札幌には、企画の画廊がほとんどない。
あるのは、貸し画廊ばかりである。
ここの読者の方はご存知だと思うけれど、貸し画廊というのは、6日間で5万円とか10万円というお金を作者が払ってスペースを借りる制度である。
お金さえあればだれでも自作を発表できるこの制度は、基本的に日本独特のものである(最近は、もっぱら日本人を相手にして、ニューヨークあたりにでもできているらしいが)。
考えようによっては民主的な制度だから、筆者はむげに否定するつもりはない。
しかし、本来の画廊というのは、画家・美術家を育て、売り出していく機能があるはずだ。
そういう画廊がほとんど存在しないという実態には、いちまつのさびしさをおぼえざるを得ない。
どうしてアートがわたしたちの暮らしに根付いたものにならないのか。
もうちょい話の的を絞ると、どうして人は、ブランドもののバッグや衣服にはお金を使うのに、絵や現代アートや彫刻を購入しないのか。
こう言ってしまうと身もふたもないけれど、そういう習慣がそもそもない-ということに尽きるのではないだろうか。
わが国を代表する洋画商である日動画廊の長谷川徳七氏が書いた「画商の眼力」(講談社)を読むと、ため息をつきたくなるようなエピソードが出てくる。
空襲のため銀座がほとんど焼け野原になっていた、1945年8月末ごろのことという。
日本人に絵を飾る習慣がないというのではない。
床の間には、水墨画や書が欠かせないものだった。しかもそれを、季節に応じて取り替えたりしていたものだ。
しかし、日本の家屋から床の間が消えていくと同時に、絵を飾るしきたりも消えてしまったのだ。
なお、この本は、プロがどうやって贋作を見分けるかなど、豊富なエピソードを交え、わかりやすく書いている。2時間もあれば読み終わるので、おすすめ。
ナルホドと思ったのは、日動画廊では画家のパレットを収集・展示しているのだが、これは酔狂で集めているのではなく、意外なところで役に立つのだ。くわしくは本をごらんください。
もうひとつ、気に入った個所。
絵はたしかに情操教育にも役立つかもしれないし、心を豊かにするかもしれないが、「何かのため」「何かに役立つ」から絵の意味があるのではなく、ただ絵があること、そこに価値があるのだと思います-というくだり(59ページ)。
(5月31日、書名を手直ししました。眼にかぎかっこをつけました)
あるのは、貸し画廊ばかりである。
ここの読者の方はご存知だと思うけれど、貸し画廊というのは、6日間で5万円とか10万円というお金を作者が払ってスペースを借りる制度である。
お金さえあればだれでも自作を発表できるこの制度は、基本的に日本独特のものである(最近は、もっぱら日本人を相手にして、ニューヨークあたりにでもできているらしいが)。
考えようによっては民主的な制度だから、筆者はむげに否定するつもりはない。
しかし、本来の画廊というのは、画家・美術家を育て、売り出していく機能があるはずだ。
そういう画廊がほとんど存在しないという実態には、いちまつのさびしさをおぼえざるを得ない。
どうしてアートがわたしたちの暮らしに根付いたものにならないのか。
もうちょい話の的を絞ると、どうして人は、ブランドもののバッグや衣服にはお金を使うのに、絵や現代アートや彫刻を購入しないのか。
こう言ってしまうと身もふたもないけれど、そういう習慣がそもそもない-ということに尽きるのではないだろうか。
わが国を代表する洋画商である日動画廊の長谷川徳七氏が書いた「画商の眼力」(講談社)を読むと、ため息をつきたくなるようなエピソードが出てくる。
空襲のため銀座がほとんど焼け野原になっていた、1945年8月末ごろのことという。
画廊の前に、ジープがずらっと並んでいました。陽光にボンネットはぴかぴか光り、エンジンはけたたましく鳴り響く。それは壮観な眺めでした。
私は内心、「やっぱりすごいな、連合軍は。そりゃ日本は負けるな」と思ったものです。
物量の豊富さに圧倒されてから数日後、(中略)将校宿舎だとか、接収した将校のための家に絵を掛ける必要があるということで、GHQから「絵を三〇〇枚用意するように」という注文が入ったのです。
しかも、「そのうちの一〇〇枚は静物画、一〇〇枚は風景」という要望でした。
(中略)
日本の軍隊ならば、まず、宿舎に絵を飾ろうとは思わないでしょう。
日本人に絵を飾る習慣がないというのではない。
床の間には、水墨画や書が欠かせないものだった。しかもそれを、季節に応じて取り替えたりしていたものだ。
しかし、日本の家屋から床の間が消えていくと同時に、絵を飾るしきたりも消えてしまったのだ。
なお、この本は、プロがどうやって贋作を見分けるかなど、豊富なエピソードを交え、わかりやすく書いている。2時間もあれば読み終わるので、おすすめ。
ナルホドと思ったのは、日動画廊では画家のパレットを収集・展示しているのだが、これは酔狂で集めているのではなく、意外なところで役に立つのだ。くわしくは本をごらんください。
もうひとつ、気に入った個所。
絵はたしかに情操教育にも役立つかもしれないし、心を豊かにするかもしれないが、「何かのため」「何かに役立つ」から絵の意味があるのではなく、ただ絵があること、そこに価値があるのだと思います-というくだり(59ページ)。
(5月31日、書名を手直ししました。眼にかぎかっこをつけました)
あはは、ほんとにそうです。
でも、みんなが知ってる絵は、絶対に所有できないほど高いのが難点ですね。
人がどういおうとワタシはこれがいい!
というのが言いづらい社会だなーとは思いますね。日本って。
ブランドバッグはいくつあってもいいです(笑)が、絵は…ちょっと、嵩だかで、困ります。
ブランドバッグ買いに海外旅行をする人は意外と世界のグレートマスターをバッグの「ついでに」制覇しちゃっていたりするので、侮れません。だからこそ、バッグ程度の価格でゲットできるノーブランドの絵画には手が出ないのかもしれないし…などと考えると、個性なき日本社会へのアピールというのは、ハードルが高いような気もしてきます。
それにつけても、ブランドバッグだと持っていないと話にならないのに、絵画だとジャストルッキングでまかり通るのには、非常に助かっています。(笑)
わたしは、ブランドのバッグを買うことにも抵抗感がある(高いから)のですが、おなじ値段で、バッグなら買うのに、版画や絵だと買わない人が日本には多いですよね。
あるいは、「みんながいい」と言っているものを買う-という日本社会の同質圧力の強さではないかと思います。
アメリカだと「ほかのひととどこが違うのか、おまえの意見はどうなんだ」という点が重視されるでしょうから。
美術品は選ぶ段階で、その人の好みや個性が出ますからね。
日本社会は、個性を発揮することを嫌いますから。
いろいろと、考えさせられますねー。
買う立場から買うことについての抵抗感とか、ギャラリーが作家を育てるって札幌市内の画廊ならどのように実現可能だろうかなど、コメントしようと思ったけれども諦めました。画廊は…難しい。