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続々・神田から上野へ=東京'18(イ)ー14

2018年02月14日 08時08分08秒 | つれづれ日録
承前)

 白梅と雪の写真。

 湯島天神からは、前回と違って、男坂も女坂も通らず、夫婦坂を下って切通坂に出る。
 境内から北側が崖のようになっていて、階段を降りると広い道路に出るという地形は、神田明神とそっくりだ。



 道路の反対側には、湯島ハイタウンという高層住宅が2棟たっている。
 ネット検索すると1969年築らしいので、「ビンテージマンション」という呼称がふさわしい。
 地図で見ると、岩崎邸の緑をふさぐような形の立地だ。


 切通坂に出て右に曲がり、天神下の交叉点を渡る。

 道の右側には、バーやスナックが軒を連ねている。

 そうか。このへんは上野の歓楽街なのか。
 いつの間にか、文京区から台東区に入っている。

 と思ったら、目の前の視界が開けた。

 不忍池しのばずいけだ。



 画像を見てもわからないかもしれないが、不忍池は一部が凍っていた。
 やはり今年の冬の寒さは格別のようだ。

 筆者が不忍池を初めて見たのは1974年8月で、上野動物園でパンダを見た帰り、父親に連れられて通りがかった。
 ものすごい暑さのなか、どうして東京の街の中にサトイモ畑があるのだろうと、不思議に思った記憶がある。
 もちろんサトイモではなく、ハスを見誤ったのだ。

 この池は、かつて東京湾がもっと内陸にまで入り込んでいた時代は、上野の山と湯島丘陵の間の入り江だったという。

 真ん中に弁天堂があるのは、琵琶湖の竹生島を模したらしい。
 この「見立ての文化」というのは、江戸の特徴だと思う。




 不忍池の中を通って上野公園へ。

 この業種の屋台を何度か見かけたが、どうして東京で北海道名物を売っているのだろうか。

 信号を渡り、階段を上って上野恩賜公園の中へ入る。

 公園内の東博(国立東京博物館)や東京都美術館に行くときは、ほとんどJR上野駅の不忍口から文化会館の横を通って行くので、南西から近づくのはなかなか新鮮だ。

 「しのぶ川」という小さな石碑がたった小川も流れている。
 もっとも、これはかつて「藍染川」の一部だったしのぶ川そのものの流れではないであろう。

 だいたい知っているつもりだった上野の山にも、知らないところがいっぱいある。
 正岡子規記念球場なんていうのも、今回初めて気がついた。


 球場のそばには「摺鉢山古墳」という小さな丘もある。

 古墳なんて、ふつうの日本人にはさしてめずらしくないのだろうが、北海道には無いので
「お~っ」
と思ってしまうのだ。

※2021年5月追記。江別市には古墳があるそうです。


 階段があったので、上ってみたが、てっぺんは家1軒ぐらいの広さのがらんとした空き地で、とくに何もなかった。
 周囲の木々が高いので、とくに見晴らしが良いわけでもない。


 いま考えたら、墓の上に乗るというのは、あまり行儀の良い行動ではないな。

 公園のメインストリートをさらに歩いて行く。


 ようやく東博が見えてきた。

 前には、噴水があり、高々と水をふきあげている。

 噴水の哲学的な考察はリルケに任せるとして、こんな雪が残り、池が凍るような真冬に噴水が稼働しているということ自体が、北海道の人間には物珍しかった。
 もちろん道内には、冬に止まっていない噴水など存在しないだろう。


 そろそろアートに話を戻そう。
 この日、2018年1月28日は、ほとんど東博にだけいたというめずらしい日になってしまった。



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