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岡山の野外彫刻(中)―2019年秋の旅(90)

2020年03月25日 12時36分18秒 | 街角と道端のアート
(承前)

 岡山城に近い石山公園にも、いくつかの野外彫刻がありました。

 冒頭は「蒼耀そうよう」という題の裸婦。

 背後に岡山市民会館があり、この日はコンサートかなにかがあったらしく、長い列ができていました。

 足下に年号とサインが刻んであります。
「1977」は読めますが、次の行は判読できません。


 澤邊重政「文化の十字路」。

 大きな石材と石材の間が通路のようになっています。

 こちらのブログ(Satoshi の何でも写真館)によると
「岡山城築城に使われた犬島の石を、平成9年に史実に基づいて筏と修羅で犬島から実際に運んだものだそうです。」
とのこと。


 3点目。
 大桐國光「平和の像」。

 どうして、裸の女性と赤ちゃんによって「平和」が表現されるのだろうかと思いますが。
 横長の、高さ1.5メートルぐらいありそうな横に長いれんが壁の上に立っています。

 この画像だと分かりづらいですが、裸婦は両脚を前後にずらしていて、この像にいくらかの動感をあたえています。

 同じく上記のブログによると
「岡山市が昭和60(1985)年6月29日に平和都市宣言をした記念に、この「平和の像」が作られました。
6月29日は昭和20年に岡山空襲があった日です。」
とのこと。

 岡山県立美術館の収蔵作品データベースには、次のようにありました。

兵庫県姫路市生まれ。岡山県新見市で育つ。終戦後、編入した高校の美術教師の影響で絵を描き始める。働きながら学費を蓄え、岡山大学教育学部特設美術科へ進学。画家を志すが、在学中に彫刻に惹かれ、1956年の日展には洋画と彫刻を出品しともに入選を果たす。卒業後日展、日本アンデパンダン展、前衛美術会展などに彫刻を出品するが、彫刻家佐藤忠良の作品に感銘を受け、1968年から新制作協会に出品。詩情豊かな人物象が高い評価を受ける。後進の指導、育成にも尽力し、岡山彫刻界の発展に寄与した。


 1927年生まれ、2008年歿。


 蛭田二郎「きじ」。

 筆者がたまたま見たのはキジですが、なにせ岡山は桃太郎がウリなので、ほかにも犬とサルの像がどこかにあるはずです。

 ちなみにこれは、石山公園ではなく、桃太郎大通りという道路沿いにありました。

 石山公園には、ほかにも数々の野外彫刻があるようです。

 蛭田二郎は1933年(昭和8年)茨城県生まれ。
 Wikipedia に項目があり、そこには
「日本芸術院会員、日展常務理事、日本彫刻会理事長、岡山県美術家協会会長、岡山大学名誉教授、倉敷芸術科学大学名誉教授・元芸術学部長。 茨城県出身。彫刻家の小森邦夫に師事」
とあります。




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4 コメント

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Unknown (SH)
2020-03-25 15:40:00
ヤナイさん、こんにちは。
蛭田二郎の「ももたろうシリーズ」の彫刻ですが、私も犬・猿・雉を全部見たようです。
但し、写真は猿しかアップしてませんでした。
https://blog.goo.ne.jp/hsssajp/e/46af5acb16c492b47d72fcae09a2f09e
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Unknown (ねむいヤナイ@北海道美術ネット別館)
2020-03-26 10:45:12
SHさん、いつもどうもです。私は「すぐ見つけること」ができませんでした。

しかし「桃太郎」推しって、謎ですよね。
宮澤賢治が好きで花巻に行ったり、金子みすゞのファンが山口県に旅したり、といったことはありそうですが、桃太郎が好きで岡山に行こう! とか思う人がいるとは、あんまり思えないんですが…。知名度は高いかもしれないですけど。
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Unknown (SH)
2020-03-26 12:50:36
確かに、桃太郎押しは謎です。そんなに求心力がないですよね。但し、桃太郎活躍の地は他にも候補があるので、負けたくない気持ちの表れなのかもしれません。

すぐ見つけたというのは人によって違うかもしれませんね。私は知らない街の繁華街を碁盤の目に沿って可能な限り全部歩くのが趣味なので…
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Unknown (ねむいヤナイ@北海道美術ネット別館)
2020-03-26 18:57:48
えーっ、そんなに歩くんですか? どうりで釧路で私の知らない野外彫刻を見つけるわけだ。尊敬します。つーか、あれほど本を読んでお酒飲んで、そんなに歩く時間があるのは謎です。
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