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深川についての印象は、おおむね下記のエントリに記したとおりだが、一点追記。
20年ほど前、深川から来た若い女性グループに、どちらから来たのかをたずねると、「納内」「音江」という答えで、ちょっとおどろいたことがある。
深川市は、昭和の大合併で深川、一已(イチャン)、納内(オサムナイ)、音江の4町村が合併してできた市で、その後多度志(タドシ)村を合併している。とはいえ、旧町村の意識が合併後半世紀たってもなお、これほど強いマチもあまりないんじゃないかという気がする。
■深川から帰ってデジタルカメラを修理に出した(2007年)
バスの中で、乗り合わせた老人達の
会話を何気なく聞いてたら
(真後ろの席にいるので全て聞こえる)
「神威」とか「歌志内」「文殊」等
旧国鉄当時にあった、今はもうない
(というか路線そのものが既にない)
駅名が、次々に出てきました。
その当時から住んでいるんだなーと、
聞き耳を立てていたら、突然バスの
アナウンスで「歌神」の名前が!!
歌志内駅と神威駅の中間に、位置して
いたことから名づけられた「歌神駅」。
廃駅後「かしん」の名前は、停留所に
引き継がれて残っていました。
歌神と書いて「かしん」と読みます。
市町村合併したからといって、旧来の地名はたいせつにしたいですよね。
地名も一種の文化財であることは、近年ようやく認識されてきたと思います。
ただ、これは筆者がお会いした深川の人がたまたまそうだっただけかもしれないんですが、深川以外の人に対しても「納内が・・・」「多度志が・・・」って言うんですよね。
昔からその地域に住んでいる人ならまだしも、ふつうはわかんないんじゃないかと。
地域によるのかなあ。
まあ、べつに責めてるわけじゃないし、いいんですけど。
現在は職場復帰してなんとかやっておりま
す。
それはそうと、私の妻は、いまだに「小平
です」よりも「鬼鹿です」と出身地紹介で
言っています。1956年の合併から半世
紀以上がすぎても、地元の人にとっては、
やっぱり鬼鹿は鬼鹿であり、小平ではない
のだと考える次第です。
奥様が鬼鹿出身なんですね。
郷里の人が、小平じゃなくて鬼鹿出身だといいたくなる心持は理解できます。
わたしが前にいたマチの町内の落部もそうでした。
「八雲じゃない」
っていう気持ちはあるんですよね。
改めて見ると、道は広く夜出掛けることが出来て良いところです。
音威子府では、出来ません。
もし来ていただけるなら、今日から始まる個展では、ひとつひとつの作品よりも、全体をひとつのテーマとして見てもらえるとうれしいです。
製作が大変で痩せ細りました。
夏休みですね。
学生はいいですねー。
音威子府だと門限があるのかな?
それとも、歩いていてもすぐ村はずれになってしまうってことかな?
なんとか今週中に個展の会場に行きたいと思います。