うっかり江戸時代に存在していた、いわば箱根の関所のような幕府直轄の関所かと思っていたが、とんでもない。
大化の改新があったほども大昔に作られた関であった。江戸時代はすでに遺跡として発掘の対象であったようだ。
長い間、甲子園の優勝旗が越えられない白河の関として耳に入っていたが、たしかにみちのくの入り口のようで、
松尾芭蕉もここを訪れて句を残している。
まぁ、私が良く知らないだけで皆さんの方が良くご存知かもしれないので
余計な薀蓄は控えておくことにしましょう。^^
あちらもこちらも白河の関です。
大化の改新があったほども大昔に作られた関であった。江戸時代はすでに遺跡として発掘の対象であったようだ。
長い間、甲子園の優勝旗が越えられない白河の関として耳に入っていたが、たしかにみちのくの入り口のようで、
松尾芭蕉もここを訪れて句を残している。
まぁ、私が良く知らないだけで皆さんの方が良くご存知かもしれないので
余計な薀蓄は控えておくことにしましょう。^^
あちらもこちらも白河の関です。
そうだったんですか!
江戸時代も遺跡の発掘をしていたんですね!
驚きました。
もっとも江戸時代から生きている人はいないのだから
それほど身近に感じない人が誤解していても
しかたがないことかもしれません。
教養のなさが露呈しますが、今知ったということで、少しは進歩でしょう。あちらに薀蓄看板をUPしておきました。