くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

柳原白蓮の生涯。

2014-05-30 | 日記

NHK朝ドラ『花子とアン』が好評で 平均視聴率が20%を越えると聞きました。

高視聴率の原動力となっている 仲間由紀恵さん扮する 柳原白蓮がモデルの
蓮子の存在が大きいそうですね。

しっとりと美しい仲間由紀恵さんですが 本物の白蓮(小さい写真)も  夢二の
美人画と錯覚するほど はかなくて美しい。



買った雑誌に 柳原白蓮の生涯が載っておりましたので 白蓮について決して詳しくは
ないですが 本の受け売りで掲載してみます。

親ほど歳が違う福岡の炭鉱王 伊藤伝右衛門に 金で買われる形で 2度目の結婚をした
白蓮25歳 伝右衛門50歳の 結婚式の写真です。



伝右衛門は新妻に 金を惜しみなく注ぎますが 何人もの妾を持つ 伝右衛門との
夫婦仲は冷えきり 白蓮はますます 歌に打ち込むようになります。

伝右衛門は 下品で無教養のため たびたび夫を注意する白蓮の姿が ドラマでも
再現され 現実から目を背けるように 九州の名士たちと社交する白蓮は やがて
『筑紫の女王』として 全国に その名を知られるようになります。

大正9年 白蓮が書いた戯曲を読んだ 東京帝大の学生が 彼女の元を訪れます。



青年の名前は宮崎龍介27歳 時に白蓮35歳 たちまち2人は恋に落ちます。

が当時有夫の女性は 姦通罪で牢につながれる時代でしたが 夫が離婚を認めれば
罪にはなりません。

龍介は策を練り 翌年白蓮が出奔した直後 大阪朝日新聞に 伝右衛門の不実を訴えた
公開絶縁状を掲載して この前代未聞の事柄は 世論を巻き込みます。

これが世に言う『白蓮事件』でありました。

当時は 自由を謳歌する大正デモクラシーの世相があり また 天皇の従妹である白蓮を
獄につないでいいものか との世論もありました。
 
明治末期から大正期には成金がのし上がり 没落していく華族の子女が 金で買われる
ことは珍しくなく 白蓮が伝右衛門に 買われた形で嫁していたことは世に広く知られて
いたため そこを突いた絶縁状が 功を奏したわけです。

当時華族は 宮内省の許可なくして離婚は出来ない時代で 宮内省は許可を渋りましたが
翌年の春 伊藤籍のまま 白蓮は男児を生みます。

騒動から2年後 宮内省は白蓮の華族除籍を発表し ようやく2人は晴れて夫婦になれて
そのあと生まれた女児とともに 一男一女に恵まれますが 長男は のちに戦死します。



昭和3年 龍介は 第1回普通選挙に立候補するも落選します
左から2人目が龍介 筆を持つは白蓮です


夫 龍介の選挙資金を稼ぐため 短冊即売会での白蓮
白蓮事件後 生活のため たくさんの軸や短冊を書いたことから 現在では軸で5-10万円
短冊や色紙で2-5万円が相場とのこと『花子とアン』の影響で問い合わせが増えたそうです


晩年 白蓮は歌誌『ことだま』を刊行し 歌会を主宰します。
門人・椿錦二氏84歳が語る白蓮像は「なよなよしたところは微塵もなく 巻き舌で低音の
東京育ちらしい口調でした」とのこと。

人前に出るときはいつも 公家にとっての高貴な色である 紫の着物に銀色の帯の白蓮を
毎年必ず10月15日の誕生日には 門人たちが祝ったと言います。

昭和29年10月 古稀の祝賀会のため集まった『ことだま』の門人たちに囲まれた白蓮
イスに座る白蓮の 右2人目が 若き日の椿錦二氏。


昭和36年 講演先の京都で緑内障を発症 手術を拒んだ白蓮は 椿氏に言ったそうです。
「知ってるだろ 私たち公家の者は体に刃物を当ててはいけないんだよ 近衛さんをごらん」

光を失った白蓮の傍らには 常に龍介が寄り添っていたといわれ 昭和42年2月22日
白蓮は81歳で息を引き取り その4年後 龍介も78歳で亡くなります。

恋に生き 歌に生き 夫に看取られた柳原白蓮 81歳の生涯でありました。

                           


                            
                                                  
                 

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