今日はある特別な日なので夕勤行でも特に大師御宝号を何度もお唱えしました。その時、ふと父も幼くして小坊主になり一生を真言僧として曲がりなりにも無事に送らせていただけたのは、偏に「南無大師遍照金剛」によるのだ、と思い至り、今までになく力を入れて何度も何度も御宝号をお唱えしました。父も「南無大師遍照金剛」とお唱えして檀家勤めをし、「南無大師遍照金剛」とお唱えして子供を育て、「南無大師遍照金剛」とお唱えして数々のピンチを乗り越えてくることができたのだと思います。
思えば私自身も「南大師遍照金剛」のおかげで70過ぎの今日まで危機を何度も潜り抜け有難い人生を送らせて頂いているのでした。
大師の和讃を思い出します。
「弘法大師和讃」
「帰命頂礼遍照尊 宝亀五年の六月(みなつき)に玉藻よるちょう讃岐潟(さぬきがた)
屏がうらに誕生し、御歳七つの其時に 衆生の為に身を捨てて 五(いつつ)の岳(たけ)に立雲(たつくも)の 立つる誓ぞ頼もしき 遂に乃(すなわ)ち延暦の 末の年なる五月(さつき)より 藤原姓(うじ)の賀能等(がのうら)と 遣唐船(もろこしふね)にのりを得て しるしを残す一本(ひともと)の 松の光を世に広く 弘(ひろ)め給える宗旨をば
真言宗とぞ名づけたる 真言宗旨の安心は 人みなすべて隔てなく 凡聖(ぼんじょう)不二(ふに)と定まれど 煩悩(なやみ)も深き身のゆえに ひたすら大師の宝号を 行住坐臥に唱うれば 加持の功力(くりき)も顕(あき)らかに 仏の徳を現ずべし 不転肉身成仏の 身は有明の苔の下 誓は竜華(りゅうげ)の開くまで 忍土(にんど)を照らす遍照尊 仰げばいよいよ高野山 流れも清き玉川や むすぶ縁(えにし)の蔦(つた)かずら 縋(すが)りて登る嬉しさよ 昔し国中(こくちゅう)大旱魃(おおひでり)野山の草木皆枯れぬ 其時大師勅(ちょく)を受け 神泉苑に雨請(あまごい)し 甘露の雨を降らしては 五穀の種を結びしめ 国の患(うれい)を除きたる 功(いさお)は今にかくれなし 吾(わが)日本(ひのもと)の人民(ひとぐさ)に 文化の花を咲せんと 金口(こんく)の真説(しんせつ)四句(しく)の偈(げ)を 国字(こくじ)に作る短歌(みじかうた) 「色は香へど散りぬるを 我が世 誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見し 酔ひもせず」 すがりてのぼるうれしさよ
まなび初(そ)めにし稚子(おさなご)も 習(なら)うに易き筆の跡 されども総持(そうじ)の文字なれば 知れば知るほど意味深し 僅かに四十八字にて 百事を通ずる便利をも
思えば万国天(あめ)の下 御恩を受けざる人もなし 猶(なお)も誓の其中に 五穀豊熟富み貴(たと)き 家運長久智慧愛敬 息災延命且(か)つ易産(いさん)あゆむに遠き山河(やまかわ)も 同行(どうぎょう)二人の御誓願 八十八の遺跡(ゆいせき)に よせて利益(りやく)を成し給う 罪障深きわれわれは 繋(つな)がぬ沖の捨小船(すておぶね)生死(しょうじ)の苦海(くがい)果てもなく 誰(たれ)を便(たより)の綱手縄(つなでなわ)ここに三地(さんじ)の菩薩あり 弘誓(ぐぜい)の船に櫓櫂(ろかい)取り たすけ給える御慈悲(おんじひ)の 不思議は世世(よよ)に新たなり 南無大師遍照尊 南無大師遍照尊 南無大師遍照尊 」
思えば私自身も「南大師遍照金剛」のおかげで70過ぎの今日まで危機を何度も潜り抜け有難い人生を送らせて頂いているのでした。
大師の和讃を思い出します。
「弘法大師和讃」
「帰命頂礼遍照尊 宝亀五年の六月(みなつき)に玉藻よるちょう讃岐潟(さぬきがた)
屏がうらに誕生し、御歳七つの其時に 衆生の為に身を捨てて 五(いつつ)の岳(たけ)に立雲(たつくも)の 立つる誓ぞ頼もしき 遂に乃(すなわ)ち延暦の 末の年なる五月(さつき)より 藤原姓(うじ)の賀能等(がのうら)と 遣唐船(もろこしふね)にのりを得て しるしを残す一本(ひともと)の 松の光を世に広く 弘(ひろ)め給える宗旨をば
真言宗とぞ名づけたる 真言宗旨の安心は 人みなすべて隔てなく 凡聖(ぼんじょう)不二(ふに)と定まれど 煩悩(なやみ)も深き身のゆえに ひたすら大師の宝号を 行住坐臥に唱うれば 加持の功力(くりき)も顕(あき)らかに 仏の徳を現ずべし 不転肉身成仏の 身は有明の苔の下 誓は竜華(りゅうげ)の開くまで 忍土(にんど)を照らす遍照尊 仰げばいよいよ高野山 流れも清き玉川や むすぶ縁(えにし)の蔦(つた)かずら 縋(すが)りて登る嬉しさよ 昔し国中(こくちゅう)大旱魃(おおひでり)野山の草木皆枯れぬ 其時大師勅(ちょく)を受け 神泉苑に雨請(あまごい)し 甘露の雨を降らしては 五穀の種を結びしめ 国の患(うれい)を除きたる 功(いさお)は今にかくれなし 吾(わが)日本(ひのもと)の人民(ひとぐさ)に 文化の花を咲せんと 金口(こんく)の真説(しんせつ)四句(しく)の偈(げ)を 国字(こくじ)に作る短歌(みじかうた) 「色は香へど散りぬるを 我が世 誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見し 酔ひもせず」 すがりてのぼるうれしさよ
まなび初(そ)めにし稚子(おさなご)も 習(なら)うに易き筆の跡 されども総持(そうじ)の文字なれば 知れば知るほど意味深し 僅かに四十八字にて 百事を通ずる便利をも
思えば万国天(あめ)の下 御恩を受けざる人もなし 猶(なお)も誓の其中に 五穀豊熟富み貴(たと)き 家運長久智慧愛敬 息災延命且(か)つ易産(いさん)あゆむに遠き山河(やまかわ)も 同行(どうぎょう)二人の御誓願 八十八の遺跡(ゆいせき)に よせて利益(りやく)を成し給う 罪障深きわれわれは 繋(つな)がぬ沖の捨小船(すておぶね)生死(しょうじ)の苦海(くがい)果てもなく 誰(たれ)を便(たより)の綱手縄(つなでなわ)ここに三地(さんじ)の菩薩あり 弘誓(ぐぜい)の船に櫓櫂(ろかい)取り たすけ給える御慈悲(おんじひ)の 不思議は世世(よよ)に新たなり 南無大師遍照尊 南無大師遍照尊 南無大師遍照尊 」