璃珊瑚虎珀硨磲馬瑙有らんに、諸怨賊ありて若し其家に入らば即ち能く劫奪して悉く空盡せしむるが如し。善男子よ、盛年好色も亦復た如是なり。常に老賊に劫奪せらる。復次に迦葉よ、譬ば貧人の上饍細軟衣裳に貪著して復た悕望すと雖も得ること能はざるが如し。善男子よ、老も亦た如是なり。貪心の富樂を受けて五欲自恣せんと欲する有りと雖も而も得ること能はじ。復次に迦葉よ、陸地の龜は心常に水を念ずるが如し。善男子よ、人も亦た如是なり。既に衰老の為に乾枯せられ、心常に壯時所受の五欲之樂を憶念す。復次に迦葉よ、猶ほ秋月のあらゆる蓮花皆一切の樂見の所となり、其の萎黄に及びて人の惡賤するところとなるが如し。善男子よ、盛年の壯色は亦復た如是なり。悉く一切之愛樂する所となり、其の老至の及びて衆の惡賤する所なり。復次に迦葉よ、譬ば甘蔗の既に壓せられ已らば滓は復た味なし。壯年の盛色も亦復た如是なり。既に老壓を被れば三種の味なし。一には出家味、二には讀誦味、三には坐禪味なり。復次に迦葉よ、譬ば滿月の夜は光明多く、晝則ち爾らざるが如し。善男子よ、人も亦た如是なり。壯は則ち端嚴、形貌瓌瑋(けい)なり。老は則ち衰羸、形神枯顇(こすい)す。
復次に迦葉よ、譬ば王ありて常に正法を以て國を治め民を理む。眞實にして曲ることなく慈愍にして好施す。時に敵國に破壞せられて流離逃迸し遠く他土に至る。他土の人民見て之を愍み、咸く是の言を作す。「大王は往日、正法治國し萬姓を枉げず。如何んが一旦流離して此に至るや」といはんが如し。善男子よ、人も亦た如是なり。既に衰老に壞敗せられ已らば常に壯時所行の事業を讃ず。復次に迦葉よ、譬ば燈炷の唯だ膏油に頼り、膏油既に盡れば勢久しく停らざるが如し。善男子よ、人も亦た如是なり。唯だ壯膏を頼る。壯膏既に盡れば衰老之炷は何ぞ久しく停るを得ん。復次に迦葉よ、譬ば枯河の人および、飛鳥走獸を利益すること能ざるが如し。善男子よ、人も亦た如是なり。老の所枯となり一切作業を利益すること能はず。復次に迦葉よ、譬ば河岸臨嶮の大樹、若し暴風に遇はば必ず當に顛墜すべきが如し。善男子よ、人も亦た如是なり。老險岸に臨みて死風既に至れば勢は住ることを得ず。
復次に迦葉よ、車軸折れて重載に任へざるが如し。善男子よ、老も亦た如是なり。一切善法を諮受すること能はず。復次に迦葉よ、譬ば嬰兒の人に輕んぜらるるが如し。善男子よ、老も亦た如是なり。常に一切の輕毀する所となる。迦葉よ、是等の譬及び餘の無量無邊の譬喩を以て當に知れ是れ老は實に大苦と為すなり。迦葉よ、是を菩薩摩訶薩、大乘大涅槃經を修行して老苦を觀ずと名く。

迦葉よ、云何んが菩薩摩訶薩は大乘大涅槃經を修行して病苦を觀ずるや。所謂病とは能く一切の安隱樂事を壊す。譬ば雹雨の穀苗を傷壞するが如し。復次に迦葉よ、人怨有らば心常に憂愁して恐怖を懐く。善男子よ、一切衆生も亦復た如是なり。常に病苦を畏れ心に憂慼を懐く。復次に迦葉よ、譬ば人有りて形貌端正にして王夫人の欲心所愛となり、信を遣はし逼り喚んで共に交通す。時に王、捕得し、即便ち人をして其の一目を挑発り、其の一耳を截ち、一手足を斷ぜしむ。是の人、爾時形容改異して人の惡賤する所となるが如し。善男子よ、人も亦た如是なり。先に端嚴の耳目を具足すと雖も、既に病苦の纒逼する所となり已らば則ち衆人に惡賤せらる。復次に迦葉よ、譬ば芭蕉竹葦及び騾の子有る時は則ち死するが如し。善男子よ、人も亦た如是なり。病あれば則ち死す。復次に迦葉よ、轉輪王は主兵・大臣は常在前導し王後に隨ひて行く。亦た魚王・螘王(がいおう/蟻)螺王(らおう・巻貝)・牛王・商主(隊長)、前に在りて行く時、如是の諸衆は悉く皆な隨從して捨離する者なきが如し。善男子よ、死の轉輪王も亦復た如是なり。常に病臣に随て相ひ捨離せず。魚螘・螺牛・商主の病王も亦復た如是なり。常に死衆の隨逐する所となる。迦葉よ、病の因縁は、所謂苦惱・愁憂・悲嘆・身心不安なり。或は怨賊の逼害する所となり。浮嚢を破壞し、橋梁を撥撤し、亦た能く正命根本を劫奪す。復た能く盛壯好色・力勢安樂・除捨慚愧を破壊し、能く身心焦熱熾然の為に、是等の譬及び餘の無量無邊の譬喩を以て、當に知るべし病苦は是れ大苦なることを。迦葉よ、是を菩薩摩訶薩、大乘大涅槃經を修行して病苦を觀ずと名く。

迦葉よ、云何んが菩薩は、大乘大涅槃經を修行して死苦を觀ずるや。所謂る死とは能く燒滅するが故に。迦葉よ、火災起りて能く一切を焼き、唯だ二禪を除く(大の三災の内の火災は初禅天までで第二禅天には来ない。)の力至らざるが故の如し。善男子。死火も亦た爾なり。能く一切を燒く。唯だ菩薩の大乘大般涅槃に住するを除く。勢及ばざるが故なり。復次に迦葉よ、水災起れば一切漂沒す、唯だ三禪を除くの力至らざるが故の如し。善男子。死水も亦た爾なり。一切を漂没す。唯だ菩薩の大乘大般涅槃に住するを除く。
復次に迦葉よ、風災起れば能く一切を吹きて悉く散滅せしむ。唯だ四禪を除く。力至ざるが故の如し。善男子。死風も亦た爾なり。悉く能く一切所有を吹滅す。唯だ菩薩の大乘大般涅槃に住するを除く。
迦葉菩薩、白佛言「世尊。彼の第四禪は何の因縁を以ってか、風吹くこと能ず、水漂はす能ず、火燒くこと能ざるや」。佛告迦葉「善男子。彼第四禪は内外の過患一切無きが故なり。善男子。初禪過患、内に覺觀あり、外に火災あり。二禪過患、内に歡喜あり、外に水災あり。三禪過患、内に喘息あり、外に風災あり。善男子。彼の第四禪は内外過患一切悉く無し。是の故に諸災之に及ぶこと能ず。善男子。菩薩摩訶薩も亦復た如是なり。大乘大般涅槃に安住して内外の過患一切皆盡く。是の故に死王も之に及ぶ能ず。復次に善男子よ、金翅鳥は一切龍魚金銀等の寶を能く噉ひ能く消す。唯だ金剛は消す能ざるが如し。善男子。死金翅鳥も亦復た如是なり。一切衆生を能く噉ひ、能く消す。唯だ大乘大般涅槃に住する菩薩摩訶薩は能く消す能ず。復次に迦葉、譬ば、河岸のあらゆる草木は大水瀑涱せば悉く隨って漂流して大海に入る。唯だ楊柳を除く。其の軟なる故を以てなり。善男子。一切衆生も亦復た如是なり。悉く皆な隨流して死海に入る。唯だ菩薩の大乘大般涅槃に住するを除く。復次に迦葉。那羅延の如く悉く能く一切力士を摧伏す、唯だ大風を除く。何を以っての故に。無礙を以ての故に。善男子。死那羅延も亦復た如是なり。悉く能く一切衆生を摧伏す。唯だ菩薩の大乘大般涅槃に住するを除く。何以故。無礙を以ての故に。復次迦葉。譬ば人ありて怨憎中に詐りて親善を現じ、常に相追逐すること影の形に隨ふが如く、其の便を伺求して之を殺さんと欲す。彼の怨、謹愼堅牢にして自ら備ふ。故に是人をして殺すことを得ざらしむるが如し。善男子。死怨も亦た爾なり。常に衆生を伺ひて之を殺さんと欲す、唯だ大乘大般涅槃に住する菩薩摩
訶薩を殺すこと能ず。何以故。是の菩薩は放逸ならざるを以ての故に。復次に迦葉。譬ば卒にはかに金剛瀑雨を降さんに悉く藥木・諸樹・山林・土沙・瓦石・金銀・琉璃・一切之物を壞す。唯だ金剛眞寶を壞すこと能ざるが如し。善男子。金剛死雨も亦復た如是なり。悉く能く一切衆生を破壞す。唯だ金剛菩薩の大乘大般涅槃に住するを除く。復次に迦葉。金翅鳥の能く諸龍を噉ひ、唯だ不能三歸を受る者を噉ふこと能ざるが如し。善男子。死金翅鳥も亦復た如是なり。能く一切無量衆生を噉ふ。唯だ菩薩の三定に住する者を除く。何か三定と謂ふや。空無相願(空・無相・無願)なり。復次に迦葉。摩羅毒蛇の凡そ螫さす所あらば、良呪・上妙好藥ありと雖も之を如何んともすることなし。唯だ阿竭多星呪(あかしゃだしょうしゅ・毒消しの星の呪)の能く除愈せしむるが如し。善男子。死毒の螫ささるるも亦復た如是なり。一切の醫方は之を如何ともするなし。唯だ菩薩の大乘大般涅槃呪に住すを除く。復次迦葉。譬ば人ありて王に瞋られ其人若し能く軟善語を以て財寶を貢上せば便ち得脱すべきが如し。善男子。死王は爾らず。軟語を以て錢財珍寶之を貢上すと雖も亦た得脱するを得ず。
善男子。夫れ死とは險難處に於いて資糧あることなく、去處懸遠にして無伴侶、晝夜常行して邊際を知らず、深邃幽闇にして燈明あることなく、入るに門戸無く而も處所あり。痛處無しと雖も療治すべからず。往くに遮止する無く、到るに得脱するを得ず。破壞する所無けれども見る者愁毒す。是れ惡色にあらざれども而も人をして怖れしむ。身邊に敷在すれども覺知すべからず。迦葉。是等の譬及び餘の無量無邊の譬喩を以て當に知るべし、是れ生死は眞に大苦なることを。迦葉。是を、菩薩の大乘大涅槃經を修行して死苦を觀ずと名く。

迦葉。云何んが菩薩、大乘大涅槃經に住して愛別離苦を觀ずや。愛別離苦は能く一切衆苦の根本たること説の如し。
偈言
「愛に因りて憂を生じ 愛に因りて怖を生ず。 若し愛を離るれば 何ぞ憂ひ、何ぞ怖れん」
愛因縁の故に則ち憂苦を生ず。憂苦を以ての故に則ち衆生をして衰老を生ぜしむ。愛別離苦は所謂る命終なり。善男子。別離を以ての故に能く種種の微細の諸苦を生ず。今當に汝がために分別顯示せん。善男子。過去之世、人壽無量の時に、世に王あり、名て曰く善住。其王爾時に童子身たり。太子にして事を治し及び王位に登り各八萬四千歳なり。時に王の頂上に一肉皰を生ず。其皰柔軟にして兜羅綿(とらめん・綿の一種)細軟の劫貝の如し。漸漸
増長し以って患と為さず。十月を足滿して皰即ち開剖して一童子を生ず。其形端正、奇異少雙なり。色像分明にして人中の第一なり。父王歡喜して字けて曰く頂生と。時に善住王、即ち國事を以て頂生に委付し、宮殿妻子眷屬を棄捨し、入山學道すること滿八萬四千歳なり。爾時、頂生十五日に於いて高樓に處在し沐浴受齋す。即ち東方において金輪寶あり。其の
輪千輻、轂輞(こくもう・車輪)具足す。工匠に由らず自然に成就し來りて之に應ず。頂生大王即ち是念を作す「我昔、曾って五通仙の説を聞く。若し刹利王十五日において高樓に處在し沐浴受齋せんに、若し金輪の千輻減ぜず、轂輞具足し、工匠に由らずして自然に成就し來り應ずるあらば、當に知るべし、是の王即ち當に轉輪聖帝と作るを得べし」と。復た是念を作さく。「我今當に試むべし」。即ち左手を以て此の輪寶をささげ、右に香爐を執って右膝著地し發誓して言さく「是の金輪寶、若し實にして虚ならざれば、應に過去の轉輪聖王所行道法の如くなるべし」。是の誓を作し已るに、是の金輪寶は虚空を飛昇して十方に遍じ已り、還來して頂生の左手に住在す。爾時、頂生、心に歡喜を生じ踊躍無量なり。復た是言を作す「我今、定んで轉輪聖王と作らむ」と。其後久しからずして復た象寶あり。状貌端嚴なること白蓮花の如く七支字を拄ふ。頂生、見已りて復た是念を作す「我昔し曾って五通仙の説を聞く。若し轉輪王十五日に於いて高樓に處在して沐浴受齋せんに、若し象寶の状貌端嚴なる白蓮花の如く七支地に拄ふる來應者あらば當に知るべし是の王は即ち是れ聖帝なり」と。復た是念を作さく「我今當に試むべし」と。即ち香爐を捧げ右膝著地して發誓して言く「是の白象寶、若し實にして虚ならざれば、應に過去轉輪聖王所行道法の如くなるべし」と。
是の誓を作し已るに、是の白象寶は旦より夕に至るに八方に周遍し、大海際を盡し本處に還住す。爾時、頂生心に大歡喜し踊躍無量なり。復た是の言を作さく「我今、定んで是れ轉輪聖王なり」と。其の後、久しからずして次に馬寶あり。其の色、紺艶、髦尾金色なり。頂生見已りて復た是念を作さく「我昔、曾って五通仙の説を聞く。若し轉輪王、十五日において高樓に處在して沐浴受齋せんに、若し馬寶の其色紺艶髦尾金色なる來應するあらば當に知るべし是の王即ち是れ聖帝なり」と。復た是念を作さく「我今、當に試みむ」と。香爐を執り右膝著地して發誓して言く「是の紺馬寶、若し實にして虚ならざれば、應に過去轉輪聖王所行道法の如くなるべし」。是の誓を作し已るに、是の紺馬寶は旦より夕に至り八方に周遍し、大海際を盡して本處に還住す。爾時、頂生心大歡喜し踊躍無量なり。復た是言を作さく「我今、定んで是れ轉輪聖王なるべし」と。其後、久しからずして復た女寶あり。形容端正微妙第一なり。不長不短不白不黒なり。身の諸毛孔は旃檀香を出し、口氣香潔にして青蓮
花の如し。其目は遠視すること一由旬を見る。耳聞鼻嗅も亦復た如是なり。
其の舌は廣大にして出せば能く面を覆ふ。形色細薄にして赤銅葉の如し。心識は聰哲、大智慧あり。諸衆生において常に軟語あり。是の女、手を以て王衣に触るる時、即ち王身の安樂病患を知り、亦た王心所縁之處を知る。爾時、頂生、復た是念を作さく「若し女人の能く王心を知るあらば即ち是れ女寶なり」と。其後、久しからずして王宮内において自然に寶摩尼珠あり。純青琉璃にして大きさ車轂の如し。能く闇中に於いて一由旬を照らす。若し天、雨を降し渧車軸の如くならんも、是の珠の勢力は能く大蓋となりて一由旬を覆ひ、此の大雨を遮して下過せしめず。爾時、頂生、復た是念を作さく「若し轉輪王、是の寶珠を得ば必ず是れ聖帝ならん」と。其後、久しからずして主藏臣(七寶の一、優れた大臣)あり。自然に出ず。財寶多饒、巨富無量なり。庫藏盈溢し乏少する所なし。報得の眼根、力は能く一切地中の所有る伏藏を徹見す。王の所念に随て皆な能く之を辦ず。爾時、頂生、復た之を試みむと欲し即ち共に乘船して大海に入り、藏臣に告げて言く「我今、珍異之寶を得んと欲す」と。藏臣聞已りて即ち兩手を以て大海水を撓む。時に十指頭十寶藏を出し、以って聖王に奉りて王に白して言さく「大王の須もちふる所、意に隨ひて之を用ふ。其の餘の在者は當に大海に投ずべし」と。爾時、頂生、心大歡喜し踊躍無量なり。復た作念して言く「我今、定んで是れ轉輪聖王たらん」と。其後久しからずして主兵臣ありて自然に出ず。勇健猛略策謀第一なり。善く四兵を知る。若し鬪に任ふる者は則ち聖王を現じ、若し任へざる者は退きて現ぜしめず。未だ摧伏せざる者は能く摧伏せしめ、已に摧伏する者は力能く守護す。
爾時、頂生復た是念を作す「若し轉輪王、是の兵寶を得ば、當に知るべし、定んで是れ轉輪聖王なるべし」と。爾時、頂生轉輪聖帝は諸大臣に告ぐ「汝等當に知れ。此の閻浮提は安隱豐樂なり。我今已に七寶成就し、千子具足するあり。更に何の爲す所ぞ」。諸臣答て言く「唯だ然り大王。東弗婆提は猶ほ未だ歸徳せず。王今應に往くべし」と。爾時聖王即ち七寶一切の營從と飛空して東弗婆提に往く。彼の土の人民は歡喜して歸化す。復た大臣に告ぐ「我閻浮提及び弗婆提は安隱豐樂、人民熾盛悉、悉く來りて歸化す。七寶成就し千子具足す。復た何ぞ爲す所ぞ」。諸臣答て言く「唯だ然なり大王。西瞿陀尼は猶ほ未だ歸徳せず」と。爾時聖王、復た七寶一切營從と飛空して西瞿陀尼に往く。王既に彼に至らば、彼の土の人民は亦復た歸伏す。復た大臣に告ぐ「我閻浮提及び弗婆提、此の瞿陀尼は安隱豐樂・人民熾盛、皆な以って歸化す。七寶成就し千子具足す。復た何ぞ爲す所ぞ」。諸臣答て言く「唯だ然なり大王。北欝單越は猶ほ未だ歸化せず」。爾時聖王復た七寶一切営從と飛空して北欝單越に往く。王既に彼に至れば、彼の土の人民、歡喜して歸徳す。復た大臣に告ぐ「我四天下、安隱豐樂・人民熾盛・咸已歸徳なり。七寶成就し千子具足す。更に何の爲す所ぞ」。諸臣答て言く「唯だ然なり聖王。三十三天壽命極て長く、安隱快樂なり。彼の天身形端嚴無比なり。所居の宮殿、床榻、臥具悉く是れ七寶なり。自ら天福を恃み、未だ來りて歸化せず。今ま應に往討し其をして摧伏せしむべし」。爾時聖王、復た七寶一切營從と虚空を飛騰して忉利天に上がり、一樹有るを見る。其の色青緑なり。聖王見已って即ち大臣に問ふ。此れは是れ何の色ぞ」。大臣答て言く「此は是れ波利質多羅樹(はりしったらじゅ・天樹)なり。忉利諸天、夏三月、常に其下に於いて娯樂受樂す」。又た白色の猶し白雲の如くなるを見る。復た大臣に問ふ「彼は是れ何の色ぞ」。大臣答言「是は善法堂なり。忉利諸天常に其中に集まり人天の事を論ず。是に於いて天主釋提桓因、頂生王の已來して外にあるを知り即ち出て迎逆し見已って手を執り、善法堂に昇りて分座して坐す。彼の時、二王形容相貌等しくて差別なく、唯だ視眴ありて別異と為すのみ。是時聖王、即ち念言を生ず「我今、寧ろ彼の王位を退き即ち其中に住して天王となるべきや不や」。善男子、爾時、帝釋は大乘經典を受持讀誦・開示分別して他の為に演説す。唯だ深義において未だ盡く通達せず。是の讀誦受持分別し他の為に廣説する因縁力を以ての故に大威徳あり。善男子、是の頂生王は此の帝釋において惡心を生じ已り、即便ち墮落して閻浮提に還り、愛念する所の人天と離別して大苦惱を生ず。復た
惡病に遇て即便ち命終す。爾時の帝釋は迦葉佛是なり。轉輪聖王は則ち我身是なり。善男子よ、當に知るべし、如是の愛別離は極て大苦と為す。善男子よ、菩薩摩訶薩は尚ほ過去の如是等の輩の愛別離苦を憶す。何況んや菩薩大乘大涅槃經に住して而も當に現在之世の愛別離苦を觀ぜざるべきや。

善男子。云何んが菩薩、大乘大涅槃經を修行して怨憎會苦を觀ずや。善男子。是の菩薩摩訶薩は地獄畜生餓鬼人中天上に於いて、皆な如是の怨憎會苦の有るを觀ず。譬ば人が牢獄繋閉・枷鎖杻械を觀て以って大苦と為すが如し。菩薩摩訶薩も亦復た如是なり。五道に於いて一切の受生は悉く是れ怨憎合會大苦と觀ず。復次に善男子よ、譬ば人有りて常に怨家の枷鎖杻械を畏れ、父母妻子眷屬珍寶産業を捨離して遠く逃避するが如し。善男子。菩薩摩訶薩も亦復た如是なり。生死を怖畏し六波羅蜜を具足修行し涅槃に入る。迦葉。是を「菩薩、大乘大般涅槃を修行して怨憎會苦を觀ず」と名く。

善男子。云何んが菩薩、大乘大般涅槃を修行して求不得苦を觀ずや。求とは一切盡く求なり。盡求する者に二種あり。一は善法を求む。二は不善法を求む。善法未得苦、惡法未離
苦なり。
是を略説して五盛陰苦となす。迦葉。是を苦諦と名く」。


爾時迦葉菩薩摩訶薩白佛言「世尊、佛所説の如く、五盛陰苦は是の義、然らず。何以故。佛往昔、釋摩男に告げたふが如し。若し色苦ならば一切衆生は應に色を求むべからず。若し求むる有らば則ち苦と名けず。佛諸比丘に告げたまふが如く、三種の受あり。苦受・樂受・不苦不樂受なり。佛、先に諸比丘の為に説きたまふが如く、若し人有りて能く善法を修行せば則ち受樂することを得。又た佛説の如く、善道中に於いて六觸樂を受く。眼好色を見る、是則ち樂となす。耳鼻舌身意に好法を思ふも亦復た如是なり。佛説偈の如し
持戒則ち樂と為す 身衆苦を受けず
睡眠安隱を得 寤むれば則ち心歡喜す
若し衣食を受くる時 誦習して經行す
獨り山林に処す 如是を最樂と為す
若し能く衆生に於いて 晝夜常に慈を修す
是に因りて常樂を得 他を惱ざるを以ての故なり
少欲知足樂 多聞分別樂
無著阿羅漢も 亦た名けて受樂と為す
菩薩摩訶薩は 畢竟して彼岸に到り
所作衆事辦ず 是を名て最樂と為す
世尊。諸經中の所説の樂相の如き、其義如是なり。佛の今説の如き云何んが當に此義と相應すべきや」。佛迦葉に告げたまはく「善哉善哉。善男子。善能く如來に是の義を諮問す。善男子。一切衆生は下苦中に於いて横(ほしいまま)に樂想を生ず。是故に我今の所説の苦相、本と異ならず」。迦葉菩薩、白佛言「佛所説の如く、下苦中に於いて樂想を生ずとは、下生下老・下病下死・下愛別離・下求不得・下怨憎會・下五盛陰、如是等の苦も亦た應さに樂あるべし。世尊。下生とは所謂る三惡趣なり。中生とは所謂る人中なり。上生とは所謂る天上なり。若し復た人有て如是の問を作さく『若し下樂に於いて苦想を生じ、中樂中に無苦樂想を生じ、上樂中において樂想を生ぜん。當に云何が答ふべきや』。世尊。若し下苦中に樂想を生ぜば、未だ人有りて當に千罰を受くべきに、初一下の時、已に樂想を生ぜるを見る。若し生ぜざれば云何んが説きて下苦中に樂想を生ずと言はむ」。佛、迦葉に告げたまはく「如是なり如是なり。汝の所説の如し。是の義を以ての故に樂想あることなし。何以故。猶し彼の人、當に千罰を受くべきに一下を受け已りて即ち脱るることを得ば、是の人は爾時に便ち樂想を生じるが如し。是故に當に知れ。無樂中に妄りに樂想を生ずと」。迦葉言「世
尊。彼の人、一下を以て樂想を生ぜず。脱を得るを以ての故に樂想を生ず」。「迦葉。是故に我昔、釋摩男の為に五陰中の樂を説き、實にして不虚也。迦葉。三受三苦あり。三受とは、
所謂、樂受・苦受・不苦不樂受なり。三苦とは、所謂、苦苦・行苦・壞苦なり。善男子。苦受とは名て三苦と為す。所謂る、苦苦・行苦・壞苦なり。除の二受は所謂る、行苦・壞苦なり。善男子。是の因縁を以て生死の中、實に樂受あり。菩薩摩訶薩は苦樂の性、相捨離せざるを以て、是故に説きて一切皆苦と言ふ。善男子。生死の中、實に樂あることなし。但し諸
佛菩薩は世間に隨順し説きて樂ありと言ふ」。
迦葉菩薩白佛言「世尊。諸佛菩薩、若し俗に随ひて説く、是れ虚妄なりや否や、佛所説の如く、『善を修行する者は則ち樂報を受け、持戒安樂の身は苦を受けず。乃至衆事已に辦ず。是を最樂と為す』と。如是等の經所説の樂受、是れ虚妄なりや否や。若し是れ虚妄ならば諸佛世尊は久しく無量百千萬億阿僧祇劫において菩提道を修して已に妄語を離る。今是の説を作す、其義云何」。佛言「善男子。如上所説の諸受樂偈は即ち是れ菩提道之根本なり。亦た能く阿耨多羅三藐三菩提を長養す。是の義を以ての故に、先に經中に於いて是の樂相を説く。善男子。譬ば世間所須の資生、能く樂因となる、故に名て樂となすが如し。所謂女色
・耽湎飮酒・上饌甘味なり。渇時に水を得、寒時に火に遇ふ、衣服瓔珞・象馬車乘・僮僕・金銀琉璃・珊瑚眞珠・倉庫穀米、如是等の物、世間の所須、能く樂因を為す。是を名て樂と為す。善男子。如是等の物は亦た能く苦を生ず。女人によりて男子の苦を生ず。憂愁悲泣乃至斷命す。酒甘味乃至倉穀により亦た能く人をして大憂惱を生ぜしむ。是の義を以ての故に一切皆苦無有樂相と解す。善男子。菩薩摩訶薩は是の八苦において苦・無苦と解す。善男子。一切聲聞辟支佛等は樂因を知らず。如是の人の為に下苦中に於いて樂相ありと説く。唯だ菩薩の大乘大般涅槃に住するありて乃ち能く是の苦因・樂因を知る。」
(大般涅槃經卷第十終わり)
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