No.77-13 1984.11.10 10:30 1790レ 210mm、F4-5.6、1/125sec
仕業番号 A23 の DE11-53号機。 朝5:39に 1791レ として桐生駅を出発。 硫酸タンク車編成を牽いて足尾駅へ。 さらに 足尾本山駅まで2往復して、1790レ として山を下ります。
今日はタンク車を6~7両のほか、トラも数両牽いているようです。
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No.109-34 1985.7.28 10:22 1790レ 105mm、F5.6、1/250sec
仕業番号 A23 の 1790レ。 この日は鉱石運搬用の トキ25000 の返空列車を牽いていました。 貨車の行き先は 浜川崎操車場 です。
ディーゼル機関車は桐生駅で切り離しますが、EF60 が 浜川崎操車場から牽引して来た 1795レ の先頭に立って、再び山登りの運用に就きます。
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No.114-12 1985.9.1 14:19 1795レ 210mm、F4、1/250sec
仕業番号 A23 の DE11-53号機。 桐生駅でEF60と荷物交換した 1795レ の本務機として先頭に立っています。
鉱石を満載した重量列車のため、仕業番号 A24 の DE10 が 次補機 として連結されています。
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No.114-13 1985.9.1 14:19 1795レ 80mm、F4、1/250sec
重連機関車が唸りを上げ、連続勾配を登って行きます。 足尾線の撮影に通い詰めていた私にとって 1795列車は ヒーローのような存在でした。
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No.121-23 1985.11.23 14:19 728D 95mm、F5.6、1/250sec
足尾線は山あいを縫って走る鉄道なため、秋冬は日照時間が短いです。 紅葉の季節も良いですが、晩秋の風景も好きなのです。
散り残りの紅葉、低い日差し。 日影になった蒼い風景。 雲の流れ。 落ち葉を踏む音。 畑の中の 焚き火のけむり。
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No.192-28 1987.6.21 トロトレイン
1987年の春に国鉄が民営化され、足尾線貨物も廃止されてしまったので、久々のディーゼル機関車の入線なのです。 しかも プッシュプル運転。
貨物列車の廃止でダイヤに空きが出来たため、臨時列車の設定がしやすくなりました。
JR高崎支社(旧 高崎鉄道管理局 )所属のトロッコ列車は、ゴールデンウイークや新緑の良い季節は、吾妻線や秩父鉄道などに優先的に運用し、梅雨に入る頃に足尾線運転という日程にされていました。 いつもそう。 この日も雨。 雨の日のトロッコ列車、だれが乗るん?
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No.230-10 1988.4.9 9:19 724D 65mm、F11、1/125sec
国鉄の民営化と共に足尾線の貨物列車が運行を終了。 ただでさえ列車本数が少ないのに、撮影の空き時間が長過ぎます。 当時の日記にも「ひまだぁー」とありました。
4月に入っても雪の降ったこの日、鉄橋の手前に線路工事の速度制限票が出ていました。 わたらせ渓谷鉄道 への移管を一年後に控え、関連工事だったのかも知れません。
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No.275-20 1989.2.24 13:56 726D 35mm、F4、1/125sec、ハーフグレーフィルター使用
第二渡良瀬川橋梁。 線路の下に国道122号線が立体交差していました。 道幅が狭く見通しも悪いため、観光シーズンになると決まって混雑していました。 観光バスと大型トラックがすれ違えずに、大渋滞は毎年の事。 今は昔のものがたりです。。。
仕業番号 A23 の DE11-53号機。 朝5:39に 1791レ として桐生駅を出発。 硫酸タンク車編成を牽いて足尾駅へ。 さらに 足尾本山駅まで2往復して、1790レ として山を下ります。
今日はタンク車を6~7両のほか、トラも数両牽いているようです。
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No.109-34 1985.7.28 10:22 1790レ 105mm、F5.6、1/250sec
仕業番号 A23 の 1790レ。 この日は鉱石運搬用の トキ25000 の返空列車を牽いていました。 貨車の行き先は 浜川崎操車場 です。
ディーゼル機関車は桐生駅で切り離しますが、EF60 が 浜川崎操車場から牽引して来た 1795レ の先頭に立って、再び山登りの運用に就きます。
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No.114-12 1985.9.1 14:19 1795レ 210mm、F4、1/250sec
仕業番号 A23 の DE11-53号機。 桐生駅でEF60と荷物交換した 1795レ の本務機として先頭に立っています。
鉱石を満載した重量列車のため、仕業番号 A24 の DE10 が 次補機 として連結されています。
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No.114-13 1985.9.1 14:19 1795レ 80mm、F4、1/250sec
重連機関車が唸りを上げ、連続勾配を登って行きます。 足尾線の撮影に通い詰めていた私にとって 1795列車は ヒーローのような存在でした。
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No.121-23 1985.11.23 14:19 728D 95mm、F5.6、1/250sec
足尾線は山あいを縫って走る鉄道なため、秋冬は日照時間が短いです。 紅葉の季節も良いですが、晩秋の風景も好きなのです。
散り残りの紅葉、低い日差し。 日影になった蒼い風景。 雲の流れ。 落ち葉を踏む音。 畑の中の 焚き火のけむり。
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No.192-28 1987.6.21 トロトレイン
1987年の春に国鉄が民営化され、足尾線貨物も廃止されてしまったので、久々のディーゼル機関車の入線なのです。 しかも プッシュプル運転。
貨物列車の廃止でダイヤに空きが出来たため、臨時列車の設定がしやすくなりました。
JR高崎支社(旧 高崎鉄道管理局 )所属のトロッコ列車は、ゴールデンウイークや新緑の良い季節は、吾妻線や秩父鉄道などに優先的に運用し、梅雨に入る頃に足尾線運転という日程にされていました。 いつもそう。 この日も雨。 雨の日のトロッコ列車、だれが乗るん?
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No.230-10 1988.4.9 9:19 724D 65mm、F11、1/125sec
国鉄の民営化と共に足尾線の貨物列車が運行を終了。 ただでさえ列車本数が少ないのに、撮影の空き時間が長過ぎます。 当時の日記にも「ひまだぁー」とありました。
4月に入っても雪の降ったこの日、鉄橋の手前に線路工事の速度制限票が出ていました。 わたらせ渓谷鉄道 への移管を一年後に控え、関連工事だったのかも知れません。
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No.275-20 1989.2.24 13:56 726D 35mm、F4、1/125sec、ハーフグレーフィルター使用
第二渡良瀬川橋梁。 線路の下に国道122号線が立体交差していました。 道幅が狭く見通しも悪いため、観光シーズンになると決まって混雑していました。 観光バスと大型トラックがすれ違えずに、大渋滞は毎年の事。 今は昔のものがたりです。。。