monologue
夜明けに向けて
 




 


2005年11月22日 (火)
 ドイツ連邦議会(下院)は、キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU、)のアンゲラ・メルケルCDU(キリスト教民主同盟)党首(51)を首相に選出した。

 かの女の経歴を見るとなかなか面白い。
 メルケル氏は当時西ドイツのハンブルク近郊の生まれだったが、
プロテスタント牧師の父の東ドイツの教会赴任に伴って移住した。
 東ドイツでは、牧師は西ドイツの西側自由思想の媒介者として、秘密警察の監視下に置かれ、
近隣の子供たちが入る青少年育成組織に入れてもらえず、英語教師だった母も就業を禁止された。

 中学時代はロシア語クラブで15歳の時、「ロシア語オリンピック」の全国大会で優勝してモスクワに招待され、初めてビートルズの音楽を知り衝撃を受けてレコードを手に入れた。
そんなこともあって、ロシア語通訳になりたかったが、その夢を捨て物理学の道を選んだ。
 成長して物理学者として研究所に務め、八九年のベルリンの壁崩壊を機に政治に目覚め
東ドイツの市民政党「民主的な出発」に入り、報道官を務める。
 その後、東ドイツ最後のデメジエール政権の副報道官に就任、90年の統一後のドイツ政界入りした。
入党以来、コール前首相の「秘蔵っ子」としてかわいがられ、
九一年に三十六歳で女性・青年相に就任、そして環境相を歴任した。
九八年に党事務局長に抜てきされ、コール元首相のヤミ献金事件で
ショイブレ前党首が辞任に追い込まれたため、二〇〇〇年に党首に就任した。

 女性首相はドイツ史上初めて、旧東独育ちの首相も初めて。
社会民主党との大連立は、66~69年以来約40年ぶり。
党員歴も十五年と短く歴代首相で最年少の五十一歳。
とこんな異例づくめである。
82年に前夫と離婚したがその姓を今も名乗っている。
そして98年に物理学者で大学教授の夫と再婚した。
首相就任式には夫は姿を見せなかった。
この夫婦はお互いの棲み分けをきちんと守っているようである。

 こうして考えてみるとメルケル氏は女性であること、
旧東ドイツ出身であること、プロテスタントであること、
最年少であること、子供のないこと、不利とされることすべてをバネとして成り上がった。
 抑圧された旧東ドイツの少女時代に同じヨーロッパにありながら自国ではレコードも買えなかったビートルズの音楽を旧ソ連で買ったことのおかしさに気づいて自由の意味を考えて精神的な自立が起こったように思える。


 初の女性首相になるためになにかの力が働いて
うまく仕組まれた人生のように思える。
メルケル首相は初の施政方針演説において「もっと自由に」の方針を訴えた。
 閣僚16人のうち首相メルケル民主同盟党首も含め、6人が女性という。
以後、かの女を手本として自立した女性が世界を変革してゆくことだろう。
fumio
  
    <もっと自由に>

     もっとすてきに
    自然のままに

    夜中にドキンと跳び起きて
    手探りしてみるときもある
   
    枕が濡れる夜明け前
    おもわず唱えるそのことば
    
     ケサラ ケサラ もっと自由に
     セラヴィ セラヴィ 翼をひろげ
     
     似合わないのさ 涙は
     ナグサメなんかもいらない

     自分が選んだ道だから
     ほほえみ忘れず歩いてく
     
     匂いが染み着くその前に
     しばりあいたくなる前に
      

      どちらが悪いという前に
      心が冷え切るその前に

      aiyaya-yayaya-aiyaya-yayaya
      ケサラ ケサラ ケサラ ケサラ ケサラ ケサラ

      ライラ-ララララ ライラ-ララララ ライララララ-ラ
      セラヴィ セラヴィ セラヴィ セラヴィ セラヴィ セラヴィ

      Let it go,let it go もっときままに
      Let it go,let it go ながれのままに

      ケサラ ケサラ もっとすてきに  
      セラヴィ セラヴィ 自分のままに

「もっと自由に」を聴く

       
   


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )