地蔵菩薩三国霊験記 14/14巻の8/8
八、如藏尼の事(此の段は殆ど元亨釈書巻十八の表現に同じ)
平将門第三の女(むすめ)を如藏尼と云けり。貌ち甚だ美色なり。されば諸家より嫁せんことを求むれどもつひにをもむくこともなし。将門叛逆して誅伐せらるるに至りて走りて奥州に到り身を隠す。元より世間の情薄かりければ恵日寺の傍に菴をむすびて独居り。一日病を受けて気絶し炎王宮に至る。庭上を見れば無数の罪人を縛したり。これを見て怖きこと甚だし。時に一人の小比丘錫杖を持ち玉ひて至る。諸の冥官悉くに席を避くるが皆曰、地蔵菩薩亦来たりと。女地蔵の名を聞きて趨り向て啓して曰、大士我を救玉へと。薩埵すなはち女を引率して廳に趣き玉ひ告げて曰く、此の女堅信の夫人なり。形は女なれども欲をなすことなければ炎王謹んで命を受ぬ。菩薩すなはち女を送りて門を出玉ひて告げ玉はく、汝言を受け持つや否や。女の曰、大慈我を済ひ玉ふ、我豈違(そむ)き申すべきことあらんやと云へば、菩薩唱へて曰く、人身受けがたし、仏教遭ひ難し、一心精進して不惜身命を如藏と云。専心に地蔵の號を持(たも)つ世に地蔵尼と称せり。年八十餘にして端座して滅すとなん。
(今昔物語集巻十七 陸奥国女人依地蔵助得活語 第廿九
「今昔、陸奥国に恵日寺と云ふ寺有り。此れは、興福寺の前の入唐の僧、得一菩薩と云ふ人の建たる寺也。其の寺の傍に一人の尼有り。此れは、平の将行と云ける者の第三の女子也。此の尼、出家せざりける時、形ち美麗にして、心柔和也けり。父母有て、度度夫を合せむとすと云へども、全く此れを好まずして、寡にして年を送る。而る間、此の女、身に病を受て、日来悩み煩て、遂に死ぬ。冥途に行て、閻魔の庁に至る。自ら庭中を見れば、多の罪人を縛て、罪の軽重を勘へ定む。罪人の泣き悲む音、雷の響の如し。此れを見聞くに、肝砕け心迷て、堪へ難き事限無し。其の罪人を勘ふる中に、一人の小僧有り。其の形ち端厳也。左の手に錫杖を取り、右の手に一巻の書を持て、東西に往反して、罪人の事を定む。其の庭の人、皆此の小僧を見て、「地蔵菩薩来り給へり」と云ふ。此の女人、此れを聞て、掌を合て、小僧に向て地に跪て、泣々く申して云く、「南無帰命頂礼地蔵菩薩」と両三度。其の時に、小僧、女人に告て宣はく、「汝ぢ、我れをば知れりや否や。我れは、此れ三途の苦難を救ふ地蔵菩薩也。我れ、汝を見るに、既に大善根の人也。然れば、我れ、汝を救はむと思ふ。何に」と。女人、申て云く、「願くは大悲者、我が今度の命を助け給へ」と。其の時に、小僧、女人を引具して、庁の前に行き向ひ給て、訴へて宣はく、「此の女人は、大きに信有る丈夫也。女の形を受たりと云へども、男婬の業無きが故也。而るに、今既に召されたりと云へども、速に返し遣して、弥よ善根を修せしむと思ふ。何に」と。王、答て宣はく、「只、仰せの旨に随ふべし」と。然れば、小僧、女人を門外に将出でて、女人に教へ宣はく、「我れ、一行の文を持(たも)てり。汝ぢ、此れを受け持たむや否や」と。女、答て云く、「我れ、告を持て忘れじ」と。小僧、一行の文を説て宣はく「人身難受。仏教難値。一心精進。不惜身命。」と。亦、宣はく、「汝ぢ、極楽に往生すべき縁有り。今、其の要句を教へむ。努々忘れざれ」とて、「極楽の道のしるべは我が身なる心ひとつがなほきなりけり」と。此の如く聞くと思ふ程に、活(いきかへ)れり。其の後、一人の僧を請じて出家しつ。名をば如蔵と云ふ。心を一にして、地蔵菩薩を念じ奉る。此の故に、世の人、此の尼を「地蔵尼君」と云ふ。此の如くして、年来を経る間、年八十に余て、心違はずして、端坐して、口に念仏を唱へ、心に地蔵を念じて入滅しにけり。此れを見聞く人、貴ばずと云ふ事無かりけりとなむ、語り伝へたるとや。)
地蔵菩薩三国霊験記巻十四終