副題は「投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」 。
以前『ヘッジホッグ―アブない金融錬金術師たち』の紹介(参照)の中で孫引きしたヘッジファンド運用者のナシーム・ニコラス・タレブの著書です。
参照先のエントリには訳者の方もわざわざコメントいただき、その中でこの本の日本語訳の出版を予告いただいておりました。
本書はトレーディング(相場)において、なぜ人間はランダム性に振り回されるのか、そして振り回されているということにすら気がつかないのかと、いうことを手を変え品を変え、これでもかというくらい書いています。
曰く、確率と期待値を混同する、都合のいいサンプリングしかしない、そして科学的な理論を都合の良いように引用するetc...
そして、そもそも人間の脳自体が常に合理的な判断を下すのではなく(そんなことをしていたら情報量が多くて処理できない)、「いい加減で手っ取り早い経験則」を元に判断するようになっているというところまで掘り下げます。
本書は2001年初版のあと2005年の第二版にあたり、著者の関心の広がりにしたがって大幅な改定がされています(訳のベースはこの第二版)。特に生物学、脳の働きというところが大幅に加筆されたようです(昔のエントリでちょっとだけ言及したスティーブン・ピンカーなども引用されています)。
その結果、本書はトレーディングの要領や経済についての本から、より広く、ランダム性に振り回されたり勘違いしない、または控えめに言って誤ることが避けられないのであればどういう過ちをしがちであるかを知ることがよりよい人生につながるということを、考えさせてくれるものになっています。
なるほど、と思うところはたくさんあるのですが、ひとつだけ紹介するのが進化論の誤用の指摘
植物や動物は世代が進むのと一緒にひたすら完璧な存在へと突き進むのだと信じている素人は多い。そんな考えを社会に応用して、競争(と四半期決算報告という戒律)のおかげで企業や組織もよりよい方向へまっしぐらだとmの信じている。一番強いものが生き残る。弱い奴は消え去るのみだ。(中略)
物事はそんなに単純ではない。大体、組織は自然界の生き物みたいに子供を生まないという事実を無視している段階で、ダーウィンの考えを根本的にわかっていない。ダーウィンの説は繁殖適応度に関するもので、生存に関するものではない。この本に出てくる話はみんなそうだけれど、問題はランダム性にあるのだ。(中略)
ダーウィン的な適応はとても長い時間かけて発達する種について成り立つもので、短期間では起きない。時間的集中のせいで偶然の影響はほとんど消えてしまう。世間でも言うように、物事(ノイズと読むべし)は長い目で見れば釣り合いが取れるようにできている。
稀な現象は突然起きる。私たちは物事がよりよいほうへ連続的に「収束」していくような世界で暮らしているわけではない。人生のいろんなことも、連続的に動き続けているわけではない。 まったく違う。
著者は最後に
情緒が割り込んでくるとき、頭で考えたことは身につかない。私たちは教室を一歩出れば脳の合理的な部分は使わなくなる。自己啓発本は(万が一インチキでなかったとしても)ほとんど役に立たない。正しい見識ある(そして「親切な」)アドバイスや雄弁なお説教は、私たちの頭の中の配線に合わなければ数秒しかもたない。理性主義の面白いところは、尊厳や個人的な美意識に訴える点だ。これは遺伝子に組み込まれているのである。次に不幸な目にあったときから、人としての品格を大事にしよう。どんなときでも、sapere vivereの(「人生を悟った」)態度を示すのだ。
まあ、それができないから難しいわけですし、もともと
私のモットーは「自信満々で、自分の知性を信じきっているやつらはいじめてやろう」である。
というような著者(こういう人は僕はかなり好きです(笑))だけあって「○○の品格」のような説教にはたどり着きません。
いろいろ不幸な目にあっても毅然としているべしと皮肉のこもった例をいくつかあげ、最後にこんなのを付け加えています。
私の子供の頃からの友達のように、ちょっと「態度に問題のある」人なら、仕事がうまく行かなくなっても急にいいやつになったりはしない(彼は同僚たちにこんな雄雄しいeメールを送りつけた。「仕事は減ったけど、態度は今までどおりだ」。)
座右に置くか、読み直さなくても、本棚の目立つところにこの「まぐれ」と対処された背表紙を置いて、戒めにしたいと思います。
PS
bunさんが「P行動経済学」というエントリをシリーズで書かれています。
確率と期待値の混同やランダム性に翻弄される例として非常に参考になります。
(僕はパチンコを全然やらないので仕組み自体がよくわからなかったのですが、なるほどゲームとしては良くできていると感心します。)