![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/af/cd2dbced801cf1e22f60a7d93329b554.jpg)
(承前)
白梅と雪の写真。
湯島天神からは、前回と違って、男坂も女坂も通らず、夫婦坂を下って切通坂に出る。
境内から北側が崖のようになっていて、階段を降りると広い道路に出るという地形は、神田明神とそっくりだ。
道路の反対側には、湯島ハイタウンという高層住宅が2棟たっている。
ネット検索すると1969年築らしいので、「ビンテージマンション」という呼称がふさわしい。
地図で見ると、岩崎邸の緑をふさぐような形の立地だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/48/a2011afd4a582fd7c2129778462b0222.jpg)
切通坂に出て右に曲がり、天神下の交叉点を渡る。
道の右側には、バーやスナックが軒を連ねている。
そうか。このへんは上野の歓楽街なのか。
いつの間にか、文京区から台東区に入っている。
と思ったら、目の前の視界が開けた。
不忍池だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/b5/5b57c2c35a3020c8bc5d0d8ea866c9b9.jpg)
画像を見てもわからないかもしれないが、不忍池は一部が凍っていた。
やはり今年の冬の寒さは格別のようだ。
筆者が不忍池を初めて見たのは1974年8月で、上野動物園でパンダを見た帰り、父親に連れられて通りがかった。
ものすごい暑さのなか、どうして東京の街の中にサトイモ畑があるのだろうと、不思議に思った記憶がある。
もちろんサトイモではなく、ハスを見誤ったのだ。
この池は、かつて東京湾がもっと内陸にまで入り込んでいた時代は、上野の山と湯島丘陵の間の入り江だったという。
真ん中に弁天堂があるのは、琵琶湖の竹生島を模したらしい。
この「見立ての文化」というのは、江戸の特徴だと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/37/e462cd771c9ceaba8bda9a77885def2c.jpg)
不忍池の中を通って上野公園へ。
この業種の屋台を何度か見かけたが、どうして東京で北海道名物を売っているのだろうか。
信号を渡り、階段を上って上野恩賜公園の中へ入る。
公園内の東博(国立東京博物館)や東京都美術館に行くときは、ほとんどJR上野駅の不忍口から文化会館の横を通って行くので、南西から近づくのはなかなか新鮮だ。
「しのぶ川」という小さな石碑がたった小川も流れている。
もっとも、これはかつて「藍染川」の一部だったしのぶ川そのものの流れではないであろう。
だいたい知っているつもりだった上野の山にも、知らないところがいっぱいある。
正岡子規記念球場なんていうのも、今回初めて気がついた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/b4/2bad3d8bc433c121dde11dccda3d1902.jpg)
球場のそばには「摺鉢山古墳」という小さな丘もある。
古墳なんて、ふつうの日本人にはさしてめずらしくないのだろうが、北海道には無いので
「お~っ」
と思ってしまうのだ。
階段があったので、上ってみたが、てっぺんは家1軒ぐらいの広さのがらんとした空き地で、とくに何もなかった。
周囲の木々が高いので、とくに見晴らしが良いわけでもない。
いま考えたら、墓の上に乗るというのは、あまり行儀の良い行動ではないな。
公園のメインストリートをさらに歩いて行く。
ようやく東博が見えてきた。
前には、噴水があり、高々と水をふきあげている。
噴水の哲学的な考察はリルケに任せるとして、こんな雪が残り、池が凍るような真冬に噴水が稼働しているということ自体が、北海道の人間には物珍しかった。
もちろん道内には、冬に止まっていない噴水など存在しないだろう。
そろそろアートに話を戻そう。
この日、2018年1月28日は、ほとんど東博にだけいたというめずらしい日になってしまった。
白梅と雪の写真。
湯島天神からは、前回と違って、男坂も女坂も通らず、夫婦坂を下って切通坂に出る。
境内から北側が崖のようになっていて、階段を降りると広い道路に出るという地形は、神田明神とそっくりだ。
道路の反対側には、湯島ハイタウンという高層住宅が2棟たっている。
ネット検索すると1969年築らしいので、「ビンテージマンション」という呼称がふさわしい。
地図で見ると、岩崎邸の緑をふさぐような形の立地だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/48/a2011afd4a582fd7c2129778462b0222.jpg)
切通坂に出て右に曲がり、天神下の交叉点を渡る。
道の右側には、バーやスナックが軒を連ねている。
そうか。このへんは上野の歓楽街なのか。
いつの間にか、文京区から台東区に入っている。
と思ったら、目の前の視界が開けた。
不忍池だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/b5/5b57c2c35a3020c8bc5d0d8ea866c9b9.jpg)
画像を見てもわからないかもしれないが、不忍池は一部が凍っていた。
やはり今年の冬の寒さは格別のようだ。
筆者が不忍池を初めて見たのは1974年8月で、上野動物園でパンダを見た帰り、父親に連れられて通りがかった。
ものすごい暑さのなか、どうして東京の街の中にサトイモ畑があるのだろうと、不思議に思った記憶がある。
もちろんサトイモではなく、ハスを見誤ったのだ。
この池は、かつて東京湾がもっと内陸にまで入り込んでいた時代は、上野の山と湯島丘陵の間の入り江だったという。
真ん中に弁天堂があるのは、琵琶湖の竹生島を模したらしい。
この「見立ての文化」というのは、江戸の特徴だと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/37/e462cd771c9ceaba8bda9a77885def2c.jpg)
不忍池の中を通って上野公園へ。
この業種の屋台を何度か見かけたが、どうして東京で北海道名物を売っているのだろうか。
信号を渡り、階段を上って上野恩賜公園の中へ入る。
公園内の東博(国立東京博物館)や東京都美術館に行くときは、ほとんどJR上野駅の不忍口から文化会館の横を通って行くので、南西から近づくのはなかなか新鮮だ。
「しのぶ川」という小さな石碑がたった小川も流れている。
もっとも、これはかつて「藍染川」の一部だったしのぶ川そのものの流れではないであろう。
だいたい知っているつもりだった上野の山にも、知らないところがいっぱいある。
正岡子規記念球場なんていうのも、今回初めて気がついた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/b4/2bad3d8bc433c121dde11dccda3d1902.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/53/972dba90c2928de520a66bda2ef3069d.jpg)
古墳なんて、ふつうの日本人にはさしてめずらしくないのだろうが、北海道には無いので
「お~っ」
と思ってしまうのだ。
※2021年5月追記。江別市には古墳があるそうです。
階段があったので、上ってみたが、てっぺんは家1軒ぐらいの広さのがらんとした空き地で、とくに何もなかった。
周囲の木々が高いので、とくに見晴らしが良いわけでもない。
いま考えたら、墓の上に乗るというのは、あまり行儀の良い行動ではないな。
公園のメインストリートをさらに歩いて行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/9c/3bbb8c1000c61850a3b4e1075f15d964.jpg)
前には、噴水があり、高々と水をふきあげている。
噴水の哲学的な考察はリルケに任せるとして、こんな雪が残り、池が凍るような真冬に噴水が稼働しているということ自体が、北海道の人間には物珍しかった。
もちろん道内には、冬に止まっていない噴水など存在しないだろう。
そろそろアートに話を戻そう。
この日、2018年1月28日は、ほとんど東博にだけいたというめずらしい日になってしまった。
(この項続く)