![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/a5/74f8f0d841633cb7577619a9f4518503.jpg)
(承前)
画像を6月2日にアップし、テキストは11日に追加しました。
北海道ではめったにない琳派の展覧会なので、とてもありがたく拝見しました。俵屋宗達や尾形光琳、鈴木其一らの作品もありました。
それだけに、後半の「アニメ」部分が、どうして付け加えられたのか、正直なところよくわかりませんでした。
前半だけでは分量が足りなかったのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/56/cb8aa3004d7180bd926900bcd6392fde.jpg)
右側は鈴木其一《春秋草木図屏風》、奥は尾形光琳《富士三壺図屏風》。
光琳の屏風は、近年米国で発見されたものだそうです。
こんな大きな光琳の屏風が見られただけでも、行ったかいがあったというものです。
ちなみに、筆者は先ごろ京都国立博物館で「雪舟伝説」という展覧会を見てきたのですが、そこで、水墨画による富士山の作例をいくつも実見しました。
実際には富士山の山頂はプリンのようにたいらなのはいうまでもありませんが、上記の展覧会に出品されていた屏風や軸ではいずれも三段山のように(漢字の「山」のように)描かれていたのです。個性派として知られる曾我蕭白ですら「前例踏襲」なのです。
(もっとも、江戸時代の噴火前に見たわけではないので、ずっと現在のような形だったかどうかまでは分かりませんが…)
ところが、この光琳の描く富士山は、それらの水墨画とは系列を異にするもののようです。
3枚目の掛け軸は鈴木其一「白玉」。
右上に書き加えられた賛は、ぜんぜん読めません。
次のは中村芳中「初夏山水図」。
琳派というより文人画のように見えますが…。
まあ、そういうこともあるでしょう。
琳派とは、たとえば「印象派」や「未来派」のように、決まったメンバーが所属するグループではありません。
日本でいえば「狩野派」は家元で、師弟関係のもとになりたっていますが、琳派の画家たちには直接の関係はないのです(生きた時代がばらばら)。
同時代や後世の批評家や美術史家によってひとまとめにされた、ある時代の傾向ですらないのです。
生没年など伝記的事実がほとんどわかっていない宗達を始祖として、その宗達や光琳に私淑した後世の美術家が後継を名乗り、さらに近代まで続く、長い時代にわたるつながりをさすのです。
中村芳中は、酒井抱一が登場する前の江戸で、光琳の再評価に力があった画家で、こういう絵も描いていたとは意外です。
神坂雪佳(1866~1942)「菊慈童図」。
こちらは、院展系の没骨とはやや異なるとは言え、横山大観とどこか共通するような絵柄です。
神坂は近代の琳派を代表する画家として、今回の展覧会では尾形光琳とならんでサブタイトルに名が入っていますが、そんなに有名なんでしょうか?
筆者は初めて知りましたが…。
神坂雪佳はほかにも「紅葉白菊図」「田家養鶏図」「砧図」(次の画像の、左から順に)などが出ていました。
水墨画ふうでも文人画的でもあるのですが、これも琳派の成り立ちのことを思えば、それほど明確な区切りがあるわけではないのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/4d/2a24491db3a0b8bd88b1894223e040c0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/5f/b49bbc3f1a21a46781e83fd05f5733f3.jpg)
おなじく神坂雪佳の「蓬莱山図」(右端)、「白梅図」(右から2点目)など。
蓬莱山は、神や仙人がすむ伝説の島。これは、もし漫画と組み合わせるなら、水木しげるでお願いしたかったな(「悪魔くん」を読んだ人じゃないとわからないでしょうが)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/0f/c3bb99a92b249648406c0bcdfe6c29c2.jpg)
酒井抱一の2点。
左は「青面金剛図」
右は「雪中檜小禽図」。
酒井抱一は江戸期の画家で、彼が宗達や光琳を顕揚し、展覧会を企画するなど盛んに活動したことが、「琳派」という枠組み(認識の枠組みといってもいい)構築にあたって大きな力がありました。
琳派の特徴をもうひとつ挙げるとすれば、範囲が絵画にとどまらないこと。
本阿弥光悦や宗達の活動をみると、紙や器もふくめた、総合デザイン・プロデューサーのような働きをしているのです。
明治以後、ファインアートの枠組みが西洋から入ってきて、絵画は実用的なものと一線を画した純粋な美術という地位を得ますが、琳派はジャンルの違いを気にしない、幅広い概念です。
光琳の絵は、江戸後半になり、着物の図柄にも取り入れられました。
まさに、「生活に美を取り入れる」という考え方の先駆ともいえるのではないかと思うのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/95/555f93b4a4d39b96330d830f72c7bf43.jpg)
後半は、手塚治虫漫画の主人公(ブラックジャック、火の鳥、ジャングル大帝のレオ、鉄腕アトムなど)や、リラックマ。札幌生まれの初音ミクなどが、琳派の作品の中に登場する掛け軸や屏風が並んでいました。
「アニメ」といっても、会場の図が動くわけではありません。
なので、「アニメ×漫画×キャラクター」といったほうが正確で、そのあたりは企画者もわかっていたようです。
単に文字数の関係で「アニメ」としたと思ったほうがよさそうです。
いくら本物が多数来ているといっても、琳派の代表作はそうおいそれと東京国立博物館やMOA美術館から持ち出してくるわけにはいかず、今回、光琳「燕子花図屏風」と初音ミクが合わさったものが来ていたのは、物足りなさ感を埋めるには一定の役割があったといえるのかもしれません。
ただ、「鳥獣戯画」の作者を鳥羽僧正と言い切るなど、積極的に認める専門家は誰もいない説を堂々と書いてある説明文が会場にあり、残念に思いました。
2024年4月20日(土) 〜 2024年6月2日(日) ※前期 4月20日(土)〜5月12日(日)・後期 5月14日(火)〜6月2日(日)午前9時半~午後5時、月曜休み(祝日を除く)
北海道立近代美術館(札幌市中央区北1西17)
□公式サイト https://www.stv.jp/event/rinpa-anime/index.html
画像を6月2日にアップし、テキストは11日に追加しました。
北海道ではめったにない琳派の展覧会なので、とてもありがたく拝見しました。俵屋宗達や尾形光琳、鈴木其一らの作品もありました。
それだけに、後半の「アニメ」部分が、どうして付け加えられたのか、正直なところよくわかりませんでした。
前半だけでは分量が足りなかったのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/56/cb8aa3004d7180bd926900bcd6392fde.jpg)
右側は鈴木其一《春秋草木図屏風》、奥は尾形光琳《富士三壺図屏風》。
光琳の屏風は、近年米国で発見されたものだそうです。
こんな大きな光琳の屏風が見られただけでも、行ったかいがあったというものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/50/ea9425da3fc393a54b3b3c7262f0e230.jpg)
ちなみに、筆者は先ごろ京都国立博物館で「雪舟伝説」という展覧会を見てきたのですが、そこで、水墨画による富士山の作例をいくつも実見しました。
実際には富士山の山頂はプリンのようにたいらなのはいうまでもありませんが、上記の展覧会に出品されていた屏風や軸ではいずれも三段山のように(漢字の「山」のように)描かれていたのです。個性派として知られる曾我蕭白ですら「前例踏襲」なのです。
(もっとも、江戸時代の噴火前に見たわけではないので、ずっと現在のような形だったかどうかまでは分かりませんが…)
ところが、この光琳の描く富士山は、それらの水墨画とは系列を異にするもののようです。
3枚目の掛け軸は鈴木其一「白玉」。
右上に書き加えられた賛は、ぜんぜん読めません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/55/9577e82ee335b15ad6b1dd473f4a508c.jpg)
次のは中村芳中「初夏山水図」。
琳派というより文人画のように見えますが…。
まあ、そういうこともあるでしょう。
琳派とは、たとえば「印象派」や「未来派」のように、決まったメンバーが所属するグループではありません。
日本でいえば「狩野派」は家元で、師弟関係のもとになりたっていますが、琳派の画家たちには直接の関係はないのです(生きた時代がばらばら)。
同時代や後世の批評家や美術史家によってひとまとめにされた、ある時代の傾向ですらないのです。
生没年など伝記的事実がほとんどわかっていない宗達を始祖として、その宗達や光琳に私淑した後世の美術家が後継を名乗り、さらに近代まで続く、長い時代にわたるつながりをさすのです。
中村芳中は、酒井抱一が登場する前の江戸で、光琳の再評価に力があった画家で、こういう絵も描いていたとは意外です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/6b/64894a4ed0d19fa182ddbe9909bcd3e2.jpg)
神坂雪佳(1866~1942)「菊慈童図」。
こちらは、院展系の没骨とはやや異なるとは言え、横山大観とどこか共通するような絵柄です。
神坂は近代の琳派を代表する画家として、今回の展覧会では尾形光琳とならんでサブタイトルに名が入っていますが、そんなに有名なんでしょうか?
筆者は初めて知りましたが…。
神坂雪佳はほかにも「紅葉白菊図」「田家養鶏図」「砧図」(次の画像の、左から順に)などが出ていました。
水墨画ふうでも文人画的でもあるのですが、これも琳派の成り立ちのことを思えば、それほど明確な区切りがあるわけではないのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/4d/2a24491db3a0b8bd88b1894223e040c0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/5f/b49bbc3f1a21a46781e83fd05f5733f3.jpg)
おなじく神坂雪佳の「蓬莱山図」(右端)、「白梅図」(右から2点目)など。
蓬莱山は、神や仙人がすむ伝説の島。これは、もし漫画と組み合わせるなら、水木しげるでお願いしたかったな(「悪魔くん」を読んだ人じゃないとわからないでしょうが)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/0f/c3bb99a92b249648406c0bcdfe6c29c2.jpg)
酒井抱一の2点。
左は「青面金剛図」
右は「雪中檜小禽図」。
酒井抱一は江戸期の画家で、彼が宗達や光琳を顕揚し、展覧会を企画するなど盛んに活動したことが、「琳派」という枠組み(認識の枠組みといってもいい)構築にあたって大きな力がありました。
琳派の特徴をもうひとつ挙げるとすれば、範囲が絵画にとどまらないこと。
本阿弥光悦や宗達の活動をみると、紙や器もふくめた、総合デザイン・プロデューサーのような働きをしているのです。
明治以後、ファインアートの枠組みが西洋から入ってきて、絵画は実用的なものと一線を画した純粋な美術という地位を得ますが、琳派はジャンルの違いを気にしない、幅広い概念です。
光琳の絵は、江戸後半になり、着物の図柄にも取り入れられました。
まさに、「生活に美を取り入れる」という考え方の先駆ともいえるのではないかと思うのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/95/555f93b4a4d39b96330d830f72c7bf43.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/8e/2718d7fdb9e941f9f01e76a49a59a3df.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/95/7f969ea88aa1fe8d0aaf5f935e56a8c4.jpg)
後半は、手塚治虫漫画の主人公(ブラックジャック、火の鳥、ジャングル大帝のレオ、鉄腕アトムなど)や、リラックマ。札幌生まれの初音ミクなどが、琳派の作品の中に登場する掛け軸や屏風が並んでいました。
「アニメ」といっても、会場の図が動くわけではありません。
なので、「アニメ×漫画×キャラクター」といったほうが正確で、そのあたりは企画者もわかっていたようです。
単に文字数の関係で「アニメ」としたと思ったほうがよさそうです。
いくら本物が多数来ているといっても、琳派の代表作はそうおいそれと東京国立博物館やMOA美術館から持ち出してくるわけにはいかず、今回、光琳「燕子花図屏風」と初音ミクが合わさったものが来ていたのは、物足りなさ感を埋めるには一定の役割があったといえるのかもしれません。
ただ、「鳥獣戯画」の作者を鳥羽僧正と言い切るなど、積極的に認める専門家は誰もいない説を堂々と書いてある説明文が会場にあり、残念に思いました。
2024年4月20日(土) 〜 2024年6月2日(日) ※前期 4月20日(土)〜5月12日(日)・後期 5月14日(火)〜6月2日(日)午前9時半~午後5時、月曜休み(祝日を除く)
北海道立近代美術館(札幌市中央区北1西17)
□公式サイト https://www.stv.jp/event/rinpa-anime/index.html