福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は民間の「お十夜」であり「亥の子」の日です。

2022-10-10 | 法話

 

 

五來重の「宗教歳時記」に「・・・寺では十夜会というが民間では十月十日を「お十夜」と言ったり、「十日夜」と言って餅を搗いて祝う。お十夜といってもこ老人や念佛講の人々が寺やお堂に集まってこの日一日朝から晩まで念佛鉦を叩いたのである。これは十夜会の十日間の不断念仏を一日に短縮したことは分かるが、お十夜が古いのか十日夜が古いのかはにわかには断定することはできない。というのは十月一日一日だけを節句として餅を搗いて祝うのは全国的で関西以西では「亥の子」と言うからである。・・・鎌倉光明寺の十夜会はもとは京都真如堂の十夜会であるという。・・天和二年の「真如堂縁起」に・・永享のころ室町幕府の武士に伊勢守貞経という者があったが、その弟貞国は家督がないので世をはかなみ、出家しようとして真如堂で通夜をした。するとその夜の夢に貴僧が現れ、出家は三日待つべしと告げた。不思議に思っていると翌日、兄の貞経は上意に背いて蟄居を命じられ三日後に貞国は家督を継ぐことになった。それから貞国はますます念仏にはげんだとある。・・」とあります。

 

浄土宗のホームページです。「10月から11月にかけて全国の浄土宗寺院でひろく行われる 念仏会 (ねんぶつえ) です。「お十夜」「十夜法要」「十夜講」「十夜念仏」などともいい、正しくは、「十日 十夜 (じゅうや) 法要」といいます。もともとは陰暦の10月5日の夜から15日の朝まで、10日10夜にわたる 法会 (ほうえ) でした。この法会は、浄土宗で最も大切な経典(きょうてん)の一つ『 無量寿経 (むりょうじゅきょう) 』の巻下に、 「この世において十日十夜の間善行を行うことは、仏の国で千年間善行をすることよりも尊い」と説かれていること(注1)によって、その教えを実践したもので、10日10夜にわたり 不断 (ふだん) 念仏を称えて 別時 (べつじ) の念仏を修し、阿弥陀さまのお慈悲に感謝する法要であります。」

 

(注1)(仏説無量寿経下「此において修善すること十日十夜なれば他方の諸佛國中において善を千歳なすよりも勝れたり。所以者何。他方の佛國は善者を為す者多く惡者少なし。福徳自然にして造惡之地なければなり。・・」)

 

 

光明寺のホームページには十夜法要の縁起について、「光明寺第九代観譽祐崇上人は名僧の誉れ高く、宮中に上って浄土の法門を天皇に御進講されたところ叡感極めて篤く、明応四年(1495)の十月、光明寺で「十夜法要」を行うことを勅許されました。以来今日に至るまで五百余年の間、年々歳々、十月を期して奉修してきたのが、大本山光明寺の十夜法要です。 今日では全国の浄土宗寺院において「十夜法要」が行われています。当山の十夜法要は、古式に従い、引声阿弥陀経・引声念仏によって行われ、昼夜にわたり参拝の人々で賑わっています。 お十夜を勅許くだされた後土御門天皇の時代は、いわゆる戦国時代で、打ち続く戦乱の中で庶民は生活に困窮し、まさに餓鬼・地獄の様相を現していました。天皇はいたくこの事を悲しまれ、一日も早く安穏に暮らせるように平和と安泰を望まれて、浄土宗に十夜法要を勅許されました。 その念仏の道が世に光明となって弘まる時、今の世、後の世に安楽な生活が約束されるのです。」とあります。

 

 

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