ふせちゃんのブログ

布施隆宏 公式ブログ。 鉄道写真 風景写真 ジオラマ制作など 趣味の世界を紹介します。

国鉄時代 足尾線 県境付近 2

2025-03-22 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.100-13 1985.5.3 5794レ

 DE10型ディーゼル機関車 の運転席からの前後の視認性の良さは、この写真で分かります。 と言うか、後ろから丸見えで、監視されてるみたいで ちょっとやり難そう。
 DE10型の軸配置は A-A-A-B の5軸。 曲線通過性能に優れ、足尾線に打って付けの機関車と言えます。



No.137-24 1986.5.4 14:08 1795レ 45mm、F5.6-8、1/125sec、ストロボFP発光

 足尾線内の最急曲線R=144mの 通称:坂東カーブ を行く貨物列車。
 渡良瀬川の対岸からの好撮影ポイント。 国道から急な坂を降りる小路がありましたが、現在は通り抜け出来ません。



 No.138-9 1986.5.5 13:54 728D 35mm、F5.6-8、1/250sec、ハーフブラウンフィルター使用

 河原には、明るいグレーの 御影石 が広がっています。 逆光で眩し過ぎるので、薄茶色のハーフフィルターを使って、下半分の光量を落とします。



 No.78-7 1984.11.11 1795レ 80mm、F4-5.6、1/125sec

 坂東カーブは落石の危険性があり、コンクリート擁壁で固められています。 その上にネットが張られ、電線が通っています。 落石で電線が切断されると、非常停止信号が作動する仕組みです。



 No.101-37 1985.5.17 10:32 1790レ 105mm、2倍テレコンバーター、F8、1/250sec

 坂東カーブの少し桐生寄りの地点。 落石を知らせる 特殊信号発光機( 俗称:クルクルパー )が見えます。 ちょうどここで、線路を巡回する保線区の方に合いました。 平日に有給休暇を取って来た甲斐がありました。
 この頃の私は、鉄道の保線機械の設計・製造の仕事をしていて、在来線や新幹線の夜間作業にも立ち会っていました。 線路端が自分の居場所のような、変な感覚を持っていました。




 石積みの切通しの急カーブ。 この石積みには びっしりと苔が生えていて、すぐ近くから見上げると、新緑の草原のような世界が広がって見えます。
 カーブの先から ひょっこり キハ20 がやって来ました。
 線路の張り出しを防止するため、枕木を突っ張り棒として使ったり、ガイドレールを設置したり。 レールのふく進防止に アンチクリッパー を取付けるなどしています。

 足尾線で使っているレールのほとんどは 他線区の発生レールです。
 37kgレール、40N、50kg、50PS。 更には、東海道新幹線 で初期に使用していた 50Tレール までありました。
 37kgレールと50kgレールとでは、高さは30mmも違います。 それが すごい形の継ぎ目板でつながれていました。 締結装置も多種ですし、レール交換などの保守は苦労したと思います。
 どのレールも、レール踏面は ツルツルのペッタンコだった記憶があります。



 No.119-15 1985.11.4 14:45 725D 135mm、F4-5.6、1/250sec

 名越トンネルを抜けてやって来る列車を写そうと思いましたが、樹木にたくさんのツタが絡まっていたので断念。 通過する列車を後追い撮影。
 紅葉の風景は 順光で写してはいけないと言う見本。



 No.160-9 1986.11.10 14:47 725D 70mm、F16、1/60sec

 名越トンネル を抜けてやって来た下り列車。 前の年、左の枝にたくさんのツタが絡んでいたので、時間をかけて払っておきました。 そして、一年後に撮影。
 秋の日の光線状態は この時間の列車しか チャンスがありません。



 No.186-18 1987.5.17 🔹トロッコ列車

 沢に架かる小さな鉄橋を行くトロッコ列車を流し撮り。 風とたわむれる 白い服の少女が、偶然にも良い位置で写ってくれました。
 40年近くも前に写した写真です。 どんな人生を歩んだのかなぁ。
 私の心の中では、いつまでも 可愛らしい少女です。。。


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国鉄時代 足尾線 県境付近 1

2025-03-15 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.160-26 1986.11.16 13:21 5792レ 135mm、F5.6-8、1/125sec

 栃木県と群馬県の県境にある 笠松トンネル を抜ける上り貨物。 日に3往復する貨物列車の内の2往復目。 その日の輸送量によって、運休にも重連運転にもなる 気の置けない列車です。
 今日は身軽に山を下って行きました。



 No.160-1 1986.11.10 13:23 5792レ 135mm、F11-16、1/125sec

 笠松トンネルから1km程の所にある 吉ノ沢架樋(かけひ)。 枯れ沢に架けられた雨樋(あまどい)の様なもので、まとまった雨が降った時に、雨水や土砂が流れていきます。
 足尾線にとって とても重要な建造物なのです。




 No.100-7 1985.5.3 13:52 728D 210mm、F4、1/500sec

 国鉄足尾線の時代、吉ノ沢架樋の少し足尾寄りの所に、写真の様な建造物がありました。
 上空からの落下物から列車を守るような形状をしていますが、用途は分かりません。 いつの間にか撤去されています。



 No.100-8 1985.5.3 14:11 1795レ 135mm、F3.8、1/500sec

 カーブの外側の安全な場所から撮影しています。 少し盛り上がった場所に三脚を立てているので、旅客列車の乗客と同じ目の高さになってしまい、目が合うと ちょっと気恥ずかしい撮影ポイントです。



 No.160-4 1986.11.10 13:54 726D 70mm、F11-16、1/125sec

 渡良瀬川の谷間を縫うように、くねくねと伸びる線路。 崖を切り開き、見通しの悪い急カーブが続きます。
 ひとたび大雨が降れば、土砂流出、がけ崩れ、倒木、軌道狂いなどの災害が懸念されます。



 No.100-10 1985.5.3 725D 35mm、F4、1/250sec、ストロボFP発光

 私が足尾線の撮影を始めた昭和59年頃、災害で流失した鉄橋が この辺の河原に転がっていたのを見ています。 デッキタイプのもので、サビだらけでした。
 撤去しようにも作業車が入れるような場所では無く、しばらく放置されていました。



 No.78-5 1984.11.11 待避禁止 70mm、F8-11、1/60sec

 橋梁や軌道の狭くなっている場所には、待避禁止の表示が随所にありました。 列車のダイヤを確認し、足早に通り過ぎます。
 線路内立ち入りは禁止なので、撮影は安全が充分確保された場所から行いますが、移動には線路脇を歩かなければならない時もありました。



 No.78-4 1984.11.11 水のみ所 70mm、F8-11、1/60sec

 小さな沢すじが線路脇の所々にありました。 中には 塩ビ管で水が飲めるようになっている所もあり、湯吞み茶碗が置いてあったりしました。
 保線区員の仕事は大変ですから、一息つく場所も必要なのです。



 No.102-20 1985.5.17 サル 210mm、2倍テレコンバーター、F8、1/250sec

 ときどき出会います。 エサを物色しながら移動するサルの群れ。 少し離れた所からじっと見つめているのがボスザル。
 並行する道路がなく、山と谷に挟まれた線路ですれ違うしかありません。
 中には注意力散漫で 人間のすぐ近くまで来ても気付かない者もいて、びっくりしてギャアギャア鳴きわめいたりします。
 ボスザルとの信頼関係を保つため、急な動きはせず、威嚇もしません。 サルたちは遠巻きにして山の斜面を登り、通り過ぎて行きました。



 No.119-34a 1985.11.9 13:53 728D 110mm、F5.6-8、1/250sec

 線路の吹き溜まりに積もった落ち葉は、列車の風圧程度では舞い上がらないです。 足で蹴散らしてフワフワに盛り上げて、列車の通過を待ちます。
 テールランプは点いていませんが、後追い写真です。 動画でないと伝わらないのが残念ですが、舞い上がった落ち葉たちは列車の後を追って、彗星の尾のように流れていきました。



 No.139-16 1986.5.18 14:07 1795レ 135mm、F5.6、1/250sec

 この区間を歩く時、好きな季節は夏でした。 気温の上昇でレールが伸び、レールの移動する音が キーン、キーン、キーン、キーンと、遠くまで連鎖していくのです。
 かげろうの立つ 夏草の線路に、マクラギに撒かれた防腐剤の独特なニオイ。 撮影の合い間に駆け込む 沢すじの木陰。
 冷房が無く、大きく開け放った窓の気動車の様。 そんな一つひとつが足尾線の記憶です。



 No.102-16 1985.5.17 1795レ 135mm、F5.6-8、1/250sec

 振り向いて、ちょっと見下ろしぎみに お見送りです。 鉱石運搬貨車のほか、硫酸タンク車も1両連結しています。 この子も 浜川崎操車場 から連結されていると言う事なのでしょうか?



 No.78-3 1984.11.11 12:36 723D 80mm、F5.6、1/250sec

 40年前、列車は日中はヘッドライトを点灯させて走る習慣はありませんでした。 笠松トンネル脇のスペースに三脚を立て、ヘッドライトを点けてトンネルに進入するタイミングで撮影。



 No.162-20 1986.12.13 12:34 723D 80mm、F5.6-8、1/250sec

 1つ上の写真の場所を 国道沿いから写しています。 午後になると日差しが回ってきて、光線状態は良くなります。
 渡良瀬川の水量が少ない時は、飛び石越えに渡渉できますが、おススメはしません。



 No.183-10 1987.4.29 11:55 マヤ検 下り 300mm、F8、1/250sec

 年に一度は珍客が訪れます。 9793貨物列車のスジで運転されました。。。


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テレビ・乗れない鉄道に乗ってみた!

2025-03-12 08:00:01 | テレビ・YouTube
 次回の BSテレ東 乗れない鉄道に乗ってみた! は、福島臨海鉄道 安中貨物東邦号 です。

 間もなく運行を終了する安中貨物・東邦亜鉛の 赤茶色のタンク車の、見納め映像です。




 64 dendenさまのYouTube動画 【全区間追跡】さらば名物列車「安中貨物」- 東邦亜鉛 鉱石輸送(福島臨海鉄道 小名浜・泉→安中) を掲載されて頂きました。


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国鉄時代 原向駅周辺

2025-03-08 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.174-18 1987.3.8 13:20 5792レ 80mm、F8-11、1/250sec

 国鉄末期に貨物列車の列車番号が幾度か変更になっています。 従来の 1792レ と同じ列車です。
 DE11-55号機。 きれいな車体ですが、足尾線内で貨物列車の牽引に使われていた機関車は、貨物扱い終了後 すべて除籍扱いになっています。



 No.259-13 1988.11.13 730D

 原向(はらむこう)駅 へと向かう上り列車の後追い写真。 光線状態が唯一理想的だったのが この時間の列車。
 散り残りの紅葉、日差しに染まるススキの穂。 斜光線に輝く線路。 たそがれ色の 晩秋の風景。



 No.261-3 1988.12.4 14:50 原向駅 35mm、F5.6、1/60sec (トリミングあり)

 渡良瀬川の対岸の地名が 原地区です。 その向こう側にある駅なので 原向駅。 乗降客は少ないですが、備前楯山庚申山 の登山口になります。



 No.62-14 1984.8.14 原向駅 40mm、F8、1/250sec (トリミングあり)

 この待合室の建物は、わたらせ渓谷鉄道へ移行後 建て替えられています。



 No.124-28 1986.3.23 15:41 730D 45mm、F4、1/125sec

 国道にバイパスができる前の、くねくね道から写したポピュラーな写真です。 雪景色は絵になります。



 No.124-29 1986.3.23 16:26 1794レ 50mm、F4、1/60sec

 この時代はまだ、昼間にヘッドライトを点けて走る習慣はありませんでした。 特にローカル線は 遅れてました。
 折角の蒼い風景なので、ライトが点いていれば、もう少し印象的な仕上がりになった事でしょう。



 No.218-15 1987.12.13 15:42 728D 45mm、F4、1/125sec

 この日の撮影でカメラを1台、壊してしまいました。 結露で基盤が腐食し、修理不能になりました。
 それでも、この1枚を撮れた事は 嬉しいのです。



 No.218-15 1987.12.13 15:42 728D

 上の写真をトリミングしたものです。 山の木々の ガラス細工の様になった、凍てつく風景。



 No.275-12 1989.2.24 12:38 723D 35mm、F4、1/125sec、ハーフグレーフィルター使用

 わたらせ渓谷鉄道 への移行を一か月後に控え、レールバスの試運転が連日行われていました。 タラコ色のディーゼルカーも そろそろ見納めです。



 No.119-5 1985.11.4 7:56 721D 50mm、F2、1/250sec

 群馬と栃木の県境、笠松トンネル。 写真にはありませんが、この右側に 馬車鉄道 の線路がありました。 岩壁をコの字型にえぐって作った 片マンプ と呼ばれる遺構を見る事ができます。



 No.101-26 1985.5.12 13:19 1792レ 38mm、F4-5.6、1/250sec、PLフィルター使用

 群馬県と栃木県の県ざかい、本川(ほんせん)取水堰より撮影。 河床工事をしている左側に、足尾ダムの放水口が見えます。 すぐ下流の右側には、沢入(そおり)発電所の取水口があります。
 足尾ダムの放流が始まると、水位がグイグイ上がります。 吞気に写真など撮っていると危険なのです。



 No.114-1 1985.8.25 14:44 🔹グランドキャニオン号 80mm、F4、1/125sec

 民営化前の国鉄時代、貨物列車が3往復していたので ダイヤに余裕がなく、定期列車のダイヤのすき間を縫うように団体列車が走っていました。



 No.186-33 1987.5.17 13:32 🔹トロトレイン 300mm、F5.6、1/60sec

 民営化後は貨物列車の廃止で ダイヤに余裕ができ、スピードの出せないトロッコ列車を ゆったりと走らせることが出来ました。
 トラを改造したトロッコ客車4両を客車ではさみます。 ディーゼル発電機を載んだ12系客車が使われる事が多かったですが、茶色い旧型客車が使われることもありました。
 トロッコ客車は板バネの2軸車なので 速度を出せません。 振動が大きく、石炭か鉱石にでもなった様な気分を味わえます。
 


 No.239-35 1988.5.14 14:52 725D 135mm、F11、1/60sec

 「作業中」の看板が建っています。 黄色地に黒のXマークは 警笛吹鳴指示です。 民営化から一年後に わたらせ渓谷鉄道 に移行する事が決まっていました。
 自動閉塞機 の信号ケーブルを線路脇に埋設するほか、使われていない電線や木製の電柱の撤去。 大きく枝を伸ばした樹木の伐採など、軌道整備が行われていました。


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国鉄時代 通洞駅周辺 2

2025-03-01 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.77-13 1984.11.10 10:30 1790レ 210mm、F4-5.6、1/125sec

 仕業番号 A23DE11-53号機。 朝5:39に 1791レ として桐生駅を出発。 硫酸タンク車編成を牽いて足尾駅へ。 さらに 足尾本山駅まで2往復して、1790レ として山を下ります。
 今日はタンク車を6~7両のほか、トラも数両牽いているようです。



 No.109-34 1985.7.28 10:22 1790レ 105mm、F5.6、1/250sec

 仕業番号 A231790レ。 この日は鉱石運搬用の トキ25000 の返空列車を牽いていました。 貨車の行き先は 浜川崎操車場 です。
 ディーゼル機関車は桐生駅で切り離しますが、EF60 が 浜川崎操車場から牽引して来た 1795レ の先頭に立って、再び山登りの運用に就きます。



 No.114-12 1985.9.1 14:19 1795レ 210mm、F4、1/250sec

 仕業番号 A23DE11-53号機。 桐生駅でEF60と荷物交換した 1795レ の本務機として先頭に立っています。
 鉱石を満載した重量列車のため、仕業番号 A24DE10次補機 として連結されています。



 No.114-13 1985.9.1 14:19 1795レ 80mm、F4、1/250sec

 重連機関車が唸りを上げ、連続勾配を登って行きます。 足尾線の撮影に通い詰めていた私にとって 1795列車は ヒーローのような存在でした。



 No.121-23 1985.11.23 14:19 728D 95mm、F5.6、1/250sec

 足尾線は山あいを縫って走る鉄道なため、秋冬は日照時間が短いです。 紅葉の季節も良いですが、晩秋の風景も好きなのです。
 散り残りの紅葉、低い日差し。 日影になった蒼い風景。 雲の流れ。 落ち葉を踏む音。 畑の中の 焚き火のけむり。



 No.192-28 1987.6.21 🔹トロトレイン

 1987年の春に国鉄が民営化され、足尾線貨物も廃止されてしまったので、久々のディーゼル機関車の入線なのです。 しかも プッシュプル運転。
 貨物列車の廃止でダイヤに空きが出来たため、臨時列車の設定がしやすくなりました。

 JR高崎支社(旧 高崎鉄道管理局 )所属のトロッコ列車は、ゴールデンウイークや新緑の良い季節は、吾妻線や秩父鉄道などに優先的に運用し、梅雨に入る頃に足尾線運転という日程にされていました。 いつもそう。 この日も雨。 雨の日のトロッコ列車、だれが乗るん?



 No.230-10 1988.4.9 9:19 724D 65mm、F11、1/125sec

 国鉄の民営化と共に足尾線の貨物列車が運行を終了。 ただでさえ列車本数が少ないのに、撮影の空き時間が長過ぎます。 当時の日記にも「ひまだぁー」とありました。

 4月に入っても雪の降ったこの日、鉄橋の手前に線路工事の速度制限票が出ていました。 わたらせ渓谷鉄道 への移管を一年後に控え、関連工事だったのかも知れません。



 No.275-20 1989.2.24 13:56 726D 35mm、F4、1/125sec、ハーフグレーフィルター使用

 第二渡良瀬川橋梁。 線路の下に国道122号線が立体交差していました。 道幅が狭く見通しも悪いため、観光シーズンになると決まって混雑していました。 観光バスと大型トラックがすれ違えずに、大渋滞は毎年の事。 今は昔のものがたりです。。。


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国鉄時代 通洞駅周辺 1

2025-02-21 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.213-11 1987.11.1 11:50 🔹トロトレイン 45mm、F8-11、1/125sec

 通洞(つうどう)駅で乗客を降ろし、身軽になって足尾駅に向かう 下りトロッコ列車。
 乗客の大半は 足尾銅山観光 の施設を訪れているのでしょう。



 No.73-23 1984.10.14 1790レ 35mm、F4、1/250sec、PLフィルター使用

 足尾銅山の社宅が建ち並ぶ通洞町。 背景は 足尾銅山 こと 備前楯山。 山すそに小さく、上り貨物列車が見えています。



 No.113-25 1985.8.25 9:14 726D 45mm、F3.5、1/250sec、C4フィルター+PLフィルター使用

 黄砂の影響かどうかは分かりませんが、風景が薄黄色っぽく見えていたので、薄いブルーのC4フィルターで補正して撮影。 モヤっていたので、反射除去フィルターも装着。
 線路越しに街を見下ろせる場所を探して、お寺の敷地から写しています。



 No.240-9 1988.5.29 12:06 9726D 60mm、F8、1/125sec

 選鉱所の手前に 通洞変電所通洞動力所新梨子(しんなし)油力発電所 が見えています。 現存するのは変電所のみです。
 動力所には大きなコンプレッサーがあり、削岩機で使う圧縮空気を作っていました。 油力発電所とは火力発電所の事です。 双方の施設は朽ちていたため、現在は撤去されています。



 No.175-13 1987.3.22 8:05 721D 145mm、F8-11、1/250sec

 変電所と吊り橋。 吊り橋は 軽自動車がギリ通れるかどうかの狭さでしたが、近年、乗用車がすれ違える幅のものに架け替えられました。

 変電所は現役で使われています。 外壁が 黒いマダラなシミの様になっています。 第二次世界大戦の際に空襲を避けるため、カモフラージュ塗装 されたものです。 同様のカモフラージュ塗装は、油力発電所と足尾製錬所にも見られました。
 足尾銅山は軍需品を作っていた訳では無いので、空襲を免れました。

 変電所の建物は老朽化のため、すぐ隣に 建て替え工事が始まっています。 この姿は 間もなく見納めです。



 No.115-0 1985.9.14 10:22 1790レ 120mm、F5.6-8、1/250sec

 古河鉱業 の 旧選鉱所。 1973年に閉鎖して50年以上が経ちます。 大切な産業遺産なので、見学できるように改修する計画もある様です。 が、朽ちた危険な部分も多く、作業には時間とお金が必要です。



 No.156-23 1986.10.18

 通洞駅から足尾駅、さらに田元橋までを見渡せる丘からの眺めです。
 足尾銅山には 主に3つの坑道入口がありました。 製錬所近くの 本山坑、山の裏側にある 小滝坑。 そして 通洞坑。 それぞれに飯場や鉱山住宅などの町が広がっていました。 最盛期の足尾町の人口は3万人を超えます。 一番の繁華街は通洞町で、映画館、劇場、飲食店などが建ち並びます。 芸者も大勢いました。

 江戸っ子が、「宵越しの銭は持たねえ」(その日に得た収入はその日のうちに使い果たす)などと粋がっていましたが、鉱山従事者はもっと切実です。 一度坑内に入ってしまえば、生きて帰れる保証は無いのです。
 足尾銅山の坑道は全長1234km。 高低差1000m。 アリの巣のような坑道で、ひとたび崩れたら最期です。 そんな環境下で働いていたら、全部 お酒で飲み干してしまおうという気持ちも分かります。



 No.263-3 1988.12.29 15:01 725D 300mm、F5.6、1/500sec

 社宅の連なる風景の 右上に写っているのは 磐裂(いわさく)神社 かと思います。



 No.259-1 1988.11.13 12:08 9726D 110mm、F11、1/125sec

 紅葉のピークを過ぎると、枯れススキが目立ちます。 住宅の間を走る キハ20。



 No.258- -1 1988.11.6 中才地区

 古い枕木で出来た鉄道柵に、お布団がいっぱい干してありました。 今夜も暖かいお布団で寝られそうですね。



 No.152-28 1986.10.4 13:44 728D 80mm、F4-5.6、1/125sec

 右下に 旧選鉱所。 そして 鉱山住宅が建ち並びます。



 No.253- -1 1988.10.28 12:05 9726D 35mm、F8-11、1/60sec

 鳥居と祠(ほこら)。 この 石の階段に、人々の日常が見える気がしました。



 No.226- 30 1988.3.27 8:08 721D 50mm、F11、1/250sec

 移動性低気圧が本州南岸を進み、気温の低い内陸部で雪になりました。 冬の始めと終わりに多い天気です。
 国道のバイパスの除雪は完璧なのに、街中の除雪は あまり行われません。 何なんでしょう?



 No.229- 22 1988.3.27 8:09 721D 80mm、F11、1/250sec

 上の写真を撮った数秒後に、同じ列車を写しています。 フィルム番号が違っているのは、別のカメラで写しているから。
 単焦点レンズとズームレンズでは、色調が違います。



 No.110-13 1985.7.28 14:34 🔹グランドキャニオン号 210mm、F5.6、1/250sec

 製錬所奥の 松木(まつぎ)渓谷 は草木も生えない荒涼とした風景なので、グランドキャニオンに似ているとして、グランドキャニオン号。
 遊び疲れた子供たちが 通洞駅から団体専用列車に乗り込みます。



  No.234-21 通洞駅

 鉄道の風景を標準レンズで写し、月を望遠レンズで二重露出撮影。 フィルムカメラの時代は こんな裏ワザが簡単に出来ていました。
 夕暮れ時の西の空だから三日月。 デフォルメ写真だからと言って、ここに満月を置いてしまうのはルール違反です。。。


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国鉄時代 足尾駅周辺 2

2025-02-11 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.122-24 1985.12.1 15:57 足尾駅・1794レ 上り貨物列車
  210mm、F4、1/30sec、ハーフNDフィルター使用

 出発時刻を待つ1794列車。 通常の1795レ~1794レは重連運転ですが、この日は輸送量が少なかったようで、単機運転になっています。 
 鉱石運搬用の トキ25000 を、浜川崎駅への返空列車です。 機関車のすぐ後ろに車掌車が連結されていますが、桐生駅で進行方向が変わるためです。 桐生駅からは EF60 が担当します。
 山に沈みかけた夕陽が ボンネットを照らします。



 No.158-14 1986.11.3 12系客車を使った 臨時列車「🔹もみじ号

 牽引機は高崎第一機関区所属。 普段の貨物列車の牽引機は 桐生機関区常駐車です。
 1987年4月1日の国鉄の民営化にともない、1987年3月に貨物列車が廃止されました。 足尾線で活躍した DE10DE11 は消滅しています。
 現存車は後期型のDE10-1000番台です。



 No.186-26 1987.5.17 11:50 🔹トロッコ足尾号 135mm、F4-5.6、1/125sec

 機回しを省略するためプッシュプル運転。 始発の高崎駅から桐生駅までは12系客車に乗車し、足尾線内は トラ90000 を改造した 元祖・トロッコ列車に乗車です。
 高崎客貨車区所属のトロッコ列車は、上越線、吾妻線、足尾線のほか、秩父鉄道にも入線していました。
 写真のヘッドマークは秩父鉄道を走行する際に作られたものですが、他線区の運用時にも掲出されるようになりました。
 以前、このヘッドマークをデザインされた方にお会いした事があります。 長瀞のトロと、トロッコのトロが係っていると教えた頂きました。



  No.229-13 1988.3.27 6:40 753D 80mm、F8-11、1/125sec

 ヘッドライトは点いていませんが、1番線に停まってもいますが、当駅始発の下り列車です。 キハ20、キハ30、キハ40の3連です。



  No.229-14 1988.3.27 6:46 753D 80mm、F11、1/125sec

 足尾駅で停泊した2本の列車は 隣の間藤(まとう)駅に行ってから、それぞれ 上り1番列車、上り2番列車として走ります。

  下り751D → 上り720D 2両編成
  下り753D → 上り722D 4両編成(休日は3両編成)



  No.229-15 1988.3.27 6:46 753D 80mm(トリミングあり)、F11、1/125sec

 この時代はまだ、夜間以外には ヘッドライトを点灯して走る習慣はありませんでした。 何ならこの列車は テールランプすら点けていませんが。

 国鉄/JR足尾線時代、腕木式信号機は現役でした。 1989年3月29日の わたらせ渓谷鉄道 開業に合わせ、自動閉塞機の信号ケーブルを線路脇に埋設する工事が行われていました。



  No.278-26 1989.3.28 11:50 🔹団体列車 70mm、F5.6、1/125sec

 JR足尾線 最後の日。 高崎客貨車区所属の旧型客車を牽引して来たのは、チョコレート色に塗色変更した DE10 1705機。 このページの4枚上の写真、トロッコ足尾号を牽引していた時は 朱色塗装だった事が分かります。



  No.278-27 1989.3.28 11:58 🔹団体列車 135mm、F3.8、1/125sec

 1番線に停まっているのは 9726D。 キハ40の2両編成。 足尾線の気動車のほとんどが キハ20、キハ30、キハ40の混結編成。 高崎第一機関区所属で 八高線との共通運用なので、仕方ありません。 足尾線の撮影で キハ30が走って来るとガッカリなのです。
 キハ40の2両編成の姿は イベント列車以外では希少なのでした。



  No.278-29 1989.3.28 12:05 🔹団体列車 210mm、F4、1/125sec

 写真を1枚撮るごとに 撮影ノートに撮影データを書き込んでいました。 フィルムカメラを使っていた頃はずっと続いていた習慣です。
 それはまぁ、オートフォーカスも 自動露出も無いカメラを使っていれば そうなるのですが。 シャッターチャンスには弱かったです。



  No.279-7 1989.3.28 17:56 🔹くつろぎ号 135mm、F4、1/4sec、ハーフグレーフィルター使用

 足尾線最後の日。 2往復の団体列車が走り、数百人の鉄道ファンが詰めかけました。 普段の閑散とした沿線の風景からは想像も出来ない光景です。 この人たちがもっと早くに 足尾線に乗りに来てくれれば、廃止にならなかったのかもと、思っても仕方のないことです。
 廃線が近づき、次第にカメラを持った人が沿線に増えていき、並行する国道にはマナーの悪い路上駐車が溢れ、こんな事なら早く廃止になってくれればいいと、悲しい気持ちになりました。
 翌、3月29日、わたらせ渓谷鉄道 開業。

  関連記事  2016-03-19 国鉄 足尾駅 貨物列車 最終運転日 1987.3.29


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国鉄時代 足尾駅周辺 1

2025-02-01 08:00:01 | 国鉄 足尾線
No.124-6 1985.12.29 (9:43) 足尾駅構内 210mm相当 F4 1/250sec 

 時代の流れと共に鉄道も姿を変え、古い写真は歴史を語る貴重な資料になると気付きました。 納戸からアルバムを探し出したので、未発表の写真を中心に紹介します。

  40年前の、足尾銅山を支えた 鉄道の歴史を見て欲しい。

 写真右の、黄色いヘルメットをかぶっている人が古河鉱業の社員。 写真中央の人は、協力会社の作業員。 濃硫酸の充填作業の準備中。



No.177-23 1987.3.22 足尾駅構内  

 足尾本山駅こと足尾製錬所で精製された濃硫酸はパイプラインで足尾駅構内に運ばれます。 貯蔵タンクからタンク車へ充填する作業は、平日・休日を問わず行われました。



No.117-20 1985.10.20 (14:45) 足尾駅構内 80mm相当 F3.8 1/250sec 

 足尾駅構内でタンク車の移動に使われていた小型機関車。



No.151-13 1986.9.23 (15:07) 足尾駅 725D列車 110mm相当 F5.6 1/250sec 

 足尾駅に到着する下り列車。 構内にいるDLは先行した1795列車の牽引機。 写真下方に写る住宅の屋根が 雰囲気良いです。
 国道122号線バイパスのコンクリートよう壁上部より撮影。 国道から徒歩25分程度。 NHK施設に続く歩路の途中から、見晴らしの良い場所に出られます。



No.154-15 1986.10.9 (14:25) 足尾駅 1795列車 135mm相当 F5.6-8 1/125sec 

 1795列車は足尾駅に到着するとすぐ、前補機を切り離します。 機関車の後ろに 車掌車が連結されているのが分かります。
 足尾線では、上り列車も下り列車も、車掌車は機関車のすぐ後ろに連結されていました。
 その理由は、桐生駅で両毛線に入る時に 進行方向が変わるためです。



No.105-23 1985.6.16 (14:26) 足尾駅 1795列車 170mm相当 F3.8 1/500sec 

 鉱石運搬の1795列車到着。 足尾駅構内には多数の タキ が留置されています。

 < 貨物列車の列車番号は時期によって変更されています。正確な列車番号は、国鉄発表の資料を参照して下さい >



No.103-3 足尾駅構内 150mm相当 F4 1/250sec 

 高崎第一機関区所属の DE10。 足尾線では、DE10とDE11が貨物を牽引していました。 DE11は蒸気発生装置を持たない貨物専用機ですが、夏季に客車列車を牽いて入線している姿も見られました。



No.117-21 1985.10.20 (14:50) 足尾駅構内 80mm相当 F5.6 1/125sec 

 足尾駅構内を探索していた時、このような表示板を見つけました。 タンク車の車体にハリガネでしばり付けて使います。



No.126-9 1985.12.29 (10:07) 足尾駅遠景 105mm相当 F5.6 1/250sec 

 国道122号線バイパスのフェンスに望遠レンズを押し当て、北東側から足尾駅方面を写しています。 傾きかけた倉庫が並んでいます。
 おもむきのある風景でしたが、これらの建物はすっかり無くなってしまいました。



No.179-19 1987.4.4 (20:10) 足尾町 35mm ハーフグレーフィルター F5.6 10min 

 建ち並ぶ鉱山住宅を見おろすバイパス道路から、備前楯山(足尾銅山)を望む。 山すそに伸びる白い光跡が足尾線。 732D下り列車です。 空にはスバルの姿も。

 この頃、自動車に搭載する 車載テレビ という物が流行っていました。 NHKの大河ドラマで「 独眼竜政宗 」を放送していました。 夜間まで撮影する事が多くなっていたので、車載テレビが欲しくてしょうがなかった記憶があります。



No.259-25 1988.11.27 (5:57) 足尾駅構内 751D列車 80mm相当 F8 35sec 

 早朝から分岐器がけなげに働いていたので、カメラを向けました。 列車は、窓の明かりの光跡だけ写りました。
 夜の写真に興味を持つ様になった頃の撮影です。 車中泊も増えていきました。



No.177-28c 1987.3.29 (8:38) 足尾駅構内 80~210mmトリミング有 F5.6 1/250sec 

 分割民営化を3日後に控え、この日は足尾線貨物列車の最終運転日です。 当日の日記には「 9791列車は単行運転。 構内に残っていたタンク車5両を牽いて9790列車発車 」とありました。

 硫酸タンク車の組成を終えた入替え機は、構内の隅にゆっくり移動して行きました。。。




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国鉄時代 間藤(まとう)駅周辺

2025-01-21 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.75-22 1984.10.22 1790レ 50mm、F5.6-8、1/500sec

 空になった鉱石運搬貨車を引いて山を下り、足尾駅へと向かう上り貨物列車。
 並走するクルマに時代を感じます。



 No.61-22 1984.8 間藤(まとう)駅 135mm、F5.6-8、1/250sec

 プラットホームと駅本屋が 渡り廊下でつながっている間藤駅。 蒸気機関車 C12 が活躍していた頃の、変則的な スイッチバック駅 だった名残りです。

 この間藤駅と製錬所のある 足尾本山駅 との間は急こう配で、鉄橋には強度が無いので 機関車を重連にする事が出来ません。 間藤駅に着いた貨物列車はバックで引込み線に入り、蒸気圧を整え、引込み線の下り坂を利用して一気に加速し、製錬所を目指しました。
 何ともワイルドな運用をしていたものです。



 No.62-24 1984.8.14 間藤駅舎 35mm、F4-5.6、1/250sec

 第三セクター わたらせ渓谷鉄道 への移行に合わせ、この駅舎は建て替えられました。 けれど この石段は残っています。



 No.112-15 1985.8.11 間藤駅 駅名板 55mm、F3.5、1/250sec

 線路はこの先の足尾本山駅まで続いていますが、旅客列車は ここが終点です。 列車の待ち時間に、乗客が駅名板に 想いを書き込んだのでしょう。



 No.173-25 1987.3.8 6:02 720D 110mm、F8-11、1sec

 まだ夜の明けきらない山あいの終着駅に佇む 一番列車。 積雪による消音効果で、いつもなら聞こえるディーゼルエンジンの音が、今日は届かない。



 No.157-2 1986.10.26 9:01 1791①レ 50mm、F8、1/125sec

 松木(まつぎ)川を渡る下り貨物列車。 右奥に見える橋は神子内(みこうち)川を渡る国道122号線と、紅葉の日光に向かう車列。
 松木川と神子内川は下流500mの地点、足尾町 渡良瀬地区で合流し、渡良瀬川 の始点になります。



 No.275-35 1989.2.24 15:28 728D 35mm、F4、1/60sec、ハーフグレーフィルター使用

 松木川橋梁と連続する立体交差。 併用軌道の ガソリンカー の線路がここにありましたが、戦後間もなく廃止されました。
 岩肌の露出した 荒涼とした風景がここから始まります。



 No.113-26 1985.8.25 足尾駅・構内進入信号機 50mm、F5.6-8、1/250sec

 足尾駅に進入する上り列車に対して建植されていた腕木式信号機。
 左は 主本線の1番線への進入制限だとして、右は 2番線及び貨物ヤードへの進入制限という意味かと思います。



 No.123-16 1986.1.26 9:00 1791①レ 110mm、F5.6-8、1/250sec

 足尾駅から終点の足尾本山駅まで、ガソリンカーの併用軌道線路が並行していました。
 軽便鉄道の線路が国鉄の線路と平面交差するのは、全国でもマレな事例です。



 No.130-29 1986.3.16 8:44 750D(後年 752D) 135mm、F5.6、1/250sec、C4フィルター使用

 足尾駅から間藤駅に向け 田元橋に差し掛かると、荒涼とした風景が広がります。 精錬方法が改良される前の 製錬所から出された亜硫酸ガスや、江戸時代からの無計画な樹木の伐採により、草木の育ち難い土地になっています。


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国鉄時代 足尾本山駅周辺 2

2025-01-11 08:00:01 | 国鉄 足尾線
 No.74-6 1984.10.14 足尾本山駅 210mm、F5.6、1/500sec

 足尾本山駅を 出川橋梁越しに望遠レンズで撮影。
 貨車入替え用の小型ディーゼル機関車は あまり見える位置まで来てくれません。 なのでヒマさえあれば、ここに三脚を立てて待っていました。

 好きな時間帯は早朝で、工場から出された大量の水蒸気が周辺を包み込み、朝日を浴びて 一面がセピア色に染まります。 その匂いが独特で、製錬所のニオイとして認識しています。



 No.71-25 1984.10.6 足尾本山駅 35mm、F5.6、1/250sec

 足尾銅山こと「備前楯山」を、製錬所越しに。 円形のタンクは酸素タンクです。 工場で作り、精錬に使用します。
 付近では良く、絵画を描きに訪れている方を見かけました。

 400年前、備前(現在の岡山県)出身の2人の山師が、足尾町の楯山で銅を発見。 以後、東洋一の銅山へと発展しました。
 その2人の功績をたたえ、山名に出身地の備前を冠し、備前楯山としました。



 No.175-18 1987.3.22 9:38 9791②レ 24mm、F11、1/250sec

 コンクリート製アーチ橋との立体交差を 上の平地区より撮影。
 毎日3往復している貨物列車の列車番号ですが、時期によって変更されています。
  1790レ ~ 1795レ
    ↓
  5790レ ~ 5795レ
    ↓
  9790レ ~ 9795レ
 正確な列車番号については 国鉄発表の資料にて照合して下さい。



 No.173-13 1987.3.1 9:42 5791②レ 80mm、F8、1/125sec

 樹木の育ち難い荒々しい岩肌。 砂防ダムが所々、茶色く染まっています。 鉄分です。 銅山だからと言って、銅しか出ない訳では無いのです。



 No.122-33 1985.12.15 9:47 1791②レ 80mm、F5.6、1/250sec、C4フィルター使用

 出川橋梁を通過中の下り貨物列車。 右下は、当時、現役で働いていた日本最古の鉄橋、 「古河橋」。
 大型ダンプが通行していますが、「一橋一台」の警告看板が立っていました。
 現在は左側に新橋が架けられ、古河橋は保存扱いです。



 No.173-11 1987.3.1 足尾本山駅

 たまに顔を見せてくれる 青い機関車。 1987年3月29日の鉄道輸送終了の後、この車両の去就は確認していません。
 これらの建物も、ほとんど現存していません。



 No.124-16 1986.3.23 9:57 1790②レ 210mm、F5.6-8、自動露出

 腕木式信号機が青になり、上り貨物列車 発車。
 腕木式信号機はワイヤロープを引っ張ると青になります。 災害などでワイヤロープが切断されると、赤表示になります。
 なら、落石等でワイヤロープが引っ張られた場合、青表示になってしまうのでしょうか?



 No.130-8 1986.2.19 12:28 1793レ 115mm、F5.6-8、1/250sec

 足尾線の貨物列車は 平日・休日に関わらず 毎日運転されていたので、日曜カメラマンの私には ありがたかったです。
 まあ、私なら平日でも 強引にお休みを取りますが。



 No.177- -1 1987.3.22 12:47 9792レ 24mm、F5.6、1/250sec

 正面に 備前楯山。 いく筋もの砂防ダム。 山すそに 本山小学校。 その左下には銅山の沈殿池があります。
 立入り禁止の場所ですが、私の知人は小学生時代、ここで泳いで遊んでいたと言います。 現在は80才を超えていますが、必要以上に元気に生活しています。


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