ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

職場復帰、しかしまたもや「在宅勤務」に

2007-06-11 16:26:44 | 肺炎闘病記
 すでに金曜日に会議出席しているが、病気で休んで以来オフィスに出社するのは今日が初めて。

 さっそく、金曜日の会議の件で社長からメールが入ってきたと、上司。「この間の会議はよかった。その時の議事録と修正した資料、火曜日前に(ドイツ時間)欲しいからよろしく」……ひえ~、時差を考えても、向こうの火曜日の朝前にということは、明日昼までにはってことだ。

 今からオフィスでごそごそ始めると確実に遅くなるので、帰宅しての在宅を希望。今日は終わったらそのままベッドに潜り込んでもいいし、明日はアポがないので(メールさえ送ってしまえ)引き続き「在宅」にしたっていい。

 とりあえず、これから夜なべ仕事開始……^_^;。

一日中喉がいがらっぽい

2007-06-10 20:01:56 | 肺炎闘病記
 もう痰も出尽くしたと思うのだが、一日中、喉がいがらっぽくて咳が止まらない。

 喉のいがらっぽさは、今までの肺から来る咳ともかなり違って、本当に喉から来ている感じ。かと言って、のど飴程度では収まらない気がする。

 うがいでもしてくるか。

☆★☆★

 それ以外の症状については、寝たり起きたりで、だいぶ小康状態。熱も37度を割ることが多くなった。

吸湿性抜群でサラリ感覚の続くエコシルクパジャマ

2007-06-10 08:24:33 | 肺炎闘病記
 今回の肺炎闘病ライフで一番役だったモノを紹介しておく。

楽天 イイもの下着ヘヴンズブルー
くずまゆシルク紬パジャマ

紬シルクの特徴

紬シルクは、生糸にならない[くずまゆ]を、丁寧に石鹸で煮て、[ワタ]にした物を紡いで作られています。生糸のように、1本の長いなめらかな糸では有りません。
繊維の短い部分は、[節]や[ブツブツ]になるので、織ったり、編んだりした時、生地の表面に凹凸ができ、ややごつごつした感じになります。
また、この[ブツブツ]は、着用したり、洗濯するたびに、少しずつ脱落していきますが、これはシルクの紡いだ糸の特徴です。この[ぶつぶつ]がくっつくのが気になる場合は、上下同じ系統の色を着用していただく事をお勧めします。どちらかが濃い場合、互いに目立ち美しくありません。

しかし、この紡いだシルクは一般のシルクに比べて次のような長所があります。

・汗や、老廃物や、身体の臭い、などをよく吸収します。
・良く吸収するだけでなく、空中に放散しますから、ベトつかず、サラッとしています。
・空気をたくさん含みますから、冬暖かく、夏涼しい。
・静電気がおきにくい、
・値段が安い。
・手入れが簡単。
・ネットに入れて、洗濯機の弱水流で洗えます。シルク専用の中性洗剤を使用してください。日陰干しすれば、黄ばむのをある程度防ぐことができます。

これらの長所は、下着、靴下、タオル、シーツ、パジャマなど、日常生活にシルクを取り入れる場合に、最適の条件を満たしていると思います。

身体を締め付けない、ゆったりとしたデザインで、ウエストのゴムは全て取替え可能です。蛍光漂白剤の使用はしていません。縫製糸も絹糸を使い、まさにシルク100%ですから、化学繊維に反応してしまう敏感肌の方達にも喜ばれています。
(ただし、全ての肌の弱い方に問題が起きないわけではありませんので、その点、お含み置き下さい)
ぜひ紬シルクをご愛用いただき、その着心地の良さを堪能していただくと共に、あなたの健康生活にお役立て下さい。


 説明通り、とにかく吸湿性抜群で、常時38度5分で寝汗の量が凄い状態が何日も続く病気に、このパジャマが手元にあって助かった。しかも、普通のシルク(たとえばシルクサテン)は汗を吸うとぴたっと身体に張り付いてしまうが、汗を吸っても通気性が高く、いつもサラサラ。

 洗濯機で洗える(私はデリケートな繊維用の液体洗濯剤を使い、一番弱い水流で洗っている)し、乾くのも早い。

 早速、夏用の半袖の製品を買い足したところ。

カテゴリ「肺炎闘病記」新設しました

2007-06-09 22:14:23 | 肺炎闘病記
 先週来の記事を、「肺炎闘病記」というカテゴリーを新設し、そこに全部カテゴライズしました。病気の話もあり、仕事の話もあり、病気中に起こった不思議体験あり、と、バラエティには富んでいますが、自分には「肺炎闘病記」というカテゴリーに全部まとめてしまうのが一番自然だったからです。

 もちろん、先週の木曜昼頃に発熱して会社を休んでから今週の月曜日に受診して「肺炎」とわかるまでは、自分には「肺炎」という認識はなかったのですが、一連の病の流れなので同じカテゴリーに入れました。

 自分が尊敬する幕末前夜の人物、伊豆代官江川太郎左衛門英龍《ひでたつ》は、ペリー来航に前後して後から後からやって来るアメリカ・ロシアなど列強の開国圧力に対して、江戸湾に台場をつくったり(幕府の財政が逼迫したため途中で中断)、伊豆の海岸線の防衛線強化のために農兵隊を組織し砲術の訓練をしたり、西洋の当時の技術力に追いつくための鋼鉄精錬技術として反射炉をつくったり、伊豆安政大地震で家屋倒壊と津波の被害に遭った地元民たちを救済しようとしたり、その津波の影響などを受けて持ち船を難破させてしまったロシアのプチャーチンご一行のために西洋式の帆船をつくったり、幕府のために力を尽くした挙げ句、風邪をこじらせて数え50才で亡くなります。ある意味「過労死」ではあるのですが、直接の死因は肺炎かと思われます。

 自分は現代医学のおかげで抗生剤の力を借りて一週間でかなりの回復ができたわけですが、幕末のあの時代に遡って英龍様に抗生剤を投与できたら、英龍様があと10年以上長生きしていたら(英龍様が亡くなって、明治に年号が変わるまで、10年ちょっとしかないのですよね)幕末の構図がどう変わっていたか、「ありえないif」を考えたくなるのは自分の気持ちがまだ病人だからでしょうか。

湿布剤を処方される

2007-06-09 09:41:17 | 肺炎闘病記
 前述の記事の通り、右脇腹の辺りが痛むので、一日ぶりに主治医に診てもらった。

 どのくらい治ったか見ようか、ということでレントゲン撮影。思い切り息を吸ってと言われても、今日も息吸い込めないっす……「まだ、ぜいぜい言っとるな」と先生。

 できあがったレントゲン写真。右肺は、まだまだ白かった。
「……まだ白いですね」
「この病気、自覚症状と実際の状態が同じということは、まずないんや」
 と、先生は、スキーのハの字歩行のようなジェスチャーで説明。

「で、今日はどんな状態?」
「右脇腹のこの辺りが、ひくひく痙攣して、一晩中眠れませんでした」

 この後の先生の説明は順を追って丁寧に説明してくれたものなので、ちょっと長かった。私なりに要約して理解したのは、肺自体は神経がないので炎症を起こしても痛みがない(だから他の自覚症状が出るまで遅くて、医者に診てもらう時には結構炎症が進んでいることになる)、しかし肺を包み込んでいる胸膜には神経があり、肺から炎症が移って痛むことがある、これも肺炎の治る過程でよく起こる症状だ、ということだ。

 痛み止めを処方して胃を荒らすのも嫌だし、と、先生は貼り薬の湿布剤を処方。「24時間と書いてあるが、実際に自分の使った経験やと、ま、12時間やね。湿布負けするとよう言うが、お風呂に入った時に、湿布貼ったところに残った粘着剤を石鹸でよう落としてな」
 と、細かい使い方の指導まで^_^;。

 これで、週末の静養ライフに、大きな安心を得ることができた。もう抗生剤も要らない段階になったんだなぁということと、胸膜の痛みは新たな症状だったけど肺炎を治す過程で通過するステージにあることと、その痛みどめは湿布でいいということ。

 明日は休診日だけど、今日明日は、ゆっくり眠って睡眠不足の解消と体力の回復を目指そう。

☆★☆★

 昼間は寝たり起きたり。喉が腫れていたため、今までずっとミネラルウォーターやウーロン茶など冷たい飲み物しか飲みたくなかったのに対して、今日は温かめ(自分は猫舌)のミルクティーを飲むことができた。

 朝食は「朝から飲める野菜スープ」トマト一袋、バナナ一本。昼は、とろろと半熟卵に冷たい蕎麦(完食はできなかったが)とキウイ2個。夕食は、卵豆腐と茄子利休煮、スナップえんどうの五目炒めと買ってきた惣菜で済ます。が、一部は電子レンジで温め、身体を冷やしすぎない工夫もしている。

 寝たり起きたりしながら、またも喉にからんだ痰を何度も吐き出す。これで全部吐き出せたかどうかはわからないが(だいたい一日おきに周期的に出てくるから)。ただ、鼻からの呼吸は胸いっぱいできないまでも、だいぶ楽になった。

 件の胸膜の痛みは、湿布薬ですっかり治まっている。おかげさまで、今週の寝不足をかなり解消できた。

不調・不調・不調

2007-06-08 21:09:21 | 肺炎闘病記
 今日の日帰り出張の話はまた改めて書くとして、主治医にいちおうの治療終了を宣言された後も、後から後から不調が続く。

・昨日の夜は、一時間おきに喉に痰が絡んで目が覚め、喉を開いた咳をして痰を出した。ティッシュ20枚分はあっただろうか。

・後回しにしていた口内ケアの不足による口内トラブル。上あごに口内炎。舌の一部に歯で噛んだような痛みの残る場所あり。歯茎の腫れによる噛み合わせの不具合。この結果、現在、よく煮たものや卵・豆腐類など柔らかいものしか口に入らない。

・肺の炎症部分の、引き攣れるような痛み。冷え○タの類似品を張って冷やしているが、どういう姿勢で横になっても患部の痛みが和らがない。今晩は、これが一番しんどい。

・流動食中心、水の多飲による胃の消化力低下。その結果の下痢。ピーピーではないが、そもそも水分しか出ないような飲食しかできない……(泣)。

明日の午前中に診察してもらって、抗生剤を追加で出してもらうか、また点滴を打ってもらうかして、明日明後日を養生に当てるしかないと思っている……それにしても、今週に入って安眠できたのは、本当に一晩だけだなぁ……。

なぜか嗅覚障害が回復してしまった話

2007-06-07 22:57:04 | 肺炎闘病記
 肺炎とお付き合いした日々の時系列的なまとめを書こうと思っているのだが、ミステリアスな事件があったので忘れないうちに書き記しておきたい。

 自分はスモーカー歴が長いせいか、いつの頃からか嗅覚が鈍くなった。決して無嗅覚というわけではなく、新そばの季節に蕎麦を鼻に近づければ蕎麦の香りを楽しめる程度には嗅覚はある。ただ、タバコのせいか、それとも実は蓄膿なのか、鈍くなっていた。

 話は「不眠明けに文字通り涙が止まらない」のエピソードとちょっと、かぶっている。

 水曜日の夜からなかなか寝付けなくて4時半頃までごろごろしていた時、ふうっと催眠から解けたように涙がぼろぼろ出てきて自分は「正気」に戻った(今思うと、月曜日に自己催眠をかけたんじゃないかと思っている……心理学は多少かじっているが、その技量はない。しかし、後で思い返すと、同僚の女性とメール合戦していたときには物の怪に取り付かれたようにひたすらパソコンを打ち続ける時の意識があまりなくて、トランス状態になっていたんじゃないかと思うのだ)。

 しかし、その「正気」に戻る前、もうひとつの不思議な現象があった。本当か夢うつつかはわからないが、私は鼻腔をくすぐる味噌汁の香りで目が覚めた。アルミサッシでぴったり窓がしまっているので、それは夢の中の「味噌汁の香り」のイメージだったのかも知れない。

 しかし、驚くなかれ、それ以来、私の嗅覚は以前のように、少なくとも人並みには嗅覚が戻った。

 このエピソードを含む一連の事件は、そのうち知り合いのカウンセラーに聞いてみたい。その前に、一本の記事としてまとめようと思っているのだが。

☆★☆★

 追記。とにかくよく喉が渇くと思ったら、平熱より1.2度高いだけでなく、上あごに口内炎ができていた。蕎麦屋酒を楽しもうと思ったのに、一合酒は半合、穴子の一匹ものの天ぷらは半匹分、二枚分のせいろは一枚分しか食べられなかったのがとても残念……^^;。

本当に3日で治してくれた

2007-06-07 12:57:42 | 肺炎闘病記
今朝は、先週木曜日の昼前に体調不良になって以来、会心の睡眠。ぐっすりよく眠れて、すっかりリフレッシュできた。体温は相変わらず37度だったり8度だったり6度だったりするけど、咳も痰が絡まないようになった。

先生から血液検査の結果スリップをもらって説明を受ける。より心配なマイコプラズマ性ではなく、細菌性の肺炎だったそうで。「あと1日遅かったら危なかった、とか言うことはなかったですか?」と聞くと、一笑された。「そんなドラマみたいなもんちゃうで。1ヶ月ほっといたらまずいがな」

3日目の抗生剤入りの点滴を受けた。今日は看護師さんが足りないのだそうで、何と先生ご自身が点滴チューブの針を刺してくれた……全然痛くなかった。

お隣のベッドで点滴を受けているのは、この医院から1軒置いて隣のご婦人。大晦日でも夜でも身体が空いている限りは診察して下さるとか、とても面倒見のよい先生の人柄についていくつか伺った。

そう言えば、私に対しては、できるだけ薬を処方しない方針だと言っていたし。製薬会社の一端にいるので、薬剤師を置いて、薬を直接処方してくれる診療所はここめっきり減ったことはよく知っている。処方された薬はいわゆるジェネリック。製薬会社から見たら旨味のない取引先ということになるだろうが、患者負担をなるべく少なくしようという姿勢とも見えるなぁ。

点滴終了後、待合室に戻された。今日はまだ職場復帰の話はないのかな。

会計終了。明日も来てくださいとも言わないし、最初にもらった飲み薬も切れるので、確認したら、もういいですよ、とのこと。えっ、職場復帰OKか。じゃ、明日の東京での会議出席を目標にしていた私の目標はかなったんだ!

勤め人としては長期間病欠したわけなので、改めて診断書をお願いした。

月曜日に受診した時に「本当は入院した方がいいんやけど」と言われたが、入院生活できない事情もあり(過去記事を見れば歴然)、「毎日通いますから。でも3日で治りませんか」と無茶な(というか無邪気?)ことをのたまった患者。でも、抗生剤入りの点滴3日(昨日は休診日でした)で、本当に先生は3日で治してくださった。

自宅に戻って職場復帰の連絡などをしていると、明日10時開始予定の会議が9時開始に繰り上がったという連絡……まだまだ、ジョナ・ケイのご託宣によると日々激動の変化があるという週は終わっていない。

自宅療養というより自宅軟禁労働……(汗)

2007-06-06 17:48:07 | 肺炎闘病記
 先ほどやっと、金曜日の会議に必要な全書類が揃って、月曜日から入院でなく選んだ自宅療養とは建て前と紙一重の(まぁ、近所の医院で一日一本抗生剤入りの点滴を打ってもらっているからねね、実際……)自宅SOHO化。意識と体力が持たなくて倒れ込むように昼寝をしたのは月曜日だけで、後は点滴打ってもらったら夜までネット経由で会社の回線とつないで、必要に応じて上司と電話して、ひたすら資料の編集……昨日辺りから自宅にいるという気すらしていない(苦笑)。日常と違うのは通勤時間がないことと、基本的に携帯の会話だけで会議がないことぐらいで、仕事の内容は普段の日常よりハードなSOHO労働者になっていた。

 並行してこの7日間、いったい自分に何が起こったのかということを簡単にまとめようとしているのだが、自宅療養と称してこれほど心身共に振幅の激しい一週間を過ごしたのは人生で初めてかも知れない。

 自宅なのに、監禁された囚人のような精神体験までしてしまった(照)。今の心境は今朝の記述の延長上にあるのだが、月曜日に一旦エキサイトし、火曜水曜はその人とのメール合戦。内幕を言えば、実は長いメールを冷静に読む体力も精神力もなく、最初に来た依頼のいくつかのキーワードが過去のトラウマを無意識に刺激して、パニック状態になった。

 今日落ち着いて上司に告白したが、さすが私の上司を10年もやっているだけあって、月曜からの私の過剰反応がどこに由来するものだったのかから、私が(錯乱状態とは言わないまでも)おかしくなったのは彼女と仕事を初めてやった時のどういう心理状態だったかを一方の当事者である彼女に、すでに昨日説明していた。私が正気に戻った以上は顔を突き合わせて冷静に関係修復できるだろうと適当に突き放してくれた。だから、この上司には頭が上がらない。

 しかし、診療所が休診日であるだけ、今日は横になって寝られそうと思っていたのに、資料送付が終わったのは先ほど……脱力。

 ただ、気が付けば体温は36.6度までは下がってきている。喉を切るような痰のからむ咳が時々止まらないのが閉口だが、これも肺にたまった痰を出す段階になったということ。

 月曜日は、資料を完成させて送ったら、職場復帰の許可をもらって金曜日の会議に記録係として出席することが肺炎治療のための目標になっていた。

 今日は、はぁ、待った挙げ句(同僚の一部が借金の取り立てよろしく原稿の回収に当たったのだが)提出を求められている組織の資料は奇跡的に全部集まった。それをメールで受け取る私は、締め切り間際にアパートに缶詰めになっているマンガ家よろしく、会議資料に一本化し、資料は完璧に揃った。

 今は新しい地平線が広がった違う大地の局面を見ている気分。無理に最終目的地に着かなくてもいいじゃないか、ろくに眠れなかった心の重しも取れたのだし、ここずっと38度台の体温ですっかり煮えてしまった脳と神経の修復だって必要だ。今日はもう、36度台まで戻ったので、ちゃんとお風呂に入って(高熱が続いていた時は、一日おきに体力を見てシャワー……)から、ゆっくり寝たい。

不眠明けに文字通り涙が止まらない

2007-06-06 06:22:49 | 肺炎闘病記
 38度を超える熱を発した状態で、土曜日からかれこれ4日の晩を越えようとしている。

 土曜日日曜日は熱と咳で眠りにつけなかった。

 月曜日は寝る前に社内の他部署の協力依頼メールを受け、そのまま判断を保留しておけばいいものを、感情をコントロールできなくなった。内容をろくに読んでもいないのに、きついメールを返していた。しかも追伸付きで。
 その日は、肺炎と診断されてともかくショックだったのと、咳と熱で体力が消耗しきっていたことで、何日にもわたる高温状態による精神のハイ状態も重なり、抗生剤の点滴と服薬が症状を抑えはじめたせいで、とりあえず、昼寝はぐっすり寝られた。しかし、一時間おきに目が冴えるという、体力的には決して睡眠ともいえない状態。サンプル品でもらったトマト由来の健康睡眠促進ドリンクを飲んだが、まったく効かなかった。

 火曜日はまた点滴を受けて身体の元気を少し取り戻し、昼過ぎから宿題になっていた金曜日の会議資料をつくり始めた。まだ熱は38度ある。
 前日攻撃的な返答を出してきた女性の同僚からの手紙、精神的にも気力的にも全部読むことができず、しかしお互いの休み明けに冷静に話し合おうという約束をしつつも、私はどうしても「協力」の依頼にまつわる数ヶ月前のイベントの話に戻さねばならない、と書かずにはいられなかった。
 会議に必要な資料は夜のうちに調い、すでに上司に送った。明日病院は休診、点滴はないが一日横になって疲れを取り、木曜日の3回目の点滴で職務復帰完了を目指していた。
 しかし、今日も夜の時間のうち半分、寝ていたかどうか。

 明け方になって、身体の異変に気づいて体温を測ったら今までで一番高い39.2度まで上がっていた。金曜日の会議の代理もすでに立ててもらっているのだし、もういいではないか……。

 突然、今週私が、その女性同僚からのメールの協力要請に、なぜ通常の精神状態でいられなかったか、閃いた。

 彼女の依頼で協力を始めたそのイベント、イベント自体は成功だったと思う。しかし、私が類似の経験を買われて彼女に「協力」することになったのだが、自分が本来「協力」できるところは、その回のイベントでは組織責任者とコンサルタントの間で全部取り決められ、自分はイベント見学と夕食会の余興の一部手伝いという役どころで、その場にいた。彼女からのメールの「協力」という言葉に、自分の内心の呵責「お前は何の価値を提供するためにそのイベントに参加したのだ」が、明け方、何筋もの涙になって氷解した。

 彼女を一方的に傷つけた悔いは残っている。だが、自分を縛っていた感情が解放されて、止まらない。

 朝になったら上司に会議資料を見てもらった後に、来週明けに出社した後に上司による事情聞き取りと必要に応じての処罰、彼女への陳謝の仲介依頼を頼む決心がついた。

 自分のしたことの始末はつけなければならない。自分の感情をコントロール不能状態にする一種の催眠ワードの組み合わせがわかったので、肺炎から全快した後に後始末をつける勇気を得られた。

☆★☆★

 そして、実は、月曜日午前中、ネット上でも自分の書き込みが相手を不快にさせているのではないかと疑われる形跡があった。

 いつもならまめに返信メッセージを送ってくれる相手が、返事も、その後の私の肺炎関連の報告にもまったく言及がない。

 一日遅れの誕生日メッセージも書き込んでいたが、なぜ遅れたか、自分の体調がどうか、文章として支離滅裂だった。文章にうるさい友人が、読んで心地よく思うわけがないではないか、という疑いが持ち上がった。

 ここにこっそり報告しておく。上記の事件と平行して、火曜日から水曜日にかけて、まず、月曜日以後の記事を削除した。昨日、月曜日の記事を編集し、病気による自宅療養宣言をして、引っ込んだ。

 職場での筆禍事件と平行して起きており、精神的肉体的にアップダウンが激しく、友人を知らずに傷つけていたのなら、肉体的にも精神的にもまず安定してから、ことの始末をつけたかったからだ。

 しかし、上記の筆禍メールで自分の心の鎖がひとつ解け、ぼろぼろと泣いていた時に、巡回しているネット某所で、その友人からの伝言を発見した。

 ……神か何の巡り合わせなのかはわかりませんが、このタイミングに感謝します。この心身状態で、自分はまだ、その大事な友人を失っていなかったのです。

 ……別の意味の涙が流れ流れて、もう1時間になります。自分をこの不眠に縛り付けているものは、このふたつだったのですね。

☆★☆★

 感情が落ち着いたら、一度シャワーを浴びて、一度横になってから、上司と仕事の打ち合わせをします(もちろん、何らかの調べと注意なり譴責なり二度としない誓いなり、必要なことはすべて。そして、彼女への謝罪仲介依頼。今日、了解が取れれば、メールでその旨だけ先に出しておきます)。

 6月6日、関西の天気はやや雲が散った晴れです。熱がどこまで下がるかわかりませんが、急に肩の周りに凝っていたものが落ちたような体感です。

☆★☆★

 そして、シャワーを浴び、昨日の記事の冒頭を読んで、大苦笑。人は自分で記憶を都合のよいようにデフォルメして記憶するという例だ。

 心の呪縛に気づかない昨日と呪縛の正体が解けた今日とでは、同じ出来事すら、違う物語になる。

 そういう心理のメカニズムを知識として知っている割に、実際には自分が縛られているのだなぁ。