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■田嶼碩朗展覧会 (2022年10月6~9日、札幌)

2022年10月11日 21時11分00秒 | 展覧会の紹介-彫刻、立体
 福井県生まれで、東京美術学校(戦後の東京藝大)を卒業した彫刻家(1878~1946)の、実に87年ぶりとなる展覧会とのこと。
 田嶼碩朗 た じませきろうといってもピンとこない人もいそうですが、北大構内にあるウィリアム・クラークの胸像や、大通公園5丁目の「聖恩讃仰塔」=冒頭画像=の作者です(「聖恩碑」とも呼ばれ、「聖恩無窮」の4文字は、天皇陛下のご恩は限りがないという意味です。よくぞGHQに削除を命じられなかったものだと思います)。
 多くの作品が戦中の金属供出で失われ、しかも東京のアトリエは空襲で焼けてしまったため、残った作品は多くありません。クラーク像も戦後の再鋳造で、しかも、再鋳造を担当した彫刻家・加藤顕清の作だと誤認されていたこともあったそうです。
 今回は遺族などの手元に残された作品を集めた貴重な機会です。

 約60点が出品されていたとのことですが、会場を見渡すと、そんなにたくさんの作品があるようには感じません。
 これは、すべて小品だからでしょう。図録には大きさの記載がありませんが、比較的大きい「W.S. クラーク先生小胸像」でも高さは50センチぐらいと思います。おそらく北大にあるクラーク像のエスキスでしょうが、実物よりも若干小さく感じられました。
 あとは「千利休坐像木彫」や狛犬、仏像、鍾馗しょうきの像などが並んでいます。

 はなはだ感覚的な物言いになってしまって申し訳ないのですが、小さな作品は、どうしても「彫刻」というより「置物」に見えてしまいます。
 「彫刻」と「置物」にはっきりした定義の違いがあるわけではないし、また「彫刻」のほうが優れていると主張するつもりもありません。
 ただ、彫刻は西洋由来であり、置物のほうが日本古来のかたちのとらえかたに通じるものがあるといえそうです。
 また、総じて言えば「彫刻」のほうが「置物」よりもサイズが大きいようです。団体公募展の会場に並ぶ等身大の全身像は、どうみても「置物」とはいえません。

 高村光太郎が父光雲の作風について触れた文にあったように、日本の伝統的な彫刻は、西洋の彫刻と全く異なる概念を有しながらも、非常に高い水準を誇っています。というか、開催中の「国宝 法隆寺展」を見れば分かるように、その発展史の最初(飛鳥、白鳳時代)にいきなりピークを作ってしまったわけです。

 そんなことを考えながら残された作品を見ていました。
 金属供出や戦争がなく、大きな作品がもっと残っていれば、評価は全く異なったことでしょう。
 札幌にアトリエのある、北海道ゆかりの彫刻家として歴史に名が刻まれ、多くの人の記憶に残ったと思います。



2022年10月6日(木)~9日(日)正午~午後8時(最終日~午後3時)
北海道教育大学 アーツ&スポーツ文化複合施設 HUG (札幌市中央区北1東2)

https://sekirou-tajima.com/



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