「たぴお」でよくひらかれているグループ展のひとつ。
といっても、でたらめにタイトルをつけているわけではなさそうで、今回は、まさに「存在」を問うような、わりと深刻な感じの作品が多いような印象があるのは、気のせいだろうか。
画像は、阿部啓八さん「軌」。
たばこのすいがらを再利用しているように見える。
ギャラリーのオーナー竹田博さんが絶讃した、切れ味鋭いデザイン感覚が光る。
ART-MANギャラリーの野口耕太郎さんが“他流試合”で出品。
ことしの「ライジングサンロックフェスティバル」で制作した旗のかたちの作品のようだ。
しかし、筆者が書きたいのは、この展覧会をふくめ、「たぴお」の数々のグループ展にほぼ皆勤賞の、精力的な制作・発表を続けている、岩見沢市栗沢町美流渡(みると)の林教司さんのことである。
冒頭の、起伏のある茶色いキャンバスの作品の画像も、林さんのものだ。
会場のいすに、林さんが04年夏に、年3回発行されている小冊子「美術ペン」に寄稿したエッセーのコピーが置いてあったのだ。
ちょうど、わたしが札幌を離れたばかりのころに出たものらしく、これまで読んだことがなかった。
エッセーは、若いころ、フランス画壇に彗星のようにあらわれたビュッフェのアトリエを美術雑誌で見て強くあこがれたことを、話のいとぐちに、来し方をふりかえっている。
文中に「妻の一周忌を終え」云々とあった。
わたしは、林さんの作品をもう何十回となく目にしているし、もちろん何度もお会いしているし、雑誌に批評を書いたこともあるし、彼のことはけっこう知っているつもりでいた。
でも、わたしは、なんにも知っていなかったのだ。
(知らせてくれなかったことを責めているわけではありません)
そのエッセーで林さんの書きたかったことは、美術家(絵描き)の「業(ごう)」についてだと思う。
たとえ世に容(い)れられず、家族からはたまる一方の大きなキャンバスを邪魔者扱いされても、それでも制作し続けなくては生きていけない「業」である。
それは
「アートを生活の一部に」
というようなしゃれた文句で表象される生き方とは正反対の、もっと不器用で生々しくて必死な「生」のあり方なんだと思う。
じぶんは
「書き手」
として、その「業」に向き合えるだけのものを持っているか。
つまるところ、じぶんは、美術に対し一生懸命か。
作家が作品に命を懸けているように、じぶんは文章に命を懸けているか。作品を見て、上っ面をなでてはいないか。
自問自答せざるを、得ないのだ。
07年10月19日22日(月)-11月3日(土)11:00-19:00
ギャラリーたぴお(中央区北2西2、道特会館 地図A)
(追記 タイトルと、会期を訂正しました。どうもすいません)
といっても、でたらめにタイトルをつけているわけではなさそうで、今回は、まさに「存在」を問うような、わりと深刻な感じの作品が多いような印象があるのは、気のせいだろうか。
画像は、阿部啓八さん「軌」。
たばこのすいがらを再利用しているように見える。
ギャラリーのオーナー竹田博さんが絶讃した、切れ味鋭いデザイン感覚が光る。
ART-MANギャラリーの野口耕太郎さんが“他流試合”で出品。
ことしの「ライジングサンロックフェスティバル」で制作した旗のかたちの作品のようだ。
しかし、筆者が書きたいのは、この展覧会をふくめ、「たぴお」の数々のグループ展にほぼ皆勤賞の、精力的な制作・発表を続けている、岩見沢市栗沢町美流渡(みると)の林教司さんのことである。
冒頭の、起伏のある茶色いキャンバスの作品の画像も、林さんのものだ。
会場のいすに、林さんが04年夏に、年3回発行されている小冊子「美術ペン」に寄稿したエッセーのコピーが置いてあったのだ。
ちょうど、わたしが札幌を離れたばかりのころに出たものらしく、これまで読んだことがなかった。
エッセーは、若いころ、フランス画壇に彗星のようにあらわれたビュッフェのアトリエを美術雑誌で見て強くあこがれたことを、話のいとぐちに、来し方をふりかえっている。
文中に「妻の一周忌を終え」云々とあった。
わたしは、林さんの作品をもう何十回となく目にしているし、もちろん何度もお会いしているし、雑誌に批評を書いたこともあるし、彼のことはけっこう知っているつもりでいた。
でも、わたしは、なんにも知っていなかったのだ。
(知らせてくれなかったことを責めているわけではありません)
そのエッセーで林さんの書きたかったことは、美術家(絵描き)の「業(ごう)」についてだと思う。
たとえ世に容(い)れられず、家族からはたまる一方の大きなキャンバスを邪魔者扱いされても、それでも制作し続けなくては生きていけない「業」である。
それは
「アートを生活の一部に」
というようなしゃれた文句で表象される生き方とは正反対の、もっと不器用で生々しくて必死な「生」のあり方なんだと思う。
じぶんは
「書き手」
として、その「業」に向き合えるだけのものを持っているか。
つまるところ、じぶんは、美術に対し一生懸命か。
作家が作品に命を懸けているように、じぶんは文章に命を懸けているか。作品を見て、上っ面をなでてはいないか。
自問自答せざるを、得ないのだ。
07年10月
ギャラリーたぴお(中央区北2西2、道特会館 地図A)
(追記 タイトルと、会期を訂正しました。どうもすいません)
おっしゃるとおりの「美術ペン」です。
>狭い仕事場が「紙」で埋まっていくのは困るので、できるだけ捨てるようにしている
これが、わたしの場合、なかなかできないので、困っています。
bi_suiさん、ありがとうございます。
ご指摘に深く感謝いたします。
というか、展覧会タイトルを誤るなんて、みっともないことはなはだしく、落ち込んでいます。
じぶんが「命懸けでない」ことを、身をもって示したみたいな格好になってしまいました。
恥ずかしい…。
唯一の救いは、本館と、北海道美術ブログのほうは、間違っていなかったことです…
今後とも、なにかお気付きの点があれば、どしどしご指摘ください。
よろしくお願いいたします。
これは「自我の形象展6」ですよね。
会期も10月22日~11月3日のはずですが。
話は変わりますが、ある数室ある会場で、たぶん観に来られていた方だと思うのですが、「絵を描かれるのも命懸けらしい・・・」と話されているのが耳に入ってきました。
「命懸け」はとても重みのある言葉なのでそう簡単に口にすべき言葉ではないと思うのですが、その場では深く考えることもなく「そうだろうなぁ~」と思えたことがありました。