ふせちゃんのブログ

布施隆宏 公式ブログ。 鉄道写真 風景写真 ジオラマ制作など 趣味の世界を紹介します。

国鉄時代 足尾本山駅周辺 2

2025-02-15 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.74-6 1984.10.14 足尾本山駅 210mm、F5.6、1/500sec

 足尾本山駅を 出川橋梁越しに望遠レンズで撮影。
 貨車入替え用の小型ディーゼル機関車は あまり見える位置まで来てくれません。 なのでヒマさえあれば、ここに三脚を立てて待っていました。

 好きな時間帯は早朝で、工場から出された大量の水蒸気が周辺を包み込み、朝日を浴びて 一面がセピア色に染まります。 その匂いが独特で、製錬所のニオイとして認識しています。



 No.71-25 1984.10.6 足尾本山駅 35mm、F5.6、1/250sec

 足尾銅山こと「備前楯山」を、製錬所越しに。 円形のタンクは酸素タンクです。 工場で作り、精錬に使用します。
 付近では良く、絵画を描きに訪れている方を見かけました。

 400年前、備前(現在の岡山県)出身の2人の山師が、足尾町の楯山で銅を発見。 以後、東洋一の銅山へと発展しました。
 その2人の功績をたたえ、山名に出身地の備前を冠し、備前楯山としました。



 No.175-18 1987.3.22 9:38 9791②レ 24mm、F11、1/250sec

 コンクリート製アーチ橋との立体交差を 上の平地区より撮影。
 毎日3往復している貨物列車の列車番号ですが、時期によって変更されています。
  1790レ ~ 1795レ
    ↓
  5790レ ~ 5795レ
    ↓
  9790レ ~ 9795レ
 正確な列車番号については 国鉄発表の資料にて照合して下さい。



 No.173-13 1987.3.1 9:42 5791②レ 80mm、F8、1/125sec

 樹木の育ち難い荒々しい岩肌。 砂防ダムが所々、茶色く染まっています。 鉄分です。 銅山だからと言って、銅しか出ない訳では無いのです。



 No.122-33 1985.12.15 9:47 1791②レ 80mm、F5.6、1/250sec、C4フィルター使用

 出川橋梁を通過中の下り貨物列車。 右下は、当時、現役で働いていた日本最古の鉄橋、 「古河橋」。
 大型ダンプが通行していますが、「一橋一台」の警告看板が立っていました。
 現在は左側に新橋が架けられ、古河橋は保存扱いです。



 No.173-11 1987.3.1 足尾本山駅

 たまに顔を見せてくれる 青い機関車。 1987年3月29日の鉄道輸送終了の後、この車両の去就は確認していません。
 これらの建物も、ほとんど現存していません。



 No.124-16 1986.3.23 9:57 1790②レ 210mm、F5.6-8、自動露出

 腕木式信号機が青になり、上り貨物列車 発車。
 腕木式信号機はワイヤロープを引っ張ると青になります。 災害などでワイヤロープが切断されると、赤表示になります。
 なら、落石等でワイヤロープが引っ張られた場合、青表示になってしまうのでしょうか?



 No.130-8 1986.2.19 12:28 1793レ 115mm、F5.6-8、1/250sec

 足尾線の貨物列車は 平日・休日に関わらず 毎日運転されていたので、日曜カメラマンの私には ありがたかったです。
 まあ、私なら平日でも 強引にお休みを取りますが。



 No.177- -1 1987.3.22 12:47 9792レ 24mm、F5.6、1/250sec

 正面に 備前楯山。 いく筋もの砂防ダム。 山すそに 本山小学校。 その左下には銅山の沈殿池があります。
 立入り禁止の場所ですが、私の知人は小学生時代、ここで泳いで遊んでいたと言います。 現在は80才を超えていますが、必要以上に元気に生活しています。


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国鉄時代 足尾本山駅周辺 1

2025-02-08 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.101-10 1985.5.12 8:57 足尾本山駅足尾製錬所 50mm、F5.6、1/250sec、PLフィルター使用

 足尾銅山は1973年に銅の採掘を終了しましたが、海外から銅を含有した鉱石を輸入し、製錬所のみ稼働が続けられました。 足尾製錬所は 足尾線の終点、足尾本山駅にあります。
 東武バスが赤倉の停留所に停まっているのが見えます。



 No.110-3 1985.7.28 1793レ 35mm、F5.6-8、1/250sec

 間藤駅を出て足尾製錬所を目指す 下り貨物列車。 コンクリート製のアーチ橋と立体交差します。
 このアーチ橋には かつて、軽便鉄道のガソリンカーが走っていました。 写真の撮影時は線路ははがされていて、本山小学校の生徒の通学路になっていました。



 No.109-27 1985.7.28 9:04 1791①レ 95mm、F5.6-8、1/250sec

 アーチ橋と足尾線の鉄橋を反対側から望む。 写真の左奥に道路があり、国鉄足尾線の踏切があります。
 併用軌道だったガソリンカーの線路も、道路と一緒に足尾線の線路と平面交差していました。 国鉄線と軽便鉄道の線路が平面交差するのは、全国でも例が無かったのではないかと思います。



 No.109-31 1985.7.28 9:43 1791②レ 115mm、F5.6、1/500sec

 列車番号の表記に ①と② を付けて表現しています。 1791レ~1790レは、足尾駅までは長編成で走行します。 が、足尾本山駅に至る区間は急勾配で軌道も弱いため、3両程度の貨車しか牽引出来ません。
 足尾駅で編成を組み替え、足尾本山駅まで2往復に分けて運転します。



 No.101-11 1985.5.12 9:06 1791①レ 70mm、F5.6、1/250sec、PLフィルター使用

 銅を含有した鉱石「粗鉱」を積んだトキ25000を牽いて、製錬所のある足尾本山駅まで ゆっくり進みます。



 No.101-13 1985.5.12 足尾本山駅 60mm、F5.6、1/250sec、PLフィルター使用

 1791①レ到着。 機関車はすぐに 帰り荷の連結作業に入ります。



 No.75-19 1984.10.22 9:56 1790②レ 80mm、F5.6、1/500sec

 帰り荷を牽いて出川橋梁を渡る上り列車。 まずは足尾駅まで、貨車を運びます。 1790レは足尾駅で編成を換え、帰途に着きます。



 No.101-17 1985.5.12 9:57 1790②レ 135mm、F5.6-8、1/500sec

 足尾製錬所を背景に、あかがね街道 と鉄道。 足尾銅山 を象徴する一枚です。



 No.109-29 1985.7.28 9:19 1790①レ 210mm、F4-5.6、1/500sec

 線路に並行し、上部に濃硫酸のパイプラインが見えます。 足尾駅まで引かれていて、構内北部の硫酸タンクに貯蔵。 タンク車に積み込まれます。



 No.110-5 1985.7.28 1792レ 95mm、F5.6-8、1/250sec

 粗鉱を卸し、空なったトキ25000を牽いて 軽やかに 1792レ。 踏切脇より撮影。


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国鉄時代 間藤(まとう)駅周辺

2025-02-01 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.75-22 1984.10.22 1790レ 50mm、F5.6-8、1/500sec

 空になった鉱石運搬貨車を引いて山を下り、足尾駅へと向かう上り貨物列車。
 並走するクルマに時代を感じます。



 No.61-22 1984.8 間藤(まとう)駅 135mm、F5.6-8、1/250sec

 プラットホームと駅本屋が 渡り廊下でつながっている間藤駅。 蒸気機関車 C12 が活躍していた頃の、変則的な スイッチバック駅 だった名残りです。

 この間藤駅と製錬所のある 足尾本山駅 との間は急こう配で、鉄橋には強度が無いので 機関車を重連にする事が出来ません。 間藤駅に着いた貨物列車はバックで引込み線に入り、蒸気圧を整え、引込み線の下り坂を利用して一気に加速し、製錬所を目指しました。
 何ともワイルドな運用をしていたものです。



 No.62-24 1984.8.14 間藤駅舎 35mm、F4-5.6、1/250sec

 第三セクター わたらせ渓谷鉄道 への移行に合わせ、この駅舎は建て替えられました。 けれど この石段は残っています。



 No.112-15 1985.8.11 間藤駅 駅名板 55mm、F3.5、1/250sec

 線路はこの先の足尾本山駅まで続いていますが、旅客列車は ここが終点です。 列車の待ち時間に、乗客が駅名板に 想いを書き込んだのでしょう。



 No.173-25 1987.3.8 6:02 720D 110mm、F8-11、1sec

 まだ夜の明けきらない山あいの終着駅に佇む 一番列車。 積雪による消音効果で、いつもなら聞こえるディーゼルエンジンの音が、今日は届かない。



 No.157-2 1986.10.26 9:01 1791①レ 50mm、F8、1/125sec

 松木(まつぎ)川を渡る下り貨物列車。 右奥に見える橋は神子内(みこうち)川を渡る国道122号線と、紅葉の日光に向かう車列。
 松木川と神子内川は下流500mの地点、足尾町 渡良瀬地区で合流し、渡良瀬川 の始点になります。



 No.275-35 1989.2.24 15:28 728D 35mm、F4、1/60sec、ハーフグレーフィルター使用

 松木川橋梁と連続する立体交差。 併用軌道の ガソリンカー の線路がここにありましたが、戦後間もなく廃止されました。
 岩肌の露出した 荒涼とした風景がここから始まります。



 No.113-26 1985.8.25 足尾駅・構内進入信号機 50mm、F5.6-8、1/250sec

 足尾駅に進入する上り列車に対して建植されていた腕木式信号機。
 左は 主本線の1番線への進入制限だとして、右は 2番線及び貨物ヤードへの進入制限という意味かと思います。



 No.123-16 1986.1.26 9:00 1791①レ 110mm、F5.6-8、1/250sec

 足尾駅から終点の足尾本山駅まで、ガソリンカーの併用軌道線路が並行していました。
 軽便鉄道の線路が国鉄の線路と平面交差するのは、全国でもマレな事例です。



 No.130-29 1986.3.16 8:44 750D(後年 752D) 135mm、F5.6、1/250sec、C4フィルター使用

 足尾駅から間藤駅に向け 田元橋に差し掛かると、荒涼とした風景が広がります。 精錬方法が改良される前の 製錬所から出された亜硫酸ガスや、江戸時代からの無計画な樹木の伐採により、草木の育ち難い土地になっています。


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国鉄時代 足尾駅周辺 2

2025-01-28 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.122-24 1985.12.1 15:57 足尾駅・1794レ 上り貨物列車
  210mm、F4、1/30sec、ハーフNDフィルター使用

 出発時刻を待つ1794列車。 通常の1795レ~1794レは重連運転ですが、この日は輸送量が少なかったようで、単機運転になっています。 
 鉱石運搬用の トキ25000 を、浜川崎駅への返空列車です。 機関車のすぐ後ろに車掌車が連結されていますが、桐生駅で進行方向が変わるためです。 桐生駅からは EF60 が担当します。
 山に沈みかけた夕陽が ボンネットを照らします。



 No.158-14 1986.11.3 12系客車を使った 臨時列車「もみじ号

 牽引機は高崎第一機関区所属。 普段の貨物列車の牽引機は 桐生機関区常駐車です。
 1987年4月1日の国鉄の民営化にともない、1987年3月に貨物列車が廃止されました。 足尾線で活躍した DE10DE11 は消滅しています。
 現存車は後期型のDE10-1000番台です。



 No.186-26 1987.5.17 11:50 トロッコ足尾号 135mm、F4-5.6、1/125sec

 機回しを省略するためプッシュプル運転。 始発の高崎駅から桐生駅までは12系客車に乗車し、足尾線内は トラ90000 を改造した 元祖・トロッコ列車に乗車です。
 高崎客貨車区所属のトロッコ列車は、上越線、吾妻線、足尾線のほか、秩父鉄道にも入線していました。
 写真のヘッドマークは秩父鉄道を走行する際に作られたものですが、他線区の運用時にも掲出されるようになりました。
 以前、このヘッドマークをデザインされた方にお会いした事があります。 長瀞のトロと、トロッコのトロが係っていると教えた頂きました。



  No.229-13 1988.3.27 6:40 753D 80mm、F8-11、1/125sec

 ヘッドライトは点いていませんが、1番線に停まってもいますが、当駅始発の下り列車です。 キハ20、キハ30、キハ40の3連です。



  No.229-14 1988.3.27 6:46 753D 80mm、F11、1/125sec

 足尾駅で停泊した2本の列車は 隣の間藤(まとう)駅に行ってから、それぞれ 上り1番列車、上り2番列車として走ります。

  下り751D → 上り720D 2両編成
  下り753D → 上り722D 4両編成(休日は3両編成)



  No.229-15 1988.3.27 6:46 753D 80mm(トリミングあり)、F11、1/125sec

 この時代はまだ、夜間以外には ヘッドライトを点灯して走る習慣はありませんでした。 何ならこの列車は テールランプすら点けていませんが。

 国鉄/JR足尾線時代、腕木式信号機は現役でした。 1989年3月29日の わたらせ渓谷鉄道 開業に合わせ、自動閉塞機の信号ケーブルを線路脇に埋設する工事が行われていました。



  No.278-26 1989.3.28 11:50 団体列車 70mm、F5.6、1/125sec

 JR足尾線 最後の日。 高崎客貨車区所属の旧型客車を牽引して来たのは、チョコレート色に塗色変更した DE10 1705機。 このページの4枚上の写真、トロッコ足尾号を牽引していた時は 朱色塗装だった事が分かります。



  No.278-27 1989.3.28 11:58 団体列車 135mm、F3.8、1/125sec

 1番線に停まっているのは 9726D。 キハ40の2両編成。 足尾線の気動車のほとんどが キハ20、キハ30、キハ40の混結編成。 高崎第一機関区所属で 八高線との共通運用なので、仕方ありません。 足尾線の撮影で キハ30が走って来るとガッカリなのです。
 キハ40の2両編成の姿は イベント列車以外では希少なのでした。



  No.278-29 1989.3.28 12:05 団体列車 210mm、F4、1/125sec

 写真を1枚撮るごとに 撮影ノートに撮影データを書き込んでいました。 フィルムカメラを使っていた頃はずっと続いていた習慣です。
 それはまぁ、オートフォーカスも 自動露出も無いカメラを使っていれば そうなるのですが。 シャッターチャンスには弱かったです。



  No.279-7 1989.3.28 17:56 くつろぎ号 135mm、F4、1/4sec、ハーフグレーフィルター使用

 足尾線最後の日。 2往復の団体列車が走り、数百人の鉄道ファンが詰めかけました。 普段の閑散とした沿線の風景からは想像も出来ない光景です。 この人たちがもっと早くに 足尾線に乗りに来てくれれば、廃止にならなかったのかもと、思っても仕方のないことです。
 廃線が近づき、次第にカメラを持った人が沿線に増えていき、並行する国道にはマナーの悪い路上駐車が溢れ、こんな事なら早く廃止になってくれればいいと、悲しい気持ちになりました。
 翌、3月29日、わたらせ渓谷鉄道 開業。

  関連記事  2023-11-10 国鉄時代 足尾駅周辺 1

  関連記事  2016-03-19 国鉄 足尾駅 貨物列車 最終運転日 1987.3.29


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旧花輪小学校記念館にて 杲小学校企画展

2024-12-28 08:00:01 | おじゃまします~ぅ
 群馬県、わたらせ渓谷鉄道 花輪駅の北側にある 旧花輪小学校記念館 にて 杲小学校企画展 を開催中です。

 グンラボ! 旧花輪小学校記念館

 令和7年 2月2日(日)まで。 月曜休館(祝日の場合は翌日休館)。
 年末年始 12/28~1/4。
 10時~16時(入館は15時30分まで)。
 大人 200円、小中学生 50円。




 花輪小学校の内部。 椅子に座って 見渡すと、何だか妙に落ち着きます。




 なんと、給食の食品サンプルがありました。 美味しそ~。




 年代を追っています。 第二次大戦中が一番 粗食です。




 中2階の購買。 ノートや鉛筆などの学用品を売っていたそうです。




 国鉄 足尾線時代の 神土(ごうど)駅 を模した空間。




 国鉄時代 一年に一度、梅雨時期になると お座敷列車「くつろぎ号」を使った団体列車が設定されていました。 早朝出発の 深夜帰宅って、、、 どうなんですかね。
 国鉄時代はその他にも、12系の「もみじ号」、キハ40×2の「グランドキャニオン号」や「童謡列車」、キハ20×4の「いもほり列車」などが走りました。




 学校の窓から見えた ご近所さん。 裏庭に土蔵。




 今回の来館の目的は、杲(ひので)小学校 の企画展です。













 画家・作詩家の 故 星野富弘 さんの作品が掲出されていました。 星野富弘さんは杲小学校の卒業生だそうです。 心にじんわりくる詩が並んでいます。




  過去記事
    
 2011-12-26 旧 杲(ひので)小学校

 2022-10-05 杲小学校 解体工事

 2024-05-09 杲(ひので)小学校 跡地


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牛伏山 秋の景

2024-12-26 08:00:01 | 風景写真 ・ フォトテク
 山の風景写真を撮り始めた頃、山頂を目指して黙々と歩いていた。 目の前に美しい風景が広がっていても、ザックからカメラを取り出すのが面倒で、「下山路も同じルートだし、後で撮ればいいや。」と思っていた。
 下山時 その場所に行くと、太陽の角度が変わって 魅力的な風景に見えなくなっていて、悔しい思いをすることが幾度もあった。

 山歩きだからと言って、必ずしも山頂に立つ必要は無い。 そう意識を変えると 気負いが消え、山歩きが楽しくなった。

 写真を撮っても撮らなくても、カメラを持ち歩く事にしている。 少し歩いて、立ち止まって、また歩いて、後戻りして。 カメラを持って風景とたわむれていると、時間の経過も疲れも感じず、まして 俗世のグダグダなんて 意識に入り込む隙さえない。




 カメラを持たずに一人で歩いていると、何だか居心地が悪い。 カメラを持って歩いていると、自分の居場所が確保された様な気がして安心できる。
 複数人の登山グループとすれ違って、「一人で登っているの?」と聞かれれば、「風景写真は一人が基本ですから。」と答えれば良い。

 もちろん、気の合う友人たちと お喋りしながら歩く楽しさも知っている。 その時は風景写真には専念しないと割り切っている。 その代わり、へんなスナップ写真ばかりが増えていく。

 ある程度の歳を取ってきて、登山路で合う見知らぬ人との会話も 楽しみの一つになってきた。
 天気の話。 その山の話。 最近登った山の話。 野鳥や草花。 意外と、仕事や愚痴話しでも盛り上がる。

 標高の高い山は敬遠しがちで 行動範囲はせばまってはいるが、風景との戯れは終わらない。。。




























  牛伏山の過去記事  牛伏山 春景 2024-04-25


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妙義山 晩秋の景

2024-12-23 08:00:01 | 風景写真 ・ フォトテク
 妙義山 さくらの里 は 桜の種類が多く、それぞれ開花時期が異なることで、1か月以上もお花見を楽しめます。
 中央園地の駐車場に近い場所には 冬桜 が中心に植えてあり、晩秋の頃には 淡いピンク色の花が静かに咲いています。




 十月桜、子福(こぶく)桜 を左右に眺めながら、小春日和の路をたどります。




 妙義・金洞(こんどう)山。 妙義山塊は 火山噴出物が堆積した花こう岩質で、浸食によって現在の姿になっています。 「屹立」という言葉が似合う山です。




 山ツツジの花が紅葉の時期にも咲くのを知ったには昨年の事です。 葉の色も次第に紅葉しています。




 その乾燥して薄くなった葉は 太陽の光が透過し、オレンジ色に透き通ります。 紅葉の撮影は逆光に限るのが分かります。




 秋の日差しが西に傾いてくると、風景に重みを感じます。




 こんな垂直な岩場にも、樹木がしがみ付いている事に驚きます。




 桜の木が植えられた広い斜面は 一面のススキ野原になっているのですが、写す足場が見つかりませんでした。




 妙義・金鶏山(きんけいざん)筆頭岩(ひっとういわ)に取り着く登山者。 山頂までもうすぐです。




 女性を含む3名。 登る時よりも降りる時の方が怖いので、私は筆頭岩に登る気になれません。 無事を祈ります。




 なんと、こんなタイミングで 群馬県の防災ヘリが飛んでいました。




 頭上を旋回して 西の空に去って行きます。




 南方に 四又山鹿岳(かなだけ)。 いずれも、古くからの信仰の山です。 鹿岳の断崖絶壁からの眺めはおススメです。。。

  過去記事  群馬県 南牧村 鹿岳 2017-05-28


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妙義山 秋景色

2024-12-20 08:00:01 | 風景写真 ・ フォトテク
 風の無い穏やかな日を選んで、妙義山 さくらの里 の遊歩道を カメラを持ってぶらぶら歩きです。




 富岡市妙義ビジターセンター(旧 妙義ふるさと美術館)駐車場より、妙義・白雲山




 中央園地から歩き出すと、サクラの樹々に混ざって モミジの巨木が目を引きます。
 この季節以外では素通りしてしまいますが、いろはモミジ(?)の紅色は青空に映えます。




 道路をはさんでこの付近だけ、モミジの巨木が立ち並んでいます。 カメラのメモリー残量が無くなったので、急いで古い写真を消していきます。




 縦横に遊歩道が伸びていますので、気の向くまま歩いて行きます。




 遊歩道はキレイに整備されています。 今日は管理棟の方と、しばらく立ち話をしました。 シカやサルが増え、ヒルがあちこちに振りまかれている事など。




 山ツツジ の花です。 初夏に咲く花ですが、紅葉の季節にも咲いています。 花の数は少な目ですが。




 秋の登山道で良く目にする リンドウ です。 なぜか、人が歩く道端にばかり咲いているイメージです。




 妙義・金鶏山(きんけいざん)筆頭岩(ひっとういわ)。 特徴的な岩山で、いつも さくらの里の遊歩道を見下ろしています。




 気持ち良く伸びた枝を真下から望みます。 丘の斜面に立って カメラをのぞきながら枝を見上げていると、どっちが上だか下だか分からなくなって、平衡感覚が無くなります。




 秋の低い日差しがまんべん無く枝を照らしてくれます。 日を透かして見るモミジの葉は ベッコウ飴のようにも見え、美味しそうです。




 妙義山の南にある 御堂山(みどうやま)が見えます。 御堂山登山道の途中にある じじ岩ばば岩 は絶景です。 よろしければ、過去記事をご笑覧ください。。。

  過去記事  じじ岩ばば岩 2022-11-23


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あしおトロッコ館へ 移行のお知らせ

2024-11-20 14:39:00 | 古河足尾歴史館 イベント
 NPO法人 足尾歴史館 の発足から19年が経過した 古河足尾歴史館 が 11月24日(日)を最終日として閉館となります。
 今後は、足尾歴史館と協調関係にあったボランティアグループ あしおトロッコ館 が施設を引継ぎ、軽便鉄道や産業遺産の展示を行っていきます。




 現在、足尾駅の東に 足尾銅山記念館 の建設が進められており、完成は2025年の春を予定しています。 かつて、この地にあった 辰野金吾氏 設計による 足尾鑛業所 を復元しています。
 産業近代化の礎となった 足尾銅山と古河グループの歩みを紹介する施設です。

 古河機械金属株式会社 足尾銅山記念館の建設のお知らせ




 わたらせ渓谷鉄道の足尾駅と通洞(つうどう)駅の営業キロは 900mです。 足尾町も足尾銅山も、戦時中の空襲を受けていませんので、古い町並みを見ることが出来ます。




 足尾駅と足尾銅山記念館までの距離は150mです。 足尾駅構内の東側には、国鉄時代の車両たちが展示されています。




 通洞駅と古河足尾歴史館までの距離は300mです。 徒歩のルートは 赤線で示した3つがあります。

 ・左のルートは しゃ断器も警報器も無い踏切を渡ります。 列車の接近にご注意下さい。 また、雨の日はぬかるんでおり、雑草もあります。
 ・中央のルートは かつてガソリンカーが走っていた路地裏通りです。 日光市営バスのバス停横から階段を上り、踏切を渡ります。
 ・右のルートは 昭和の町並みを歩きます。 階段を上り、踏切を渡ります。

 マイカーのルートは緑線で示します。 市道から斜路を上り、踏切を渡ると 市営無料駐車場に出ます。 40台程のスペースがあります。 観光バスも入場出来ますが、予めご連絡下さい。

  重要なお知らせがあります。 新生 あしおトロッコ館 は館内整備のため、長めのお休みを頂くことになります。
 開館のご案内は X(旧Twitter)(一社)あしおトロッコ館【公式】などでお伝えします。


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足尾駅 保存車両 一般公開

2024-11-07 22:00:01 | 古河足尾歴史館 イベント
 11月10日(日)10:00~15:00、わたらせ渓谷鉄道 足尾駅構内にて、保存車両の一般公開を行います。 入場無料、車掌車の体験乗車も無料です。
 駐車場はありません。 わたらせ渓谷鉄道利用促進活動の一環ですので、公共交通機関をご利用ください。
  《 企画:一般社団法人 あしおトロッコ館 》





  展示車両:
 日立製作所製 15t ロッド式ディーゼル機関車、協三工業製 10t ディーゼル機関車
 タキ 29312、タキ 35111、ヨ 8928、キハ35-70、キハ30-35





 キハ35 は車内もご覧頂けます。




 国鉄 足尾線時代、足尾駅にて貨車の入れ替えに活躍していた 小型DLは、塗装修復を完了し、ご来場をお待ちております。。。


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