讃観世音菩薩頌和釈・・5/20
随高険所
「高山嶮谷懸巖裏 奔流濺石衆難處 若人墮中無救護 心念觀音登彼岸」
高き山、険しき谷、巖の裏に墜ちて躰の懸かる時、又は奔流の川に石の濺ぎ行く所、又は深き泉などへ墜入て他人の救の無き時に落人の心に観音を念ずれば不審と彼の岸に登るとや。
洛陽(みやこ)の京極に鈴屋の弥助といふ者は常に音羽山に詣で清水寺の千手尊を深く信じけるが、近所の若者に誘れて吉野より大峯山に参りけるが泥河より夜の内に山へ登りしが辻風に巻かれて遥の深谷に墜入ぬ。先達同行あはて尋ねれど夜陰にて知れがたく弥助は日頃に頼ます清水の観音の神力にや夢の心地にて深谷より躰の風に吹上られて同行の先の路へ出居けるこそ不思議なり。
近江の大津の富家に婢する椙といふ女は三井寺南院の如意輪尊を厚く信じて毎日十八日には大雪雨雷しても怠らず夜に入りて参しが流行病には椙のみ病ず或日に二階へ柴を下せとて梯子より倒に下の石臼の処へ墜ちしが何の怪我も無くして歩て店へ腰かけたり(霊場記)。
都の東洞院に荒物屋某あり。恒に蓮華王院(三十三間堂)の千手尊を深く信じて家内の者に皆千手の像を首に懸けさせける。或日に六歳なる童の看ず、日暮れて歸らず、方々を尋ねけれども知れず。隣の井泉を探れば死體のありて啼く々引き上ければ少し胸に温みあり。三時ばかりして甦てけり。