枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

謎かけ・・・

2022年02月05日 | Weblog
 坂田靖子さんを御存じなら、作品の多くを知ってのことと理解して書く。天花粉であるが、あの展開が実に痛快で、抱腹絶倒するものの最後に若者が叫ぶ場面。いやいや笑うよりも、乗せられてもやさしさの心根に涙が出るのだわ。以来、仙人と龍は下界に降りて来なくなったという件も妙に切実感が漂うのよ。

 そこで思いついたのが、一粒でも苺と云うが如く、受けて一枝でも八手と云うが如し。一杯でもジュースと云うが如しでも好く、苺は美味いで八手は末広がりなんですがね。九里より甘い十三里とも言うじゃない。苺ねぇ・・・高いです。青空市で見かけたのが¥700近くて、甘さに疑問を持ち買わずでした。

 昨夜は、ジュリー祭りを楽しみながら戴いた冷酒を飲んだまでは好いが。沢田研二さんの声に酔ってしまって、最初こそ観たのだが転寝してしまう。何とその冒頭に、知っている顔がアップされていますの。何度観返しても間違いなくで、こんな遭遇にDVDの記録は有難い。〇君、大きくなったねぇ…感無量。

 女優を辞めたのだが、舞台上では色々と騒がしい成り行きなのを感じる。近づかないのが得策だろう、暗雲たる様子にも危険が視えるし超音波での声にも頷ける。水晶の彩光にも、方角での意味もあるのだが、天に届くばかりの一筋が昇る。自分を知る程に、己を貶めることなく認めて赦し愛せる歓びに感謝して。

 枇杷葉の力には、自然からの恩恵が賜っているので邪念を持つととまる。心に素直であれば神・宇宙へと繋がり、前世での約束事を現世で果たせよと告げる。大好きな諸々人の待つ彼方に逝くには、もう少し時を必要としている。他人に頼ることなく、その力を与えて貰えたことに祈り自然への畏怖とも気づいて。

 小椋佳さんのチケットがとれたのも、素敵な席であることも偶然でなく必然的なことと確信。舞台の幕は下ろしたので、今後は自分への労りなのだろうと想えて来る。任務遂行終了なのですから、もしかして気づいた方がおいでかも。皆大好きだよぉ!ブログ上だけの個人的なことにお付き合い下さって感謝です。

 

 
 

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