中谷龍一氏死去 洋画家、日展参与(共同通信) - goo ニュース
北海道新聞6月9日夕刊に短い死亡記事が出ていました。
これだけでは、どんな画家なのか、まったくわからないので、1997年に北海道新聞夕刊で連載された大型連載「北海道ひと紀行」の中から引用します。
美幌町も作品を所蔵しているらしいです。
市立小樽美術館にある絵は見たことがあります。
黄色を基調に、やわらかなタッチで、欧洲の港を描いていたように、記憶しています。
「一枚の絵」にもしばしば登場していたことからも分かるように、穏当な画風の風景画を多く描いていたようです。
北海道はほかの地方と異なり、日展系のオーソドックスな絵は顧みられることが非常に少ないのが特徴ですが、どこかの機会で、作品を見たいものです。
ご冥福をお祈りします。
北海道新聞6月9日夕刊に短い死亡記事が出ていました。
8日午前7時11分、慢性腎不全のため横浜市鶴見区の病院で死去、91歳。小樽市出身。
これだけでは、どんな画家なのか、まったくわからないので、1997年に北海道新聞夕刊で連載された大型連載「北海道ひと紀行」の中から引用します。
自宅で、中谷龍一(80)は作品に込められた意図を解説する。「厳しい冬を耐え、芽吹き始めた命の胎動。今でも故郷、北海道での感動がベースになっている」
小樽生まれ。小学6年でかいた油絵が、昭和天皇即位を記念した絵画展で入賞。画家を志す。戦争をはさんだ混乱期、食うや食わずの中、独学で絵を学び、50年の一水会展で初出品の「犬とN嬢」が入選。画家の道を歩み始める。
人物から風景画に転じたのは、五六年に訪れたフランス・オーベルニュー村の感動がきっかけ。自然の石や木を住まいに取り入れた素朴な街並みに触れ、さわやかで親しみ深い村の風景を独自の色彩で次々にかき、発表した。
95年に小樽、網走、札幌の美術館に作品を寄贈。同会運営委員、日展評議員。「まだまだ終われない」。一時は体調を崩したものの、絵筆を握る毎日だ。
美幌町も作品を所蔵しているらしいです。
市立小樽美術館にある絵は見たことがあります。
黄色を基調に、やわらかなタッチで、欧洲の港を描いていたように、記憶しています。
「一枚の絵」にもしばしば登場していたことからも分かるように、穏当な画風の風景画を多く描いていたようです。
北海道はほかの地方と異なり、日展系のオーソドックスな絵は顧みられることが非常に少ないのが特徴ですが、どこかの機会で、作品を見たいものです。
ご冥福をお祈りします。