今日は大数学者岡潔の生まれた日です。岡は大阪市に1901年〈明治34年〉4月19日に生まれています。天才数学者で、当時世界の数学者の誰もが手に負えなかった多変数函数論の三つの大問題を一人ですべて解決し文化勲章を受章しています。京大で湯川秀樹、朝永振一郎にも教えており、「物理の授業よりもよほど刺激的だった」と湯川は述懐しています。ウキペデアによると、「晩年の主張は超高次元の理想である真善美妙を大切にせよというもので、真には知、善には意、美には情が対応し、それらを「妙」が統括し「智」が対応すると述べた。一方で日本民族は人類の中でもとりわけ情の民族であるため、根本は情であるべきとも語った。」「現代日本は自他弁別本能・理性主義・合理主義・物質主義・共産主義などにより「汚染されている」と警鐘を鳴らし、これらを無明と位置付け、心の彩りを神代調に戻し生命の喜びを感じること・・・」「岡は仏教を信仰しており、特に山崎弁栄に帰依していた。」
「人間の歴史、「岡潔」、日本図書センター」によると、「(岡潔が)ある数学の問題を戦争中に考えていたがどうしてもよくわからないところがあった。終戦の翌年、光明主義(山崎弁栄聖者(1859~1920)を通して、浄土宗祖・法然上人(1133~1212)の信仰を現代に生かしていこうとする教えを光明主義という。諸仏をも超越した存在としての阿弥陀如来を大ミオヤと仰ぎ、その智慧と慈悲をいただいて、生ける時は光明の日暮しをして、死する時は如来の聖きみ国に生まれんことを願う教え。光明会のホームページより)に入り、南無阿弥陀仏を唱えて木魚を叩く生活をしばらく続けたことがあった。こうしたある日お勤めの後で考えがある方向へ向いて永年考えて解けなかった数学の問題がわかってしまった。このときのわかり方は以前とは大きく違っており、牛乳に酢を入れた時に一面にあったものが固まりになって分かれてしまうといったようであった。それは宗教によって境地が進んだ結果、物が非常に見やすくなった問う感じであった。この経験から仏道の正しい修行は数学の発展に役立つと主張するのである。」
岡潔の言葉
・人の長所がわからず短所に対する厭悪感の強いのを小人といい、人の長所がよくわかり短所に寛大なのを君子といいます。そして、古人は、君子をつくり小人をつくらないのを教育の根本方針としていたのです。
・理性的な世界は自他の対立している世界で、これに対して宗教的な世界は自他対立のない世界といえる。自と他が同一になったところで初めて悲しみが解消するのである
・明治になって日本は物質主義を取り入れてしまった。そうすると必然小我が自分ということになる。とにかく言葉だけはそうなった。言葉がそうなっても、なかなか心まではそうはならない。しかし時間がたつとともに、日本にはだんだん真我的な人が減って小我的な人がふえていった。
・小我の人の愛国といえば、全体主義か偏執狂かより仕方がない。だから日本人の愛国にはだんだんそういう不純物がまじっていった。そして終戦になった。終戦後日本は「日本国憲法の前文」を高々と掲げた。これは小我が自分だというのである。そしてこれによって憲法、法律をつくり、それにもとづいて社会通念をつくり、それを米人デューイーの教育学で裏打ちして、それにもとづいて新学制をつくった。
・これでは前にいった通り、愛国とは全体主義か偏執狂かになってしまう。自分とは小我ではなく真我であったのだということをみんな早く思い出さなければいけない。そうすれば日本における愛国とは菩薩道ぼさつどうであるということがよくわかるであろう。
・欧米人は小我を自分だとしか思えない人種なのである。だからキリストはお前たちは罪の子だといったのである。欧米における愛国と、日本における愛国とは全く内容が違うのである。
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