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■ABE ARISA photography exhibition 極相 (2016年7月28日~8月1日、札幌)

2016年08月03日 20時48分22秒 | 展覧会の紹介-写真
 札幌のアベアリサさんの初個展。

 筆者は、動物園や水族館で撮影された動物の写真というものにまったく興味が抱けない。あと、ペットや、街角にいる犬猫の写真も、もちろんカメラを向けている本人の幸福に水を指すつもりはないけれど、見させてもらう立場からすると、大半は別にどうでもいい作品だと感じている。
 いや、写真だけではなくて、動物園にいる動物を、写実的に絵画や彫刻に仕立てたものは、もっとつまらない。いったい何が面白くて、そんなことをしているのか、とんとわからないのだ。

 高村光太郎に「ぼろぼろな駝鳥 だ ちょう」という詩がある。

何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢやないか。
頸があんまり長過ぎるぢやないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢやないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢやないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢやないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢやないか。
これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。


 動物園や水族館にも種の保存や生態研究などの大事な意義があるから、筆者は「もう止せ」とまで言い切るつもりもないのだが、それにしても、すでに80年前に書かれた有名な詩があるわけで、ここから出発しないで動物園に写真を撮りに行ったりスケッチをしたりしても、まるで意味がないじゃないか(口調がうつった)。ちがいますかね。
 いいかえれば「動物園で動物にあう」ということは、人間にとっても動物にとっても、実はかなり特殊な事態なのだ。


 で、酪農学園大で野生生物について学んでいたアベさんの写真である。
 学生時代は写真部に所属し、部の展覧会に出品したことはあるが、個展はこれが初めてだという。

 会場に入ると、まず、ガラス越しの園舎にいるようなウサギやフラミンゴの、ちょっと見には静かな感じの写真が並んでいるのが目に入る。
 その手前のテーブル上には、昆虫の標本を撮った写真と、昆虫図鑑とが置かれている。

 さらに中のほうへと歩みを進めると、キツネの礫死体れき し たい、数え切れないほどに一列に牛が並んだ畜舎などの写真がある。
 とりわけ
「ああ、この作者は、かわいいだけの写真を撮ろうとしているんじゃないのだな」
ということが実感されるのは、檻のなかの孔雀をとらえていながら、肝心の頭部が、手前のネットに邪魔されて見えない1枚を見たときであった。

 筆者が最も気にかかったのはこの作品。
 釧路館内鶴居村の鶴公園にあつまったタンチョウを写しているが、もはや特別天然記念物であることが信じられないほどの数が雪の上にとまっていて、違和感というか、異様な感じすら受ける。

 この写真からもわかるとおり、この作者は、動物愛護を訴える社会派の写真を撮っているというよりも、人間と動物のあいだの関係に横たわる違和感や不自然さみたいな感覚を、見る人に抱かせる作品を提示しているのだと思う。ことばにはうまくまとまらない「何か」がある写真であり、それはもちろん、ほめ言葉なのです。


2016年7月28日(木)~8月1日(月)午後7~11時(土日は午後2~6時)
sapporo underground NECCO (札幌市中央区南1西12 AMSビル4階)

□ツイッター @arisaabe0205


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