軽井沢駅と横川駅の中間付近。 旧 国道18号沿いにある 第6橋りょう ( 50mm F5.6 1/60sec )
わたしと中屋さんのと出会いは、もう20年も前になります。
わたしはそれまで、JR足尾線の写真を 数年間 写してきました。 いつの日か、足尾線の写真集を出したい。 けれど、自費出版するにはお金がない。 そこで、JR高崎支社 にスポンサーになってもらおうと考えました。
ある日、写した写真を持って、高崎支社に出掛けました。 もちろん、まったくのアポ無し。 それどころか、どこの部署に行けばいいのかも 不明でした。
わたしがフロントのあたりで ウロウロしていると、守衛のおじさんに呼び止められました。 実は この方が、中屋さんだったのです。 中屋さんはJRを退職したあと、嘱託で高崎支社で 守衛の仕事に就いていたのです。
わたしは守衛室で 事情を話しました。 中屋さんは わたしの写真を興味ありげに眺め、「私も 写真集を出したことがあるんだよ。」 と言って、奥から “アプト式鉄道”の写真集を持ってきてくれました。
とても大きな、そして分厚い写真集でした。 中屋さんは有志と共に、消えていくアプト式鉄道の記録を残すため、お金を出し合って、この写真集を 自費出版されたのだそうです。
わたしは中屋さんから、JRがスポンサーになることはありえないと教えられ、また、デザイン事務所などを紹介してもらいました。
わたしは鉄道保線機械の製造会社に勤めていたので、その関係もあって、その後も 中屋さんとお会いする機会がありました。
中屋さんは模型マニアだと知り、自宅には めがね橋のジオラマもある と聞きました。 そのジオラマが 現在、鉄道文化文化むらに展示されているのです。
結局 わたしは、中屋さんの自宅を訪問することは 一度も無かったのですが、彼のやさしい人柄に どんどん 惹かれていくのでした。。。
わたしと中屋さんのと出会いは、もう20年も前になります。
わたしはそれまで、JR足尾線の写真を 数年間 写してきました。 いつの日か、足尾線の写真集を出したい。 けれど、自費出版するにはお金がない。 そこで、JR高崎支社 にスポンサーになってもらおうと考えました。
ある日、写した写真を持って、高崎支社に出掛けました。 もちろん、まったくのアポ無し。 それどころか、どこの部署に行けばいいのかも 不明でした。
わたしがフロントのあたりで ウロウロしていると、守衛のおじさんに呼び止められました。 実は この方が、中屋さんだったのです。 中屋さんはJRを退職したあと、嘱託で高崎支社で 守衛の仕事に就いていたのです。
わたしは守衛室で 事情を話しました。 中屋さんは わたしの写真を興味ありげに眺め、「私も 写真集を出したことがあるんだよ。」 と言って、奥から “アプト式鉄道”の写真集を持ってきてくれました。
とても大きな、そして分厚い写真集でした。 中屋さんは有志と共に、消えていくアプト式鉄道の記録を残すため、お金を出し合って、この写真集を 自費出版されたのだそうです。
わたしは中屋さんから、JRがスポンサーになることはありえないと教えられ、また、デザイン事務所などを紹介してもらいました。
わたしは鉄道保線機械の製造会社に勤めていたので、その関係もあって、その後も 中屋さんとお会いする機会がありました。
中屋さんは模型マニアだと知り、自宅には めがね橋のジオラマもある と聞きました。 そのジオラマが 現在、鉄道文化文化むらに展示されているのです。
結局 わたしは、中屋さんの自宅を訪問することは 一度も無かったのですが、彼のやさしい人柄に どんどん 惹かれていくのでした。。。