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(承前。シリーズ先頭はこちら)
(次の段落は追記)
ギャラリーエッセの前に、札幌エルプラザ2階で、チベットの写真展を見る。
会期などは不明。文章とセットのパネルのようだ。
札幌エルプラザというのは市民活動に便宜を図るための公共施設で、こういうものに税金を投入することの意義は、頭では理解しているつもりだが、個人的な感覚で、市民運動的な空気がどうにも苦手である。
もっとも、自営業者の集まりとか青年会議所の会合とかも、自分とは生きている世界が違うという感じが強く、あまり得意ではない。
要するに自分はどこに行ってもアウエーなんだと思う。
ギャラリーエッセを出て、あとは都心部を南下しつつ絨毯爆撃。
といきたいところであるが、なにせ時間が限られているので、適宜省略していく。
大同ギャラリーは休廊していた。
白樺画廊、大丸、丸井今井、道新ぎゃらりーは、本日は省略。
「たぴお」は、このギャラリーでは多いパターンの小品グループ展。すべて絵画。
時計台ギャラリーで、西村一夫展を久しぶりに見る。
もっとも、久しぶりなのは、筆者が札幌に居なかったためで、西村さんは毎年この会場で個展を開催されている。
西村さんは、近年は画面を六つに分割して明るい色を塗り分けた抽象画のシリーズ「内なる風景」を中心に発表している。今回、目を引いたのが、「内なる風景 M」と題された連作で、色がない代わりに、明度の異なるグレーが配されている。
「どうしても、見るときに色に頼りがちになるので、明るさの違いも見てほしかった」
というような意味のことをおっしゃっていたようだが、もし違っていたらごめんなさい。
ギャラリー大通美術館で、樽商大美術部OBによる丘美会展。
このような会が17年も続いているのはすばらしい。多くは1950~60年代に卒業した方だが、90年代の卒業生も出品しておられる。
会場にいらした方が話していたが、「丘美(きゅうび)」は、キュービスムにかけているようだ。
ベテラン平山幹昌さんが「渓流」「ロンドンの倉庫」を出している。
和倉義一さんという方が「運河旅情 竜宮橋から」「都通り 電気館前」の2点を出品。おそらく古い写真をブローアップしたものだろう、全面がセピアがかっているが、丁寧な塗りで、離れて見ると写真かと見まがうリアルさだ。近づいて見ると、意外と大まかなタッチで、おもしろい。
29日で終了。
らいらっくぎゃらりいは、盆栽展だったのでパス。
札幌銀行本店地下でそばを食べる。
さいとうギャラリーのあと、スカイホールで第15回グループ環展を見る(29日で終了)。
これについては別項で、画像つきでくわしく紹介したい。
現代美術もいいけど、こういう「普通の絵」が、現代美術の基底部を支えているのではないかという気がしてくる。「基底部」って、具体的に何よ? と問われると、言葉に詰まるのだが。
ただ、こういう普通の絵は、現代美術が存在しなくても別に困らないのだが、現代美術の側は「普通の絵」がなくなると、なんだか落ち着きがなくなるような気もする。
会場に荒巻義雄夫妻がいらしていた。
札幌時計台ギャラリー以外のギャラリーでお会いするのはわりあい珍しい。
帰途、途中までご一緒するが、荒巻さんいわく
「大きな事件、変動は、素数の年におきることが多い。2011もそうだった。逆に、高度成長の時代には、素数の年がなかった」。
次の素数は「2017」年、だそうである。
不気味な予言である。
もっとも、奥様に、日本の情勢が、西暦に左右されるのはおかしい、とツッコミを入れられていたが…。
三越で正田徳衛油絵展。
ハイパーリアリズム。写真よりもリアル、というか、重ね塗りができる油彩の特徴で、全体的に明るさが感じられる。
一気に地下2階まで降りて、地下鉄南北線に乗る。
(次の段落は追記)
ギャラリーエッセの前に、札幌エルプラザ2階で、チベットの写真展を見る。
会期などは不明。文章とセットのパネルのようだ。
札幌エルプラザというのは市民活動に便宜を図るための公共施設で、こういうものに税金を投入することの意義は、頭では理解しているつもりだが、個人的な感覚で、市民運動的な空気がどうにも苦手である。
もっとも、自営業者の集まりとか青年会議所の会合とかも、自分とは生きている世界が違うという感じが強く、あまり得意ではない。
要するに自分はどこに行ってもアウエーなんだと思う。
ギャラリーエッセを出て、あとは都心部を南下しつつ絨毯爆撃。
といきたいところであるが、なにせ時間が限られているので、適宜省略していく。
大同ギャラリーは休廊していた。
白樺画廊、大丸、丸井今井、道新ぎゃらりーは、本日は省略。
「たぴお」は、このギャラリーでは多いパターンの小品グループ展。すべて絵画。
時計台ギャラリーで、西村一夫展を久しぶりに見る。
もっとも、久しぶりなのは、筆者が札幌に居なかったためで、西村さんは毎年この会場で個展を開催されている。
西村さんは、近年は画面を六つに分割して明るい色を塗り分けた抽象画のシリーズ「内なる風景」を中心に発表している。今回、目を引いたのが、「内なる風景 M」と題された連作で、色がない代わりに、明度の異なるグレーが配されている。
「どうしても、見るときに色に頼りがちになるので、明るさの違いも見てほしかった」
というような意味のことをおっしゃっていたようだが、もし違っていたらごめんなさい。
ギャラリー大通美術館で、樽商大美術部OBによる丘美会展。
このような会が17年も続いているのはすばらしい。多くは1950~60年代に卒業した方だが、90年代の卒業生も出品しておられる。
会場にいらした方が話していたが、「丘美(きゅうび)」は、キュービスムにかけているようだ。
ベテラン平山幹昌さんが「渓流」「ロンドンの倉庫」を出している。
和倉義一さんという方が「運河旅情 竜宮橋から」「都通り 電気館前」の2点を出品。おそらく古い写真をブローアップしたものだろう、全面がセピアがかっているが、丁寧な塗りで、離れて見ると写真かと見まがうリアルさだ。近づいて見ると、意外と大まかなタッチで、おもしろい。
29日で終了。
らいらっくぎゃらりいは、盆栽展だったのでパス。
札幌銀行本店地下でそばを食べる。
さいとうギャラリーのあと、スカイホールで第15回グループ環展を見る(29日で終了)。
これについては別項で、画像つきでくわしく紹介したい。
現代美術もいいけど、こういう「普通の絵」が、現代美術の基底部を支えているのではないかという気がしてくる。「基底部」って、具体的に何よ? と問われると、言葉に詰まるのだが。
ただ、こういう普通の絵は、現代美術が存在しなくても別に困らないのだが、現代美術の側は「普通の絵」がなくなると、なんだか落ち着きがなくなるような気もする。
会場に荒巻義雄夫妻がいらしていた。
札幌時計台ギャラリー以外のギャラリーでお会いするのはわりあい珍しい。
帰途、途中までご一緒するが、荒巻さんいわく
「大きな事件、変動は、素数の年におきることが多い。2011もそうだった。逆に、高度成長の時代には、素数の年がなかった」。
次の素数は「2017」年、だそうである。
不気味な予言である。
もっとも、奥様に、日本の情勢が、西暦に左右されるのはおかしい、とツッコミを入れられていたが…。
三越で正田徳衛油絵展。
ハイパーリアリズム。写真よりもリアル、というか、重ね塗りができる油彩の特徴で、全体的に明るさが感じられる。
一気に地下2階まで降りて、地下鉄南北線に乗る。
(この項続く)