monologue
夜明けに向けて
 



わたしには残念ながら臨死体験はないのだが体外離脱体験はあるので
そのことを述べておこう。それが臨死体験と似ているのかどうかはよくわからない。 
 それはいつだったのか、はっきりしないがこんな記憶だけが残っている。
ソファに横になっているとなんだか身体が浮いているように感じた。
ふわふわと空中に漂ってゆきそうだった。眠りに入ってゆく状態だったのかもしれない。
 それから自分の意志で上に向かおうと思うと、どんどん空中を昇ってゆく。
そのとき、自分の身体から離れたようだった。
これまで縛り付けられていた肉体から解き放たれたので
全身が軽くなって悩みも苦しみも消えて気分が爽快になった。
 そしてしばらくしてそれまで感じたことのない快美感に包まれた。
今思えば、脳の快感物質がなにかの加減で放出されたのかとも思えるが
それはセックスその他で人が得られるエクスタシーすべてを超える言い表しようのない感覚だった。
 しかしそれは長続きせずわたしはやがてものすごい光りの中に入っていった。
あたり全体が輝いているのにまぶしくもなくおだやかでやすらぎに満ちていた。
なんと素晴らしい場所であることか。だれもがそこにいたいと願う光の世界だった。
わたしもそこにいたいと思った。
しかし、そこにとどまれないのだ。その場にいようと思っても勝手に押し戻される。
あれれ、ここにいたいのにと願っても、だんだん降りてしまう。
もう一度昇ろうとすると一旦光の中に入れるのだがとどまることができない。
気が付くとまた降りてしまっている。
そんなことの繰り返しで最終的に自分の身体に戻ってしまったのだった。 
 臨死体験者の共通体験として、光の世界の体験や意識の拡大があげられる。
それは山伏や宗教家などが過酷な修業を重ねてやっと知ることのできる境地で一般の人には
無縁のように思われている。
それで手軽に経験する方法として1960年代後半からドラッグカルチャーが台頭した。
有名なところではジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョップリン、ジム・モリソンなどは
オーバー・ドーズ(過剰摂取)で死亡したが無名の死亡者は数え切れないだろう。
かれらは20代程度で自分が入った向こうの世界からもどってこなかった。
まだこの世でやるべきことが残っているはずなのに…。
どうせ最期には行くことになるのだからドラッグなどで
命を縮めず自分がやることをやらなければならないのだ。
そんなことのために生まれてきたのではないのだから。
fumio
         <ひかりのくにへ>     
    
 一、 『暴風雨(あらし)の海へ 漕(こ)ぎ出すひとよ
 
    雷電光(いなづま)が今  行(ゆ)く手を照らす』
    
    いまはまだきみの ときじゃないと
    だれかが耳打ち しているようだ
    
    吹きすさぶ風に 笑顔をむけて
    まだ見ぬくにへ たびだちの朝
    
 二、 『自由な空へ 舞いたつひとよ
     暗闇を今 切り裂くように』
     
     ひとりよりふたり それがいいさ
     ぼくもいっしょに でかけてみよう
     
     弾(はじ)ける胸に 希望をつめて
     愛するひとに 巡(めぐ)りあう旅
     
     『ひかりのくにへ たびだつひとよ
     霊魂(たましい)が今 明日(あした)を拓(ひら)く』
     
     『ひかりのくにへ飛翔(はばた)くひとよ』
     『生命(いのち)のくにへ たびだつひとよ』
     
     『ひかりのくにへ飛翔(はばた)くひとよ』
     『生命(いのち)のくにへ たびだつひとよ』
     
     『ひかりのくにへ たびだつひとよ』 


ひかりのくにへを聴く

 
 




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